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2023年2月25日9:18
ついに肱川を渡ります。とてもよく大洲城が見えますね。景観という意味で、ここに橋を架けたのは大正解です。
橋の途中でちょっとした屋根付きのスペースがありました。
肱望亭ですか、水位観測所をビュースポットとしても使えるようにするとはやりますね。
肱望亭からの眺め
ちゃんと水位も目視確認できます。
さて、ひと息に大洲城に行っても良いのですが、先に少しだけ南にある三の丸南隅櫓に行ってみたいと思います。
……行ってみたいと思ったのですが、曲がる道を1本間違えましたね。もう1本向こうでしたね。
ただ、怪我の功名というか、何やら石碑がありました。
山本尚徳邸跡
藩の家老だったのが明治政府で大参事となったという勝ち組だったのに、1871年に大洲騒動という一揆が起きて責任取って自刃したそうです。
旧八幡浜街道(大洲~八幡浜を結ぶ街道)
ちょうどお城にぶつかって南側に迂回させられるルートだったようです。明治時代になって三の丸ぶち抜きの道が出来たそうで、民衆的には万々歳ですね。
かつての街道
ルート的にはこの旧街道を進んでいくところですが、ちょっと見えたものがあるので寄り道します。
曹渓院
藩主(加藤家)の菩提寺だそうです。
さてでは旧街道を通って西門跡に向かいます。
下がってから上がるルートなので、実に電動自転車様々です。
到着です。
かつてはここに櫓門があったそうです。
お城の最南端なのに「西門」なんですね。
門をくぐってから次の南隅櫓まではクロマツの並木があったそうですが、残念ながら1965年頃から発生したマツケムシのために1978年までにすべて枯れてしまったそうです。
ちなみに塀の向こう側がすごく低くなっていますが、ここはかつての外堀です。
ちょうど対岸(?)に見えている道が、今通ってきた旧街道です。
この三の丸は、結構標高があるですよね。そりゃ郭にして守っておかないとですね。
さすがに奥に見える天守閣よりは低いですが、その1段下と同じくらいでしょうか?
おや、顕彰碑がある
桝山健三……「国際航業株式会社を設立」って書いてあるけど、調べてみたらものすごい語弊があるんですが????
顕彰碑その2
中村修二……ああ、青色発光ダイオードか。
では改めて、目的の隅櫓を。
1766年のものでして、大洲城に現存するなかでは最古の建物だそうです。
ではもっと近くに行ってみましょう。
ここは「お殿様公園」として公開されています。
……中には入れないやつでした!
おや、大洲市埋蔵文化財センター?
中はそこまで広くはないですが、デンと1部屋あって中に発掘された遺物が色々と展示されています。
(予想通りながら)他にお客さんはいませんでした。
大洲には中世に150ものお城が出来ては消えていったんですね。
石斧製作遺跡(村島宮の首遺跡)
弥生時代のものとしては全国で10数カ所しか見つかっていないのだとか。
大洲城の兄弟瓦
複数のお城で軒先瓦の文様が同じ、または似通っていることから、共通する城主である藤堂高虎時代の工房・職人によるものと考えられている。
ふぅ、思ったよりも楽しめました。10分くらいの滞在ではありましたが。
ところでこの……「監」ですかね、なんですこれ?
