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「松(まつ)雀(め)」とはなにか 長塚節、方言名の鳥の歌

2007年10月21日 20時44分53秒 | いろんな疑問について考える
「松(まつ)雀(め)」とはなにか
長塚節、方言名の鳥の歌

 『長塚節全歌集』(佐藤佐太郎編 宝文館 昭和26年)から、鳥を詠みこんだ歌を見ていき、なかでも方言の鳥の名に注目してみた。ただ、方言なのか、鳥の古名として使ったのかわからない場合もある。節が方言で鳥の歌を詠もうという認識があったかどうか、明確ではない。たぶんそうした意識はなかったのではないかと思う。それというのは、節の作歌時期は明治29年ごろから大正3年までで、鳥学の世界でも、未だ鳥の和名はようやく統一されつつある時代だった。まして、一般のひとにとって学問的に正式であるかないか、などどちらでもいいことであるから、各地、地元地元でいわれていた名前を使っていただけのことであろう。
 しかし、古典にはかなり通じていたであろう節だから、トモエガモを「あぢむら」(あぢの群れ)とかカラスを「大嘘鳥(おおをそからす)」、カイツブリを「にほどり」など、万葉集や平安和歌にでてくる古名も使っている。
 たとえばカケスは「かし鳥」という古名を持つが、『日本鳥類大図鑑』第1巻(清棲幸保 講談社 昭和27年)では、方言としても栃木、静岡、三重、岐阜などの21県で採集されている。ただし茨城県はこのなかに入っていない。しかし、「かしどり」「かしとり」といった呼び方が周辺にあるので、おそらく茨城ではたまたま採集からもれたのだろう。だから古名であり、かなり広く行き渡っている方言でもあるわけで、どちらとも決められない場合がある。
 それはともかくとして、ここでは「松雀」(まつめ、と読む)とはなにか、について考えてみよう。「松雀」が出てくる3首、明治37年、「春季雑咏」と題して、
淡雪の楢の林に散りくれば松(まつ)雀(め)がこゑは寒しこの日は
明治38年、「炭焼くひま」と題して、「春の末より夏のはじめにかけて炭窯のほとりに在りてよめる歌のうち」と注記して、3首めに、
芋植うと人の出で去れば独り居て炭焼く我に松(まつ)雀(め)しき鳴く
明治40年、「四月十日横瀬夜雨氏へはがき」と注記して、
我庭の辛夷(こぶし)の雨にそぼぬれて松(まつ)雀(め)も鳴けど待つに来なかず
 「松雀」とはなにか。まず季節についてみると、最初の歌は春季、淡雪がまだ降るような寒い日もある早春であろう。2首めは「春の末より夏のはじめにかけて」とあるように、早くても晩春であり、この芋はサトイモであるらしい。種芋を植えるのであるから、もう冷え込むようなことはない時期といえる。前後の歌をみると、「棕櫚の樹の花」が咲いていたり、「なるこ百合」の花も咲き、初夏の様子に近い。3首めは辛夷の花だから、サクラの少し前あたり。いずれも節の地元、茨城の平野部のこと。
 そうすると、春先から初夏のころに茨城の平野部にいる鳥で、まつめという方言名を持つ鳥となる。『野鳥の事典』(清棲幸保)の74ページに鳥の歌を紹介するなかに、松雀のことを「コガラまたはヒガラと思われるもの」として、伊藤左千夫の「庭のさき森を小高み長鳴く松(まつ)雀(め)が声に霧晴れむとす」を載せている。しかしコガラもヒガラも山の鳥で関東の平野部では冬に現われる鳥で、しかもあまり多くはない。とくにコガラは冬でもほとんど山を下りない鳥であるし、節のこの3首のように親しげに詠われる存在ではない。かりにどちらかだとしても、もう棕櫚の花が咲くほどの陽気にもなっているのに、冬鳥が詠われるとは考えにくい。
 かといって、「松雀」が夏鳥にしては、まだ淡雪が降るほど寒い日もある時期にも詠われるのでは早すぎるだろう。この時期の夏鳥ではツバメかイワツバメくらいしか考えられない。そうすると、「松雀」は一年中いる鳥、留鳥ということになる。
 清棲の図鑑では、事典とちがってコカワラヒワ(現在の分類ではカワラヒワ)の方言として埼玉県のところに「まつめ」と出ている。「松雀」がカワラヒワなら、節の『全歌集』の108ページにカワラヒワの歌がある。
唐(から)鶸(ひわ)の雨をさびしみ鳴く庭に十もとに足らぬ黍垂れにけり
 この歌は明治38年9月20日、京都の詩仙堂での作歌。「からひわ」となっている。『図説日本鳥名由来辞典』によると「『大和本草 諸品図』のからひはの図はマヒワである」と記載されている。しかしこの節の歌はまだ9月で冬鳥のマヒワが渡ってくるには早すぎる。カワラヒワなら時期も環境的にも一致する。『清棲図鑑』ではコカワラヒワの項にからひわ、ころひわ、と各地で呼ばれていることを示している。カワラヒワは漢字では河原鶸と書かれるが、キリリ、コロロと鳴く声をから、ころ、と聞いたのが、からひわ、ころひわ、となったという説もあり、筆者もそれを支持する。それがよく河原にいるものだからカワラヒワとしたのだろう。
『清棲図鑑』のコカワラヒワの項には、ほかにも岩手県と愛媛県で、かわすずめ、とある。どちらも茨城県から遠すぎるのが気になるが、節の歌にもかわすずめが出てくる。
明治39年の作で「即景」と題して、
鬼怒川の堤の茨咲くなべにかけりついばみ川すずめ啼く
鬼怒川のかはらの雀かはすずめ桑刈るうへに来飛びしき鳴く
 ノイバラが咲き出すのは5月の上中旬、桑刈る、は蚕のえさに桑の葉を刈るのだから、これも初夏から夏で、カワラヒワなら矛盾しない。
 一方、ただの「鶸」を詠った歌につぎの3首がある。
菜の花は咲きのうらべになりしかば莢の膨れを鶸の来て喰ひ
かぶら菜の莢齧む鶸の飛びたちに黄色のつばさあらはれのよき
冬の木の林のなかにいちじろき辛夷の枝にひわ鳴き移る
 この3首の場合はマヒワも考えられる。菜の花は莢のふくれであるから、もうしばらく前から咲いている。かぶら菜もアブラナ科で、やはりダイコンのように春咲く花だろう。そして3首めは冬の景。だからカワラヒワでも矛盾はないが、マヒワも充分考えられる。
 けっきょく、「松雀」も「唐鶸」も「川すずめ」もカワラヒワらしい。「ひわ」だけがマヒワの可能性がある。そうすると、節はわざわざ一種の鳥を3通りに使い分けたのだろうか。「松雀」は松ではないが、樹木との組み合わせ、「川すずめ」は河原を好むカワラヒワらしさを表現するために。それと三十一文字の枠にあわせるためにまつめで3音、からひわで4音、かわすずめで5音と使い分けたと考えられる。

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