Dream Gate ( 中野 浚次のブログ )   

本日はようこそ開いてくださいました!お芝居のことグルメを語ります!


          

東京・築地→銀座→赤坂見附 食べ歩き

2012-03-30 | グルメ

三月は3日間ほど東下りをしてきました(←これから上京なんて口が裂けても言いません!!)。
目的は食べ歩きです。まだまだ東京には美味しいお店がいっぱいあります。

皆様なら初めて行くお店をどうやって択びますか?
最近、飲食店の口(くち)コミサイト「食べログ」で、やらせ業者が好意的な口コミ投稿を有料で請け負っていたことが発覚しました。
この手のインターネットを介した口コミサイトはさまざまの職種に蔓延しているそうです。

インターネットサイトを頼らずに、自分の足で「美味しい店」を探すことです。
そこで今回食べ歩きした、いくつかのお店をご紹介します。
皆様になんらかのご参考になればよいのですが。 

 

  築地 江戸前天ぷら 「なかがわ」

 お昼一番乗り。カウンターの予約席で「おまかせコース」。
 海老、蕗の薹、椎茸、穴子、キス、ししとう、すみいか・・・・etc。
 中でも穴子の大ぶりには愕きです。断面1センチ超。
 揚箸でさっくりとふたつに分けてくれます。分けたところから湯気が立つ。
 歯ごたえがよく、やけどしそうなほど熱い。 
 〆は天茶。かき揚げが普通ですが特別に白魚をつかってくれました。
 この白魚ですが、「月も朧に白魚の・・・」の隅田川産ではなく、わたしの地元の
 播州・赤穂で獲れたものだそうです。 

 

  東銀座 Cafe 「Ken’s」

  このお店のハニートーストは本当に美味しいです。
  以前は皇居のはちみつを使ってましたが、いまは銀座で養蜂されているみつばち
  「銀バチくん」だとか。、銀座一帯に植えられているマロニエから収穫して作られた
  「銀座はちみつ」だそうです。

  添えられたアイスクリームや生クリームとからめていただくと、またまた違った芳醇な風味を
  奏でてくれます。 

 

 

  赤坂見附 「GALERIE CAFE」

  サラダがたべたくなって立ち寄ったお店。
  このお店の「グリーンサラダ」はかなりのボリュームです。 

  「体にもよい緑の野菜をたっぷりたべましょう」

  とはコピー文句だが、大皿にレタス、サニーレタス、イタリアンパセリ、貝割れ、オクラ、胡瓜。
  それにベーコンまでが盛られてました。
  Eオリーブ油をはじめ、バルサミュ酢などのドレッシングが冷たい野菜にうまく絡んでました。
 

 

  紀尾井町 日本料理 「なだ万」 (ホテルニューオータニ)

  ごく最近「なだ万」の朝食に新メニューが加わりました。
  「とろろ汁」です。
  きけば食材は群馬県産の"大和芋”だとか。

  小ぶりの、品のよい片口の漆器に入れたとろろ。青海苔が薬味に添えてありました。
  口あたりがよくて、とても美味しかったです。

   

  銀座 Bar 「サンボア」

   「サンボア」のハイボールは、サントリーの角も、ウイルキンソン炭酸ソーダーも、冷蔵庫で
   ギンギンに冷やしてある、という評判のお店です。
  飲み物がテーブルに運ばれたのと、ほぼ同時に地震がありました。
  かなり大きな揺れでしたよ。ハイボールどころじゃなかったです。
  その前に近くのレストランで相方と食事。でもそのお店は禁煙でした。
  ですからここで思いきりタバコが喫えたこと。スマホ(←相手方のです。)の充電ができたこと。
  トイレを借りられたこと。
  まあ以上3点がありがたかったでしょうか。 

 

   割烹「 東 」 (新橋演舞場B1)

   観劇の幕間にたべた幕の内「篝火」。
   劇場が築地市場に近いせいか、お造りがいつも新鮮です。
   この日は「竹の子の木の芽合え」の一品が美味。いってみれば季節の先取りです。
   それに「たらの芽」をさっと揚げた天麩羅の一品も。

   お値段が少々お高いですが、料亭の味を堪能したひとときでした。  

 

 

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今世紀白眉の舞台  ―仮名手本忠臣蔵 九段目―  (新橋演舞場)

2012-03-27 | 歌舞伎

 


