ブロ友さんより電通銀座ビルにある
吉田秀雄社長執務室が一般公開されるとの
情報を教えて頂き、早速行ってみた。

このビルは以前「銀ブラ建築散歩」でもご紹介したが、
1934(昭和9)年に横河民輔(横河工務所)の設計で竣工し、
1967年まで大手広告代理店電通が本社を置いていた。
正面玄関上部には当時の社章の五芒星、
左に吉祥天、右に広目天のレリーフが飾られ・・・、

外壁にはガラスブロックの大きな窓があり、採光と目隠し効果を兼ねている。


エレベーターホールはモザイクタイルの
美しい装飾が施されている。



さて、LOGGYは吉田社長執務室のある4Fへと向かう。
重厚感のある扉を通ると・・・、

係の方がとても丁寧に執務室まで案内して下さった。

執務室入口には吉田社長の写真と経歴が展示されていた。

(※以下ウィキペディアより抜粋)
『吉田 秀雄(1903年 - 1963年)は日本の実業家。
電通の第4代代表取締役社長で「鬼十則」を作るなど
広告の鬼と呼ばれていた。
没後の1965年、電通と吉田邸からの出資で
吉田秀雄記念事業財団が創設された。』
社長執務室。

当時の執務室(上段)。


「鬼十則」も額縁に飾られていた。

[鬼十則]
1.仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2.仕事とは、先手々と働き掛けていくことで、
受け身でやるものではない。
3.大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4.難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに
進歩がある。
5.取り組んだら放すな、殺されても放すな、
目的完遂までは……。
6.周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、
永い間に天地のひらきができる。
7.計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、
そして正しい努力と希望が生まれる。
8.自信を持て、自信がないから君の仕事には、
迫力も粘りも、そして厚みすらない。
9.頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙も
あってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10.摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、
でないと君は卑屈未練になる。
帰り際に吉田秀雄記念事業財団の部屋の扉と
ガラスレリーフに見とれていると、写真撮影の
許可を頂けた。

とても丁寧で親切な対応にLOGGY感激!
ありがとうございました。
吉田秀雄社長執務室が一般公開されるとの
情報を教えて頂き、早速行ってみた。

このビルは以前「銀ブラ建築散歩」でもご紹介したが、
1934(昭和9)年に横河民輔(横河工務所)の設計で竣工し、
1967年まで大手広告代理店電通が本社を置いていた。
正面玄関上部には当時の社章の五芒星、
左に吉祥天、右に広目天のレリーフが飾られ・・・、

外壁にはガラスブロックの大きな窓があり、採光と目隠し効果を兼ねている。


エレベーターホールはモザイクタイルの
美しい装飾が施されている。



さて、LOGGYは吉田社長執務室のある4Fへと向かう。
重厚感のある扉を通ると・・・、

係の方がとても丁寧に執務室まで案内して下さった。

執務室入口には吉田社長の写真と経歴が展示されていた。

(※以下ウィキペディアより抜粋)
『吉田 秀雄(1903年 - 1963年)は日本の実業家。
電通の第4代代表取締役社長で「鬼十則」を作るなど
広告の鬼と呼ばれていた。
没後の1965年、電通と吉田邸からの出資で
吉田秀雄記念事業財団が創設された。』
社長執務室。

当時の執務室(上段)。


「鬼十則」も額縁に飾られていた。

[鬼十則]
1.仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2.仕事とは、先手々と働き掛けていくことで、
受け身でやるものではない。
3.大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4.難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに
進歩がある。
5.取り組んだら放すな、殺されても放すな、
目的完遂までは……。
6.周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、
永い間に天地のひらきができる。
7.計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、
そして正しい努力と希望が生まれる。
8.自信を持て、自信がないから君の仕事には、
迫力も粘りも、そして厚みすらない。
9.頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙も
あってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10.摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、
でないと君は卑屈未練になる。
帰り際に吉田秀雄記念事業財団の部屋の扉と
ガラスレリーフに見とれていると、写真撮影の
許可を頂けた。

とても丁寧で親切な対応にLOGGY感激!
ありがとうございました。
広告界のレジェンドなんですね。
おかげさまで、電通ビルも楽しんできました。
(リンク貼らせていただきました)
遅レス失礼しました。
ネットで調べるとこのビルの
竣工時の写真も見つける事が
できました。入口扉も数年前
までは自動ではなく、お掃除
の方がピカピカに磨いていた
のを記憶しています。