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「小太郎ハウス」野外な日々

野外活動、野外教育、環境教育、ノルウェー、Friluftsliv、柴犬について色々と書き込んでみています

数式

2007-02-11 | 教育全般
 映画「博士の愛した数式」を見たので、すぐに思い浮かんだ物理学の先生に話した。先生もこの映画を見ていた。
 数式の美しさというものには共感するものがあるという。数学だったか物理学だったか、そういうものの国際的な催しでも、「ビューティフル」という言葉がたくさん使われることが話題になったというような話をしてくれた。論理的な組み立ての世界と思われる物理の世界でも直感が働くことが多いという。その証明(数式)を解いていく過程で、その方向性が合っているか間違っているかの判断は、直感的なものだという。
 基礎的な問題を解いていく場面でも、そのことは同じで、考えるのが先か、書くのが先か、と聞いてみたら、問題を頭で考えているうちは難しく感じでも、書き始めると分かってくることがあるのだという。学生にもそのことをよく話すといっていた。だからまず、問題となっている数式だけでも書いてみることが大切だという。数学の身体性というものだろうか。そういう点では、スポーツと一緒。どちらも身体の働きだ、という。
 数学も音楽のように全世界で共通の考え方があるのですねという話をしていたら、数式は音符のようなものだということも言っていた。数字に慣れ親しんでいる人には、絶対音感のようなものがあるのかもしれない。
 面白かった!話してみるもんだ、と思った。
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職人と百姓

2006-12-22 | 教育全般
 何か一つのことをとことんまで突き詰めていくのが職人だとすると、それを追求していこうとすることを高く評価する人は多い。つまり専門性に高い評価が下るのだ。しかし、専門馬鹿という言葉があるように、専門性だけを追求している人には、一般常識というか生活のために全般的に必要な資質に欠けた人が少なくないという話も聞く。たくさんの人間がコミュニティを作って暮らしていく時に、効率を求めて分業していくわけだが、それが進んでいくと職人が生まれてくるのだろう。都市でこそそれは可能だ。
 しかし、自然と向き合いながら自活して生きるためには、そうではなくて生きるために必要な多くの技術を持っていなければならない。それを百姓としよう。職人は、生きることと離れてしまうが、百姓は生きることを仕事にしている。
 自分が求めたいのは、職人ではなく百姓だ。生きるために必要なものを自分で生み出す生活者だ。職を求めるのではなく、食を求める。本当は、そういう生き方がしたいのだ。
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自立すること?

2006-03-12 | 教育全般
シンプルに考えると
教育の目的は自立させることでは?
自立につながること以外は自分で学び取っていくものでは?
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