「仮名手本忠臣蔵」十一段の中で、この「九段目」は最大の難曲といわれています。
しかも「九段目」はことのほか重い。

まず戸無瀬が敷きつめられた雪布の花道の"出”がとてもすぐれている。
本舞台の大石邸に向かって ひたすらに、真直ぐに歩いてゆく。
肚がずっしりと重く,意志の強さが見事に表現されている。
この曲の重圧こそが、戸無瀬という役の性根ではないだろうか。

そのニンにおいて、その品格において、まるで錦絵から出てきたような堂々とした戸無瀬であった。
この花道の出を見ただけで超一級の「義太夫狂言」を見た心地になる。

 

 

 藤十郎の戸無瀬 は竹本の有名な詞章「鳥類でさえ」 「共にひっそと」 

 「こう振り上げた手の内か」の三つのキマリに重量感があっていい。

 ことに「共にひっそと」は絶品。

 二重上手の刀を後方へ回してのキマリも鮮やかである。

 感心したのは、奥の物音を聞くという必死の性根がパッと出る。

 つまりは"型”だけでなく、そのウラに人間像がつくられているからである。

 

 

 

         


藤十郎(←画像/左)の戸無瀬が超一級の出来栄え。
義太夫狂言のツボを心得ているから、いいかえれば義太夫の詞のイキが身についているから、セリフ廻しを自在に芝居をはこぶ。
いってみれば、九段目を初めて見る観客にでも戸無瀬と娘小浪とは不義の仲だということがよくわかる。

幸四郎(←画像/右)の加古川本蔵も出色。
ニンのよさでは申し分なく、スケールの大きさ、その口跡のスバラシさではこの人の右に出る人はいないだろう。

 

   


菊五郎(←画像/左)の大星由良之助には誰もが思いもしなかっただろう。
初役とはいえさすが菊五郎、領分は心得ていてさっぱりと舞台を締めている。

福助(←画像/中央)の初役小浪も可憐でいい。
この役はとかく "謹んで務めるのが良なり”というヘンな芸談があるらしく、印象の薄い人が多い。
福助は自分の仕どころを十分に心得ての力演。

時蔵(←画像/右)のお石も初役とは思えない上出来。
先輩藤十郎を向うに廻して電光石火の大健闘。
萬屋さんらしい怜悧さ、厳しさが出たのは今までにないお石の味であった。 

 


「忠臣蔵 九段目」は異様な芝居である。

縁談が破断になったからといって、その家で娘を殺して母も死ぬ。

それもよそ様の邸宅の庭先・・・・・で。

また余談だが、この「九段目」の初演のあと、京都でこの芝居に似たような事件がおこった。

婚約破談になった家へ乗り込んだ兄が、花嫁衣裳の妹を刺殺する事件である。

これがまた、のちに小説になり、劇化されたそうだ。

 

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染五郎の荒川の佐吉   ー 三月 新橋演舞場 ― 

2012-03-26 | 歌舞伎

 
三月の新橋演舞場の昼の部は真山青果の『荒川の佐吉』、不朽の義太夫狂言の名作『仮名手本忠臣蔵』の九段目
どちらも弥生月にふさわしい趣きのある演目であった。

『荒川の佐吉』大詰の向島長命寺の堤では、舞台いっぱいに朝日に匂う桜が満開だ。
『仮名手本忠臣蔵』九段目では、雪の中を加古川本蔵の妻の戸無瀬が、娘の小浪をつれて、山科の閑居に、押しかけ嫁に来る場面で、輿入れの装束を着た花嫁の姿が、雪景の籠の中からあらわれるところは「谷の戸開し鶯(うぐいす)」のういういしさがあった。
この場面の雪はまさしく「春の雪」である。

 

 

 
さて、染五郎の佐吉は初役。
過去の上演では、佐吉は仁左衛門が当り芸として定評があった。
そのときの大工の辰五郎が染五郎だった。上出来の辰五郎であった。
『荒川の佐吉』が「子別れのお涙頂戴」の芝居ではないけれど、この辰五郎で客は泣くのである。
とえば『髪結新三』の勝奴にしろ、染五郎はどちらかというとシンを際立たせる芝居がとてもうまい。

今回は念願だった佐吉役。
自在に演じてはいるが、青果の描く「三下奴の孤独の哀しさ」が、見ていて伝わってこない。
このドラマを、一人の若者が一人前の男として、人間として生長していく過程としてとらえたか、どうかが問題である。

佐吉の孤独は、いってみれば誰もがもっている人生の孤独であり、それが見ているものの胸にひしひしとせまるのであるから。

                                            (画像上は序幕『両国橋のたもと』の一場面)

  

              

   

   

   


