秋晴れの覚王山・日泰寺



写真両脇、柵囲いの中に、二体の木像が御覧頂けるかと思います。

向かって左側が、十大弟子の一人「摩訶迦葉(マカカショウ)」。

釈迦が率いた教団の最長老であったとされ、
釈迦入滅後の教団をまとめ “ 仏教第二祖 ” とされます。
向かって右側が、同じく十大弟子の一人「阿難(アナン)」。

若い頃から釈迦に付き従うこと25年。
諸説あるようですが、この阿難という人は、
誰よりも長く師のそばに仕え、師の教えを聞き、教えを守り、
一生懸命修行に励んだものの、
ついに “ 悟り ” を得ることが出来なかったとされます。
師の最期を看取ったのも、この阿難でありました。
臨終の師に、阿難は言います。
「私は愚鈍に過ぎ、25年の長きに亘り師の教えに触れながら、
悟ることが出来ませんでした。
さぞ私のことを憎んでおられましょう。」
釈迦は絶えてゆく息の中、阿難に告げます。
「いいや、阿難よ、おまえのそういうところをこそ、
私は心から愛してやまないのだよ。」
阿難は慟哭します。
そしてこの慟哭の瞬間、阿難は悟りを得たとも伝わります。
数ある仏教説話の中でも、特に心を揺さぶられる場面でもあり、
私自身、阿難の “ 在りよう ” というものに心惹かれます。



自治体からワクチン接種の予約券が届き、
かかりつけの医療機関で接種が受けられることを知り、
予約の電話を入れたのが8月。
その時点で「接種を受けられるのは2ヶ月先・・」とのことで、
昨日ようやく第1回めのワクチン接種を受けてまいりました。
早川は、ワクチン接種を「受ける」という選択をしましたが、
持病、アレルギー体質、個人の信条等々、諸般の事情により、
ワクチン接種を「受けない」という選択をされる方々もおられます。
どちらもが尊重される社会、
どちらもが不利益を被らない世の中であることを切に願います。








写真両脇、柵囲いの中に、二体の木像が御覧頂けるかと思います。

向かって左側が、十大弟子の一人「摩訶迦葉(マカカショウ)」。

釈迦が率いた教団の最長老であったとされ、
釈迦入滅後の教団をまとめ “ 仏教第二祖 ” とされます。
向かって右側が、同じく十大弟子の一人「阿難(アナン)」。

若い頃から釈迦に付き従うこと25年。
諸説あるようですが、この阿難という人は、
誰よりも長く師のそばに仕え、師の教えを聞き、教えを守り、
一生懸命修行に励んだものの、
ついに “ 悟り ” を得ることが出来なかったとされます。
師の最期を看取ったのも、この阿難でありました。
臨終の師に、阿難は言います。
「私は愚鈍に過ぎ、25年の長きに亘り師の教えに触れながら、
悟ることが出来ませんでした。
さぞ私のことを憎んでおられましょう。」
釈迦は絶えてゆく息の中、阿難に告げます。
「いいや、阿難よ、おまえのそういうところをこそ、
私は心から愛してやまないのだよ。」
阿難は慟哭します。
そしてこの慟哭の瞬間、阿難は悟りを得たとも伝わります。
数ある仏教説話の中でも、特に心を揺さぶられる場面でもあり、
私自身、阿難の “ 在りよう ” というものに心惹かれます。



自治体からワクチン接種の予約券が届き、
かかりつけの医療機関で接種が受けられることを知り、
予約の電話を入れたのが8月。
その時点で「接種を受けられるのは2ヶ月先・・」とのことで、
昨日ようやく第1回めのワクチン接種を受けてまいりました。
早川は、ワクチン接種を「受ける」という選択をしましたが、
持病、アレルギー体質、個人の信条等々、諸般の事情により、
ワクチン接種を「受けない」という選択をされる方々もおられます。
どちらもが尊重される社会、
どちらもが不利益を被らない世の中であることを切に願います。




