先月、ブロ友さん達と取り壊しが迫る文化住宅を
見学した時の写真をようやく整理したので、
ひと月遅れでご紹介。
■旧・高田邸
JR国立駅近くにある旧・高田邸は、1929年(昭和4年)に建てられた国立大学町最初期の住宅だ。
残念ながら設計者は不明との事。
家主の高田義一郎氏は一橋大学や滝乃川学園の校医でもあり、
多くの書物を著した大正・昭和の文化人だったそうだ。
頂いた資料を片手にまず外観を見学。
庇の重なりはモダニズムへのこだわり。
写真右上:書庫として造られた地下室。湿気が多くて書庫としては使えなかったという。
勝手口のセメントタイル。
写真左:煙突が見える。
ライト風の玄関部分。
続いて内部を見学。
資料から玄関ホール図を引用。
人の出入りが多く、写真を撮り損ねた。
写真中:ホールにある石炭ボイラー。
自然木を使った階段を上り2階へ。
印象的なデザイン装飾のある応接室。
書斎。
1階部分は、解体前の調査作業中だった為、撮影は自粛。
この文化住宅、少し手を入れて保存できないものかと
係の人に聞いてみたら、最低でも2億はかかるそうで、
解体せざるをえないという。LOGGY、絶句!
旧・高田邸の見学を終え、次に向かった先は一橋大学。
だが、その前にご紹介しておきたい建物がある。
■旧・野島邸(ル・ヴァン・ド・ヴェール)
この建物は、昭和初期に「戦艦赤城」の野島新之丞・元艦長の邸宅として建てられ、
戦後は教会として使われた後、現在はフランス料理店となっている。
解体を余儀なくされる建物もあれば、再利用される建物もある。
これも「運命」なのだと考えさせられたLOGGYであった。
(-後編-に続く)
見学した時の写真をようやく整理したので、
ひと月遅れでご紹介。
■旧・高田邸
JR国立駅近くにある旧・高田邸は、1929年(昭和4年)に建てられた国立大学町最初期の住宅だ。
残念ながら設計者は不明との事。
家主の高田義一郎氏は一橋大学や滝乃川学園の校医でもあり、
多くの書物を著した大正・昭和の文化人だったそうだ。
頂いた資料を片手にまず外観を見学。
庇の重なりはモダニズムへのこだわり。
写真右上:書庫として造られた地下室。湿気が多くて書庫としては使えなかったという。
勝手口のセメントタイル。
写真左:煙突が見える。
ライト風の玄関部分。
続いて内部を見学。
資料から玄関ホール図を引用。
人の出入りが多く、写真を撮り損ねた。
写真中:ホールにある石炭ボイラー。
自然木を使った階段を上り2階へ。
印象的なデザイン装飾のある応接室。
書斎。
1階部分は、解体前の調査作業中だった為、撮影は自粛。
この文化住宅、少し手を入れて保存できないものかと
係の人に聞いてみたら、最低でも2億はかかるそうで、
解体せざるをえないという。LOGGY、絶句!
旧・高田邸の見学を終え、次に向かった先は一橋大学。
だが、その前にご紹介しておきたい建物がある。
■旧・野島邸(ル・ヴァン・ド・ヴェール)
この建物は、昭和初期に「戦艦赤城」の野島新之丞・元艦長の邸宅として建てられ、
戦後は教会として使われた後、現在はフランス料理店となっている。
解体を余儀なくされる建物もあれば、再利用される建物もある。
これも「運命」なのだと考えさせられたLOGGYであった。
(-後編-に続く)