「小太郎ハウス」野外な日々

野外活動、野外教育、環境教育、ノルウェー、Friluftsliv、柴犬について色々と書き込んでみています

今を

2005-12-31 | Weblog
明日できることは明日する。
今を大切に生きたい。
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サイクリングという旅

2005-12-30 | Weblog
2001年度 学習院大学サイクリング実習に寄せた感想文
※グループ分けの際、1班の上にルート外のコースを走るゼロ班を結成している。
 2年目の参加を終えた時の想いを綴った。
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 学習院大学のサイクリング実習は「旅」である。
 「旅行」ではなく「旅」である。私なりの定義からすると、何かはっきりとした目的があって遠出する場合これを旅行という。新婚旅行とか観光旅行とかハワイ旅行など「旅行」の前に目的をつけることができる。「旅」はもう少し曖昧で、そこへ行かなければならない目的は特にない。そこに行ったことで何かがある。つまり、行くという行為がまず先にあるのだ。だから修学旅行で奈良や京都の寺社を見学に行くのとは少し違っている。
 旅行は、そこにある特定のものを見たり聞いたりして吸収してくる、いわば受け身のイメージだ。旅としてのサイクリング実習では、むしろそれはおまけであって、自分たちの足で足跡(わだち?)を残してくることにこそ意味がある。その時その場で何か活動することで、自分やみんなが主役となるドラマを生み出すのだ。今回の場合はサイクリングをアイテムとしたドラマになる。
 これは別の観点から見ると「消費」と「生産」に例えられるかもしれない。言うまでもなく旅行が消費で、サイクリング実習が生産である。消費を媒介としたつながりでは、吸収しようとするモノ(景色、建物、おみやげ・・・)に意識が集中しがちであるが、生産を媒介としたつながりの中では、今、そこにいるヒトとヒトにお互いの意識が向くという。そこにドラマが生まれるらしい。

 昨年結成されたゼロ班は、思っていた通りに予想外の出来事に恵まれ、二度と体験することができないようなドラマを生み出した・・・と、その時は思った。二度と体験することができないようなことが、今年も再び体験できるわけはないので、はて?今年もまたゼロ班結成!ということになったらどうしよう。期待に応えることができるのだろうか、などと心配していた。薄々気づいていたものの、この私も当日までゼロ班の結成を知らされていなかったのだ。しかし、終わってみればそのゼロ班、今年もまた別のドラマを展開していた。
 考えてみれば、同じ結果を期待することが間違っているのであって、旅行には結果があるが、旅にはあらかじめ決められた結果なんかないのである。どう転がってもその時その場でしたこと、起こったことがその旅そのものなのである。それは当事者にとってドラマティックな出来事であっても、他の人にはどうでもいいことかもしれない。でも、それでいいのだと思う。自分で自分のドラマを作る、そういう気持ちがいつも大切なような気がした。普段の生活の中でも、いつも自分で自分のドラマを作って行きたいものだと思っている。

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PAのセルフコントロール感

2005-12-22 | Weblog
PAがやろうとしていることと、自分が考えていることの違いはこんなことか。PAは自分の考えで何でもできるという自我を確立することを目指している(セルフコントロール感のようなこと)、しかし私が野外教育でやりたいと考えているのは、自分の力ではどうにもならないことがあるということを認める人生観や生き方を伝えることだ。

自分で何でもできるという自信も大切だけど、行き過ぎると傲慢になる。自分だけではどうにもならないことがあるということを認めるように謙虚になることを求めたい。
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長期キャンプについてメモ

2005-12-17 | Weblog
●長期キャンプを実施して行くにはどうしたらいいのか。

なぜ、長期キャンプが必要なのか、まず考えること

 特別な理由、特化したことはあるのか
  非行少年の問題→非行少年のキャンプで成果が出ている

普通の子どもに対して、長期のキャンプが本当に必要なのか
どういった教育効果にどのくらいの日数が必要なのか。
 2泊3日と5泊6日は何が違うのか。
 生理的な適応のためには、何日必要か。
 心理的な適応のためには、何日必要か。

