Dream Gate ( 中野 浚次のブログ )   

本日はようこそ開いてくださいました!お芝居のことグルメを語ります!


          

低調だった上方歌舞伎会     =国立文楽劇場=

2010-09-25 | 演劇








若い俳優たちが情熱をたぎらせる「上方歌舞伎会」も今年で20年目を迎える。

この節目に上方歌舞伎の色濃い『夏祭』の通しでも上演すろのかと少しは期待していた。
ところがフタをあければ、今回で3度目になる『対面』『戻籠』 『寺子屋』の三本立である。

『菅原伝授手習鑑』では、4段目の『寺子屋』は今回が初めて。
『菅原』でも『車引』が上演回数が最も多く、『賀の祝』 『加茂堤』と続く。


初演の『寺子屋』に期待して行ったが、全体的にサラサラと淡彩で格別面白いところもなかった。



  松王女房 千代 ・片岡扇乃丞



まず「寺入り」からの上演。
扇乃丞の千代だけが一頭地を抜いている。
門口で小太郎に袖をひかれるところも、これが一世の別れかと緊張感に満ちている。
花道七三の扇子で顔を隠すところなど、格別の技巧を凝らさず、じっとしていても母親の気持ちが如実に観客に伝わってくる。
それと、源蔵に切りかけられようとした時の、思い入れが実にうまい。
苦言を一つ。
どういうわけかクドキが散漫。
義太夫狂言だから、やるところははっきりやって欲しい。


対する松王の松之助が芳しくない。
ニンでなく気の毒だが、今のメンバーでは、松王はこの人以外には見当たりそうにない。
ことに門口で上半身がゆれるのは病気を強調しているのだろうが、それでいてセリフは張りすぎる。
行き当たりばったりで、すべてがチグハグ。
   
「桜丸が不憫でござる」

これまでの過去が見えてこない。上っ面だけのセリフになってしまっている。
泣き笑いも大落しも引ッ立たないことおびただしい。


  武部源蔵 ・片岡千志郎





千志郎の源蔵は大車輪の熱演だが、前半の見せ場で、戸浪とのイキが合わず、夫婦の切羽詰った迫力がない。
情が出る『寺子屋』らしいこの場面も白けすぎ。


段取りだけを消化しているのが千壽郎の戸浪。
バタバタしているのだけが目立って不出来。
だから全体に影が薄くなる。


  御台 園生の前 ・片岡りき彌




感心したのはりき彌の園生の前。
駕籠からの「出」が抜群にうまい。
普通なら駕籠を出て「秀才や・・・」と門口に駆け込むパターンが通例である。
りき彌は駕籠から出て、静止する。
歌舞伎の芸で大事なのは「出」「引っ込み」
りき彌はこの「出」を強く印象づけたのは秀逸だった。
なぜなら静止することによって、役の格を示すのである。
管丞相の御台所という、品と位が大事なことはいうまでもない。
りき彌の園生の前は終始神妙で、終幕でも絵面になっていた。


                                 (2010年8月21日 夜の部 国立文楽劇場で所見)




           ▼ こんな写真も撮りました ▼


                                                         



”上方歌舞伎会”観劇の幕間はいつも「文楽茶寮」。

オーダーしたのが「松花堂弁当」。
およそ”松花堂”の概念では考えられない見栄え。
「松花堂」というよりも、○○御膳か、××御膳!!

これだけを幕間20分でたべるのはムリ。
季節柄、はもの湯引きだけが美味しかったです。

画像newしました!!
(画像  舞台写真は国立文楽劇場提供によるものでございます)

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吾亦紅 (われもこう)

