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積丹観光ジャンボタクシー

2015-10-16 19:02:33 | 積丹町
神威岬には、神威岩のほか、念仏トンネル、メノコ岩、水無しの立岩、ノナマエ洞窟、サメの泳ぐのが見えるというサメ穴など、たくさんの見どころがあります。中でも念仏トンネルは、両サイドから掘り始めた穴が、途中で食い違ったためにまがっていて、真ん中辺りは真っ暗で、手探りで歩かなければならず、スリルと楽しさを、一度に味わえる所でしたが、現在は落石など危険な為通行止めになっています。また、先端には明治21年(北海道で2番目)に建てられた、神威岬灯台が立っています。神威岬の婦女通行の禁、神威岬付近は、天気の良い日でも波の高いことが多く、むかしは、少し荒れだすと、小さな船ではなかなか通る事が出来なかった難所で、蝦夷三険岬(茂津多、神威、雄冬)の1つに数えられいた所です。ところで、松前藩時代には、この岬から北へは、女性が行く事を認めておりませんでした。それは松前藩ではこの岬から北は、和人の定住を禁じていて、そこに女性が入るということは、定住を意味したからでした。和人が交通の不便な奥地に、どんどん入るようになっては、藩の力で、とても取り締まる事が出来なくなるからです。したがって、奥地に入るのは、ニシン漁へ行く男だけに限られていて、恋しい人との別れを惜しむ、妻や恋人の思いが、「恨みますぞえ、お神威さまは、なぜに女の足止める」「忍路高島およびもないが、せめて歌棄磯谷まで」と、追分節にもうたわれています。この女人禁制の掟が解かれたのは、安政3年(1856)、蝦夷地を幕府が直接おさめるようになった翌年の事です。宗谷へ赴任するお役人、梨本弥五郎が、初めて妻子をつれて、この岬を通過しております。

積丹観光ジャンボタクシー

2015-10-16 18:37:33 | 積丹町
積丹岬、日本の渚100選島武意海岸、積丹半島の先端は、かたつむりのツノのように、神威岬と積丹岬が突き出ていますが、イリカはその1つ、積丹岬にいだかれた小さな漁村です。市街から積丹岬へは簡単にいくつ事ができ、遊歩道の散策や、島武意海岸の絶景もお楽しみ頂けます。また島武意海岸へは、素掘りのトンネルを通って行きますが、暗いトンネルを抜けると、そこは青一色、ファンタジーの世界に飛び込んだような素晴らしい景観です。

積丹半島積丹岬島武意海岸トンネル

積丹町の海の一部が道内唯一の海中公園に指定されておりますが、美しい島武意海岸は第二号の指定地で、その絶景を望むのに必見の場所がこのトンネルを抜けた所です。

神秘的な海の色、天然の名工が刻んだ岩の芸術、海の底まで見えるほど入り江の水は青く澄み渡り、夏ともなりますとひんやりとしたトンネルをくぐり、未知の世界を冒険する様なスリル味わう事が出来ます。

この島武意海岸は明治18年(1885年)に齊藤彦三郎という人がニシン漁に「魚網」という漁網を発明して鰊場を経営していたところです。

明治28年にシマムイ漁場の斜面を登り、苦心して私財をなげうって開削したのが延長30mの程の「島武意トンネル」です。それ以来、鰊をモッコ入れて背負いながら急な坂道を上りトンネルを通行してこちら南側の干場に運びました。

元々積丹岬の北に位置する島武意の浜は断崖絶壁の続く険しい海岸線、その浜から陸にニシンを運ぶ為には、どうしても岬のどてっ腹を繰り抜かなくてはなりませんでした。

そんな必死の思いで作ったトンネルも、現在は観光客が島武意海岸の散策を楽しむ為に利用しています。

積丹ブルーの海です。

積丹ペニンシュラリゾート21

第一次産業である漁業に町の命運を託し続けてきた積丹町は、時代の流れに呼応して今、新たな観光地としての歩みを始めました。それが「積丹ペニンシュラリゾート21」です。

それとともに積丹半島の海岸線に位置する町村の長い間の念願であった国道229号線が平成8年11月1日全面開通の日を迎えました。この事はペニンシュラリゾート計画に大きな希望の灯をともすきっかけにもなっております。