トレーニングの理論では、その成果が定着するのに3ヶ月、半年はかかるとされる。
本当の成果を見ようと思えば、それくらいの期間が必要なのではないか。

山村留学の成功例と失敗例
 山村留学の事例では、3ヶ月位してようやく子どもの様子が変わってくると言う。
 適応の時間としてそれくらいは必要なのでないか。
 
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老犬

2005-12-16 | Weblog
2002年に学生相談をしていた頃に書いたコラム
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「老犬」
 我が家に17才の老犬がいる。人間の年にすると84才になるらしい。そのことを書こう。その小犬は、生後2ヶ月ほどで我が家に来た。初めて片足を上げてオシッコをしたときに、感動したのが懐かしい(男の子なので・・)。日に日に愛着がわいてくると、何かしてあげたくなった。もちろんエサをあげたり、散歩に連れていったり、身の回りの世話はできた。しかし、もっと何かをしてあげたいと思ったとき、ふと疑問がわいてきた。「いったいこの犬は、何になりたいのだろう」
 犬の人生?における選択肢をいくつか考えた。番犬、猟犬、盲導犬、介護犬、警察犬、ショードックなど。そのどれもが、職業だった。何になるかと考えたときになるモノとは、人間社会にいかに貢献できるのか、という価値観から生まれた地位だった。ちょっと待てよ、人間とは関係なく生きる価値や犬としての生き甲斐があるに違いない。ほとんどの犬は、仕事に就こうとか人様のためになろうとか考えずに生きているはずである。野良犬(野犬)になるか、飼い犬になるか選択する権利だってあったはずだ。
 しかし犬には、そんな権利は認められていない。生まれながらにして、人間社会の論理に従わざるをえないのである。それでも文句一つ言わずに生きる。そんなところに、寂しさを感じつつ尊敬の念さえ抱いてしまう。
 犬は誰かに相談することなどない。なぜ、人間だけが「自分のやりたいことが分からない」「今いる学部での勉強はどうも自分に合っていないようだ」「就職のために資格を取るべきか迷っている」というように悩みを抱えて生きなければならないのだろうか。考えてみれば、悩みの多くは人間が作り出した悩みだ。まったく自分の好きなように生きられるのなら問題が生じないが、そこが人間社会だから問題になる。そういった類の問題なのである。人間には自由に生きる権利があるから悩んでしまうのかもしれない。一度、人間と切り離して、他の生き物の視点から考えてみるのも一つの手かもしれないと思った。
 我が家の犬にも色々なことがあったが、とにかく長い一生を生きて晩年を迎えている。果たして彼の生涯は、満たされていただろうか。彼に自分で自分の生き方を決める権利があったら、彼はどのように生きただろう。それは分からない。しかし、彼がいることで私たちの生活が満たされていることは確かである。彼もきっとそう思ってくれているのではないかと願っている。

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普遍的野外教育

2005-12-13 | Weblog
 野外教育が一過性のものでなく普遍的であり、古来からのものであると考えると、各時代にも野外教育はあるのか。
 たとえば、江戸時代の野外教育とは何か。縄文、弥生時代では何か。習慣、習俗、祭りなど、これらのうち自然に関すること、自然から学んだこと、自然の中で学んだことが野外教育になり得るのではないだろうか。
 修行、武道、忍者、忍術、宗教、修験道、芸能、あるいは、農業、漁業、狩猟というよう生活に密着した活動はどうか。
 日本では、indoorとoutdoorの境界が不明でindoorにおける教育は限られた場所での話だったのではないか。養老氏の本によると平安期の貴族から都市化が始まったという。
 野外教育は教育目的で行われる自然体験活動であるが、自然と関わりがない教育があり得るのか。
 逆に自然の中で行われない野外教育はあり得るのか。野外教育の定義を人工的な場を離れて、不確定要素を含んで行われる活動と考えると、室内で行われる体験学習やゲームは野外教育か?PAのゲームや、イニシアティブゲーム、レクリエーションゲームは野外教育ではないのでは。
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つくる人、つかう人

2005-12-11 | Weblog
某大学の雪上活動実習中に書いたコラム
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 野外活動は、つくることの連続だ。食事作りもあれば、イグルーをつくったり、シアターをつくったり実に忙しい。XCスキーは、つくる事ではなくて、する事だけど、まだ誰も踏んでいない雪の上を歩いた後には、自分のスキーの跡をつくっている。そう考えるとほとんどの活動は、自分でつくることになる。
 普段の生活ではどうだろう。テレビを見たり、外食したり、電車に乗ったり、本を読んだりするかもしれないけれど、それはほとんど誰か他の人がつくったモノを使っているだけだ。勉強だって試験のためにする時は、誰かがつくった問題を解いて(使って)いるわけだ。
 つかうことに慣れすぎてしまっている人は、つくってくれる人がいないと、いられなくなってくるようだ。つくってくれる人がいることが当たり前になっている。
 自分でつくることができる人、自分でつくってみようと思える人は、自分で自分のこともつくっていくことできるのではないだろうか。つかう人よりつくる人になりたい。