「ねんねんころりと子守唄を唄った・・・・・おれは辛かった・・・・」

佐吉のセリフである。
二幕二場(←画像/左)は佐吉のせりふにあるように、法恩寺橋畔で佐吉が子守唄を歌いながら赤子をあやしている場である。

ここで注目したいのが、この作品が書かれた当時長谷川 伸の『一本刀土俵入』、『瞼の母』と立て続けに発表された。
それの影響か、どうか知らないがこの場は長谷川 伸の『沓掛時次郎』 にどこか似ているような気がした。
そうはいってもこれは数少ない青果流のれっきとした「股旅物」である。

そこへ佐吉の親分である仁兵衛のイカサマが露見し、殺されたと徳兵衛(宗之助)が伝えに来る。
宗之助は最近立役が多いが、ただの適役にならずにうまく世話の人間をつくっている。
いつも思うのだが、師匠宗十郎を引き継いだ味のある芝居をみせてくれる。

この幕切れで佐吉ははじめて自分の孤独を知る。その孤独はまた赤子の孤独でもあった。

 

 

 

    


梅玉(←画像/左)の成川郷衛門が好演している。
佐吉がつい云った言葉がこの浪人成川郷衛門の心を動かして、佐吉の親分を斬らせるというプロセスが見ていてよくわかる。

大工の辰五郎は亀鶴(←画像/中央)、初役である。
序幕両国の茶屋で群集に混じっての”出”がよくない。影がうすいのである。それに散慢なのが気になる。
三幕あたりから”情”が出てきた。かつて『河庄』で三枚目役で傑作がある人だけに惜しい。

幸四郎(←画像/右)の相模屋政五郎はニンといい、貫禄があっていいのだが、佐吉説得の件りで言葉に重みが足りない。
もう少し肚のある突っこんだ芝居をしてほしかった。 

 

 


大詰は佐吉の家。、相政とお新(福助)を前にしての佐吉の述懐のある、この芝居のヤマ場。

憎悪、口淋しさ、愛情がうずまく青果独特の長セリフを芝居気なしで淡々と語ったのには感動した。
客席からも嗚咽がもれていた。
しかしだ。相模屋政五郎に卯之吉(←盲目の赤子。この場では5歳に生長している。)の将来を考えろという件りで、相模屋政五郎の言葉ひとつひとつに重みがないために芝居がいまひとつ盛り上がらなかった。

福助(←画像/中央)のお新は当り芸。
いかにも大店(おおだな)の女将さんらしい風情がある。芝居も丁寧だし、しっとりと品がある。
ただ、佐吉の「乳をさがして泣き立てられるとね・・・・」のせりふで、お新が自己の乳房にふれる所作はしないほうがよい。
新派めいた芝居になる。

 


終幕・・・・一生三下奴で暮らす覚悟をきめた佐吉の旅立ちの場である。
佐吉の気分は爽快である。花道七三で、   

         「やけに散りゃがる桜だなぁ・・・・」

このせりふはやり過ぎ、つくり過ぎである。
本舞台で見送る、卯之吉と辰五郎、相政とお八重らとのバランスを考えた「極めせりふ」であるべきだろう。

ほかに隅田の清五郎の高麗蔵は生彩に欠き、梅枝のお八重は5年後も変わりばえがしない。錦吾の仁兵衛はスケールが小さく、焦燥感が足りない。

 

★ 長~いおしゃべりになっちゃいました。
   最後までお付き合いいただき感謝いたします。
   よって『仮名手本忠臣蔵 9段目』のおしゃべりは次回にさせていただきます。★

 

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在日一家の苦悩骨太に!!  鄭義信『パーマ屋スミレ』  ―新国立劇場ー

2012-03-20 | 演劇

 


まず冒頭の画像をご覧ください。
初台の新国立劇場で上演されている鄭義信作・演出『パーマ屋スミレ』のミニチュアセット(←伊藤雅子・装置)です。
1960年代半ばの九州の炭鉱町の理容店が舞台。
ヤマの事故で塗炭の苦しみをなめる人々の愛と離別の全7場の物語が、この理容店で繰り広げられます。

客席と一体感のある理容店の装置は、豚のにおいに包まれる貧しい路地に連なります。
舞台下手の共同井戸、そして共同便所、劇の進行中なんどか動くポンコツ自動車・・・・。

井戸からは水の気配がする場末の路地は、鄭義信さんが一貫して劇の起こる場としてあつらえた原風景でもあるわけです。
そういえば、ビートたけし、オダギリジョーの映画 『血と骨』とよく似たセットでした。
この映画の脚本も鄭義信さんで、その年の「優秀賞」に輝きました。