行き止まりUターンコースと陰口を言われ、幻の国道とも囁かれていた国道229号線でしたが、最後の工事区間が積丹町と神恵内村を結ぶ「西の河原トンネル」の堀削工事でしたが、順調に進んで全線開通の日を迎える事が出来ました。これに向けて町の観光産業を見直し、全町民挙げて「町おこし」につなげようと、様々な計画をたて実施に当たっております。

まず、日本海に面している事は、獲れたての新鮮な魚介類の提供に事欠くことは無く、また、自然豊かな積丹の山々や原野に産する山菜や、有機栽培の美味しい作物、グルメ趣向にはたまらない魅力です。これらの山海の幸を大いに売り込もうと宣伝に努めています。

積丹半島は那須火山帯に属しており、余別岳(1298m)、積丹岳(1255m)などの高山があり、最近はこれらの山に登山する人々も多い様です。

さてこれらの山々の裾野が海岸まで迫っており、所によっては断崖絶壁を為し、また、海中になだれ込んだ岩石は長い間、波の浸食を受けて様々な形の奇岩怪石となって海岸に横たわっています。その光景は人間の力など及ばぬ自然の偉大な芸術品の数々です。

神威岬・積丹岬・黄金岬・厚苫岬など変化に富んだ海岸線の景観を大いにアピールしようと、車道、駐車場、爽やかトイレなど施設の整備や、遊歩道や案内板の設置にも力を注ぎ、訪れた観光客へのサービスに努めております。

また、「ソーラン節の発祥地」をアピールしようと「ソーランディスコ」の振り付けを考案しました。かつて漁場で威勢よく歌われた鰊場音頭を実際の鰊場で再び聞くことは出来ませんが、ならばその寂しさを消そうと始まったのがソーランディスコ、「此処までやるのか!!」の勢いで、老いも若きも機会ある事にディスコを楽しもうと意気込んでおります。

此れもまた、「ペニンシュラリゾート21」の精神を大いに力を添える原動力になっているようです。

地方の町に活力を!!と町民全員が努力し、積丹町と積丹半島の復活を願っています。


積丹観光ジャンボタクシー

2015-10-16 17:42:05 | 積丹町
ローソク岩、高さ約40㍍観音様の立ち姿に似ていますので、観音岩とも呼ばれています。ローソク岩の名前は岩の先端に太陽が重なるとちょうどローソクに火をともしたように見える所からローソク岩と名付けられたそうです。ローソク岩について、アイヌの人達の伝説が残されております。昔々、大陸に住んでいた神様が、積丹半島をもぎとって、自分達の領土にしようとスキをうかがっていました。ある時、この神様は、物凄い大暴風と大津波を巻き起こし、そのドサクサにまぎれて、積丹半島を引きちぎろうとしました。これを知った北海道の神様達は、半島を渡してなるものかと、嵐の中、太い縄で積丹半島をしばり、その端をローソク岩の根元に、しっかりと結びつけました。この為、大陸の神様も、積丹半島を盗むことができなかったと言われております。

積丹観光ジャンボタクシー

2015-10-16 17:10:58 | 積丹町
余市から古平までの海岸をセタカムイラインと呼んでいます。岬から突きだしたような岩が、その名前となったセタカムイ岩です。セタとは、アイヌ語で「犬」カムイは「神」という意味です。アイヌの人達は、昔から、犬の声は悪魔を追い払うものと考え、神様が犬に姿をかえて、自分達を守ってくれると信じていたそうです。[伝説=源義経が蝦夷を去るとき、可愛がっていた犬を置いていかなければなりませんでした。犬は義経を追って、この海岸まで来ましたが、海にへだてられ、追って行く事ができず、悲しく遠吠えをしているうちに、そのまま岩になってしまったと言う事です。](怪獣が首をもたげて波にほえる石像のセタカムイ太古の天を指すローソク岩の海の牙湾深くルリ色の海水をたたえてここ古丹に白鳥のまぼろしを見る)古平の生んだ詩人、吉田一穂はこのように歌っています。

積丹観光ジャンボタクシー

2015-10-16 16:40:39 | 積丹町
セタカムイライン、大黒岩と恵比須岩この辺りの地名は白岩です。海岸線の岩壁が白いので名がつけられました。ここ白岩から古平までの海岸線はセタカムイラインと呼ばれ、変化にとんだ景観は、積丹半島の見どころの1つとなっております。海の中の二つの岩は、向かって右側、鳥居の建ってる岩が大黒様のずきんにみたてて、大黒岩と呼ばれ、向かって左側、恵比須様の烏帽子にみたてて、恵比須岩と呼んでいます。