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可能性

2005-12-10 | Weblog
「CAoS」という野外教育系NPO団体の10周年にあたり寄稿した文章。
なかなか良く書けていたので転載。
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「可能性」
 21世紀に突入したときに100年くらいの単位でものごとを考えてみようと思ったときがあって、次の100年間で世の中にどんな変化が起こるんだろうと考え始めたら恐ろしくなった。博物館なんかに行って昔の生活のジオラマを見たりすると、100年よりちょっと前の江戸時代には電気が無くて、今我々が平気で使っている電化製品は全くなかったわけだ。だけどその分、自然と人間はすごく身近に暮らしていたようだ。太陽が昇るとともに活動し、沈むとともに休む。そんな当たり前の暮らしが続いていたのに、そこからの100年くらいの変化で自然とともに生きることが、すごく難しい世の中になってしまった。
 朝霧(※よく行くキャンプ場)の周辺を見てもボクが関わってから、たったの6~7年で建物はゴージャスになるし、近くにコンビニはできるしで、だいぶ近代化され便利になっている。大沢(※よく行ったビバーク地)だって毎年々々砂防ダムが作られて、何となく自然の気配よりも人の気配が強く感じられるようになって来ているような気がする。今、私が住んでいる東京郊外には、朝霧のような自然は当然見あたらないわけだが、たったの100年前にはこの辺りにもまだまだ鬱蒼とした森が広がっていて、きっと朝霧くらいだったのかもしれない。朝霧の変化を見ていると人間の自然環境への浸食は、未だに進行形なんだなと思ってしまう。このままの勢いで次の100年も近代化してどんどん変わっていってしまうとしたら、どんな世の中になっているのかものすごく心配だ。そしてなんだか悲しくなってくる。だからといって今の自分が江戸時代の生活に戻れるかといったらNOである。でもやっぱり自然のそばにいたいという気持ちが強くて、だからキャンプをしているのかもしれない。
 そんな風にどんどん変わっていくモノがある反面、昔から変わっていないモノもあるようだ。それは、昔から人間が持ってきた感性とか、思いやりとか、怒りとかの感情的な面だ。そういう気持ちというのは、意図的に伝えようとしなくても、人と人との関わり合いの中でいつの間にか伝わってきたんじゃないだろうか。ボクがいいなと思っているのは、実は目に見えて形のある物ではなくて、形のないモノなんだ。きっと。
 ボクは、山歩きの途中で拾って杖にした棒一本にしたって愛着を感じて捨てられなくなってしまうのだが、考えてみればそれは、その棒自体が大事なのではなくて、その棒とともにした体験を大事にしたいからかもしれない。つまり残したいのは、形となっている棒ではなく、そこに付随している思い出みたいなモノなのだ。それが大事でありながら、忘れてしまうことが多い、それが悲しくてモノを残すのだ。
 ボクにとってカオス(よく知るNPO団体)は、是非とも残していきたいモノの一つだ。カオスという器(うつわ)そのものも大切に思うが、カオスという器を取り巻く空気みたいなモノ、実はその方が大切な気がしている。なんか分からないがそれがあると安心できて心地いい、無くなるとものすごく悲しい。そんなモノの一つだ。その中には、感動だとか楽しさだとか明るい感情だけじゃなく、執着心だとか怒りだとか悲しみだとか、ちょっと暗い心の原動力みたいなモノもあるのかもしれない。そんな複雑で人間くさい、そして豊かな感情を伴ったCAoSというモノだ。それこそカオスがカオスらしいところで、これからの未来への可能性とか希望とか呼べるモノかもしれないとさえ思うんだ。
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自然の権利

2005-12-08 | Weblog
 「自然の権利」という本がある。人が生まれながらにして持っている権利を人権というが、果たして人間以外の生き物には権利が無いのだろうか。権利を与えるか否かという条件の一つに、心を持っているかどうかという観点があるという。この判断は難しい。実際、一昔前には人間であっても心を持っていないとみなされ、権利が認められていない人がいたくらいだから。多くの場合、人以外の生き物の権利を与えようとは考えられない。しかし、本当に動物や植物や虫たちは、心を持っていないのだろうか。日本人の伝統的な自然観からすると当然それらの物にも心が感じられるし、空や雲や石などでさえも心を持っているようだ。
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キャンプで食う

2005-12-07 | Weblog
野外教育に関わる職業
私が知っている範囲で、野外教育、キャンプ、アウトドアスポーツ関連業界に携わっている人たちの職業はなにか。

教員(大学、高校、中学、小学校、幼稚園)
法務教官、少年院、家庭裁判所、児童自立支援施設、保護司
研究所
学習塾
野外教育団体インストラクター・職員
自然学校インストラクター・職員
アウトドアスポーツインストラクター
アウトドア用品メーカー
アウトドア用品販売
NPO法人職員
財団、社団法人職員
公共団体職員
レンジャー
企業の社会貢献部門
旅行業
宿泊
出版
自営
第1次産業
保険取り扱い
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