朝鮮戦争の特需に沸く1950年代の港町が舞台の『たとえば野に咲く花のように』。
そして万博があった70年代、高度成長期に翻弄された在日コリアンの家族を描いた前作『焼肉ドラゴン』。
時代的には前2作品の中間となる1960年代半ばの九州の炭鉱の人びとを題材に書き下ろした新作『パーマ屋スミレ』、いわば 鄭さん3部作の「完結編」ともいえます。

またちょっと余談になりますが、私が鄭作品が大好きな理由は、一つはいつも観客を笑わせるスタンスを崩さないことです。
鄭さんの舞台にはいつも「笑い」があります。今回も舞台を見るまえにホンを読んだのですが、クスッ、クスッと笑いがとまりませんでした。
鄭さんにそれをいうと

「関西の哀しい「吉本」育ちですから」

ちなみに今回主役の南 果歩さんも「吉本」のご出身だそうです。

次に、鄭さんの作品のなかに匂うリリシズムがたまらなく好きです。
それと鄭作品に共通するのは、野に咲く花のように、とりわけ路地に咲くタンポポに似た生命力、けなげさは、鄭さんの根っこからの優しいまなざしから生まれると思うんです。

 

  『パーマ屋スミレ』 ―あらすじー
  ▼
  
1965年、九州。 「アリラン峠」とよばれた小さな町があった。
  
  そこから有明海を一望することができた。

  アリラン峠のはずれにある「高山厚生理容所」には、元美容師の須美とその家族たちが住ん

  でいる。

  須美の夫の成勲は炭鉱での爆発事故に巻きこまれ、CO患者(←一酸化炭素中毒患者)と

  なってしまう。須美の妹の夫もまたCO患者に・・・・。

  須美たちは自分たちの生活を守るために、生きてゆくために必死の闘いをはじめた。

  しかし 石炭産業は衰退の一途をたどり・・・・・

  (←画像は新国立劇場ロビーに展示された「パーマ屋スミレ」パンフの原画) 

 


さて、舞台である。
九州では炭鉱で働く朝鮮人の山間の集落を”アリラン峠”という。
そんな峠に住む 果歩が演じる須美を主人公に、長女の初美(根岸季衣)、三女の春美(星野園美)。
そんな三姉妹を中心に、つまり在日世から三世までが登場します。

「家族の中に三十八度線が敷かれ、おまけに玄界灘まで横たわっとるとね」

なかでも南 果歩、根岸季衣の演技はたくましいが、南 果歩にもう少し泥臭さがほしい。
それは「声高のメッセージ」ではなく、ごく”当たり前”の生き方のなかに、深い歴史を背負いながら、、それぞれの時代の風景のなかに生きてゆく、その空気感のようなものが感じとれました。 

 

 

CO中毒(一酸化中毒)で須美と春美の夫が体をむしばまれ、妻を苦しめる構図が痛々しい。

ことに三女春美とその夫昌平(森下能幸)は仲睦まじい夫婦として描かれ、のちにCO中毒で、地獄模様と化す作者の運びはえぐるように鋭い。
現在公演中ですから、詳しくは書けませんがとにかく泣けちゃいます♪

 


なかでも須美の夫成勲の松重 豊が後半になってから上出来。
ことに中毒症状で体が衰弱する難しい演技も説得力が充分あった。
抑えに抑えた演技から無念さが滲む。

成勲の弟で、やはり事故で足が不自由な英勲の石橋徹夫も抜群の演技力ですばらしい。ややありきたりだが兄嫁の須美(南果歩)に欲望を抱き、絶望 的な三角関係に陥る。結局は明日のない北朝鮮に旅立つのだが・・・・・。

成勲の松重と弟英勲が殴り合う兄弟げんかの場は秀逸であった。
激しければ激しいほど悲しい現実・・・・。
その場には生き物としての人間のにおいを見たようでした。

終幕・・・・・町に残った須美は、車いすの夫成勲を床屋椅子に移してひげを剃る。
この町で理容店をまもってきた祖父の『生きていかなならん』のひと言は、辛苦を嘗めつくした在日コリアンの魂の叫びなのだろうか・・・・。
須美の夢は「パーマ屋スミレ」の開店だった。名前は須美という自分の名前からとったという。
その花言葉は「小さな幸せ」だそうだ。ここにも鄭ワールドが息づいています。
                                      

                                        (2012年3月14日  新国立劇場にて所見)                                         