さて、次はお隣の旧加藤家住宅主屋です。
旧藩主の加藤家が1925年に建てたもので、昭和50年代には映画『男はつらいよ』のロケで使われたのだとか。
玄関を入ったところ。ここは中に入れますね。
残念ながらこの続きの部屋までしか公開していないようでした。
2階も入れず。
仕方ないので庭から隅櫓を見て撤収します。
建物の裏手。なるほど、なんというか昭和の古い建物感がありますね。
※厳密には1925年は大正ですが。
さて、お殿様公園を後にしてスルスルっと坂道を下って、突き当たりは内堀跡でした。(結構車通りがある道です)
そして1本道を曲がれば……ついに大洲城の入り口(語弊がありますが)です。
ちなみにちょうど撮影している場所が駐輪場です。ありがたい。
大洲城本編を書き始めると長くなりますので、今回はここまで。
当面駅方面には行かないので、そちらを外して拡大した地図にしてみました。
2023年2月25日9:18
ついに肱川を渡ります。とてもよく大洲城が見えますね。景観という意味で、ここに橋を架けたのは大正解です。
橋の途中でちょっとした屋根付きのスペースがありました。
肱望亭ですか、水位観測所をビュースポットとしても使えるようにするとはやりますね。
肱望亭からの眺め
ちゃんと水位も目視確認できます。
さて、ひと息に大洲城に行っても良いのですが、先に少しだけ南にある三の丸南隅櫓に行ってみたいと思います。
……行ってみたいと思ったのですが、曲がる道を1本間違えましたね。もう1本向こうでしたね。
ただ、怪我の功名というか、何やら石碑がありました。
山本尚徳邸跡
藩の家老だったのが明治政府で大参事となったという勝ち組だったのに、1871年に大洲騒動という一揆が起きて責任取って自刃したそうです。
旧八幡浜街道(大洲~八幡浜を結ぶ街道)
ちょうどお城にぶつかって南側に迂回させられるルートだったようです。明治時代になって三の丸ぶち抜きの道が出来たそうで、民衆的には万々歳ですね。
かつての街道
ルート的にはこの旧街道を進んでいくところですが、ちょっと見えたものがあるので寄り道します。
曹渓院
藩主(加藤家)の菩提寺だそうです。
さてでは旧街道を通って西門跡に向かいます。
下がってから上がるルートなので、実に電動自転車様々です。
到着です。
かつてはここに櫓門があったそうです。
お城の最南端なのに「西門」なんですね。
門をくぐってから次の南隅櫓まではクロマツの並木があったそうですが、残念ながら1965年頃から発生したマツケムシのために1978年までにすべて枯れてしまったそうです。
ちなみに塀の向こう側がすごく低くなっていますが、ここはかつての外堀です。
ちょうど対岸(?)に見えている道が、今通ってきた旧街道です。
この三の丸は、結構標高があるですよね。そりゃ郭にして守っておかないとですね。
さすがに奥に見える天守閣よりは低いですが、その1段下と同じくらいでしょうか?
おや、顕彰碑がある
桝山健三……「国際航業株式会社を設立」って書いてあるけど、調べてみたらものすごい語弊があるんですが????
顕彰碑その2
中村修二……ああ、青色発光ダイオードか。
では改めて、目的の隅櫓を。
1766年のものでして、大洲城に現存するなかでは最古の建物だそうです。
ではもっと近くに行ってみましょう。
ここは「お殿様公園」として公開されています。
……中には入れないやつでした!
おや、大洲市埋蔵文化財センター?
中はそこまで広くはないですが、デンと1部屋あって中に発掘された遺物が色々と展示されています。
(予想通りながら)他にお客さんはいませんでした。
大洲には中世に150ものお城が出来ては消えていったんですね。
石斧製作遺跡(村島宮の首遺跡)
弥生時代のものとしては全国で10数カ所しか見つかっていないのだとか。
大洲城の兄弟瓦
複数のお城で軒先瓦の文様が同じ、または似通っていることから、共通する城主である藤堂高虎時代の工房・職人によるものと考えられている。
ふぅ、思ったよりも楽しめました。10分くらいの滞在ではありましたが。
ところでこの……「監」ですかね、なんですこれ?
さて、次はお隣の旧加藤家住宅主屋です。
旧藩主の加藤家が1925年に建てたもので、昭和50年代には映画『男はつらいよ』のロケで使われたのだとか。
玄関を入ったところ。ここは中に入れますね。
残念ながらこの続きの部屋までしか公開していないようでした。
2階も入れず。
仕方ないので庭から隅櫓を見て撤収します。
建物の裏手。なるほど、なんというか昭和の古い建物感がありますね。
※厳密には1925年は大正ですが。
さて、お殿様公園を後にしてスルスルっと坂道を下って、突き当たりは内堀跡でした。(結構車通りがある道です)
そして1本道を曲がれば……ついに大洲城の入り口(語弊がありますが)です。
ちなみにちょうど撮影している場所が駐輪場です。ありがたい。
大洲城本編を書き始めると長くなりますので、今回はここまで。
当面駅方面には行かないので、そちらを外して拡大した地図にしてみました。
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