 

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万太郎の世界 ふたたび 『十三夜/不幸』  ―みつわ会公演―

2012-03-16 | 演劇


東京・品川から京浜急行で、およそ5~6分ほどで「新馬場駅」。
駅からすぐののところに「六行会ホール」という小さな劇場(こや)がある。
そこで毎年、「みつわ会」が久保田万太郎の作品を上演しており、定着してきたようだ。

15回目をむかえた今年は、久保田万太郎が最も敬愛した作家・樋口一葉原作の『十三夜』。
人間の幸、不幸とはを問いかけ、関東大震災の翌年発表された『不幸』の二作品。

いずれも万太郎得意の手法で、いま失いかけている下町の香りを放った、朗読劇のような端正な舞台であった。

『十三夜』は私にとって取りわけ思い入れが深い演目である。
樋口一葉の小説を万太郎の世界に移しかえた二場からなる舞台。

劇が進行しているあいだ、いつも十三夜の月の光がさしている。歌舞伎の「引窓」にも匹敵する「月」のしばいでもある。
ことに、主人公のせきが実家の玄関を出はいりする時に、格子戸にさす影が、この芝居の一つのモーメントではないだろうか。

残念ながら、狭い舞台のためか玄関は省略して、おくの一間だけの装置だが、縁側に飾られた月見だんごの三宝に月の光をしぼった中嶋八郎の端正な美術は見事だった。

 


明治中期の旧士族の家という設定だが、それぞれの登場人物が現在的であるのが気になったが、おおげさな新派劇にしないで、淡々と演じていたのには好感がもてた。

父親の斉藤主計は鈴木 智(←画像/右上)。
元官吏らしい厳格なところを見せていた。

母親のもよの菅原チネ子(←画像/左上)は往年の夏川静江を思わせる女優さんだが、もう少し芯がほしかった。

せきの大原真理子(←画像/下段右)は平凡。もっと芝居をしてもよいのではないか。
ことに録之助との上野山中の出逢いで、感情移入が多いためか、会話のテンポがよくないのが惜しまれる。

対する録之助の世古陽丸(←画像/下段左)だが、いまは零落れた車夫を強調するあまり、全体にトーンが暗く、しかも爺くさい。
かつては、せきが惚れた男なのだから、その面影を見せる”役づくり”がほしい。

今回の『十三夜』で感心したのは、せきの弟亥之助の澤田和宏(←画像/下段中央)。
よかったのは2点ある。
一つは幕開きから板付きで父親のすぐ傍で夜学に行く用意をしていること。
これで弟が夜学生であることが一目でわかる。

あと一つは上野山中で、姉のせきと録之助を見かけて幕がおりるのだが、口笛を吹きながら舞台を横切って、途中で一度立ち止まって、「姉さんではないだろうか?」と佇む動作が実にうまい。
これでこそ幕が下ろせるというものだ。余韻を感じさせた見事な終幕であった。

アマチュア演劇だったか、口笛を吹きながら、まったく同じテンポで舞台を横切っただけの役者がいた。
これも余談だが、『十三夜』で高坂録之助を演るというので、たまたま持っていた先代松本幸四郎(←白鵬)の録音テープをK君に貸した。
もちろん録之助は幸四郎、せきは初代の水谷八重子だったと思う。

後日、本番で上野山中の録之助はKくん。幸四郎バリで

ちょうど今夜は十三夜!!」

幸四郎の物まねをやってのけた。
これでは「くさい芝居」といおうか、「ドサ芝居」である。
その場の鐘の音だけは、ほんとの上野は寛永寺の鐘の音であったそうだ。 

 

 ←『不幸』は大正13年の作。
 舞台は大正3年ごろの向島。没落した新三郎の仮住まいである。

 こちらは戯曲そのものがしみじみした万太郎独特の世界。
 一幕だけの小品だが、時候も今の肌寒い弥生の宵のひとこま。
 お雛様だの、長命寺の桜もちなどの風俗描写がこまかい。

 主人公の義兄を演じた菅野菜保之は「みつわ会」公演の常連。
 ベテランだけに、会話のテンポ、間のよさはさすが。

 それに女中の柴崎まり子がよい。いかにも下町育ちの匂いがある。

 幕切れも、万太郎好みのしみじみした下町の香りを感じた舞台。

 二作品とも新派の大場正昭の演出。泰和夫の音響がすばらしい。

 

 

 

 

ロビーに飾られたフアンからの花輪

                                  (2012年3月13日   品川・六行会ホールにて所見)

 

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