2010-09-19 | 本日の○○






はじめは、なにかの実だと思っていた。

何本かにわかれた枝の先に、黒っぽい紅の球状に集まった小花をつける。

吾亦紅だ。

花とよぶやわらかな情感はこの花にはない。

深い黒紅の色は咢、花びらは持たない。






数日前、友人から個展の案内状が届いた。
個展会場は播州の龍野である。
10年ぶりの龍野に懐かしさがこみあげて、出かけることにした。

個展を見たあと、風の心地さを感じながらしばらくは散策してみることにした。

まだ夏草の繁る揖保川の川原に「われもこう」をみつけました。

その花だけを見ると、愛想のよくないは花だけど・・・
色とりどりの花とともに咲いていて、決してさびしい佇まいではない。

その花びらを棄てた強い個性が・・・
美しいとはお世辞にもいえないが、独特の面白さを見せている。







「われもこう」に赤とんぼが・・・・・・。

さすが「赤とんぼの里」とよばれた龍野ですね。

そう。だれもが口ずさんだ『赤とんぼ』の作詞者である三木露風が、生まれた故郷なんです。







『吾亦紅」は寂しい花である。


そのしゃがれた花が、なぜか寂寥感をそそる。

「われもこう」といえば、「枯淡」ということばが充てはまる。
だから、年若くして惹かれぬ花かもしれない。

この花がイバラ科に属していたのは、意外だったというしかない。


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宝塚に「男子部」があった!!  ☆ 再々演の『宝塚ボーイズ』 ☆

2010-09-14 | 演劇







いきなり掲げたイケメンのお兄さん方・・・・
新宿・歌舞伎町あたりにあるホストクラブの看板ではありません。

再々演された『宝塚ホboys』のステージに立った新星ボーイズの面々です。

上段左より  浦井健冶  杉浦太陽  黄川田将也
下段左より  東山義久  藤岡正明  瀧川英次  石井一彰


兵庫県立芸術文化センターで見てきました。
初演はル テアトル銀座で、そして再演は日比谷のシアタークリエで。
懲りもせず今回で3度目の『宝塚boys』でした。



僕たちは忘れない!!

夢を追い求め、泣いて笑った青春の日々を。


宝塚歌劇団に「男子部」が実在したことはほとんど語られていません。
昭和20年「明日の宝塚スター」を夢見て集まった、個性豊かな若者たち。
彼らの、9年間の軌跡を描いた、3回目の『宝塚boys』。
彼らの夢、それは宝塚大劇場のメインステージに立つこと。
しかし歌劇団内はもちろん、観客の大半は「男子部」に反対だった。
そんな、boysのちょっと可笑しく哀しい青春グラフティだった。



          


2007年の初演から3年。
初演当時の宝塚boysのうち再演(2008)で3人、今回の再々演では、7人全員がメンバーチェンジ。
男子部の面倒をみる歌劇団の経営畑の山路和弘(←画像/左)。
男子寮でまかないの世話をしたりして、彼らを温かく見守る掃除婦のおばさんに初風 諄(←画像/右)。
このベテラン両人は、初演時より同じ役で出演、なくてはならない存在となっている。






原作本『男たちの宝塚』                初演、再演のDVD 再々演は予約中





3回目の『宝塚boys』の魅力とは



まず第一に、中島敦彦の台本がすぐれていることを挙げたい。
人情味のある喜劇を得意分野にしている脚本家で、ことに昭和にこだわった作品には、その手腕に定評がある。
今回の原作は小説やコッミクではない。
地方紙に書かれた連載のコラム記事にすぎない。

「宝塚に男子部があった」という歴史的事実だけを、
「頑張ったけど駄目だった男の話」を、
これだけではドラマチックな展開どころか、芝居にならない。

戦争が終わった時代だからこそ、新しい時代の象徴として宝塚男子部への夢を持ち、そして死んでいった戦友たちの分も懸命に生きようとする。
いつの時代でも経験するであろう青春の苦さ、挫折。
つきつめて話せば、原作のシチュエーションだけを借りて、「頑張っても駄目な時」のかけがえのない清らかな光が、胸を打つ青春群像に新たな命が吹き込まれたといえよう。



第二に、群集劇が得意な鈴木裕美の演出に負うところが大きい。
出演者の一人一人のキャラが立ち、いまひとつ時代の熱気が伝わらない欠点があるにせよ、
宝塚boysが、悩み、へこたれ、誰かをいじめたり、からかったり、大汗をかきながら稽古をしている一人一人が実に魅力的。
笑いとペーソスが絶えない熱気の舞台だった。
ちなみに、この舞台で鈴木裕美さんは、読売演劇大賞演出家賞、菊田一夫賞を受賞している。






男子寮の一場面




タップダンスもプロ級でしたよ!!


ラストのレヴューシーンは、夢破れた男の話だけに、救いだった。

大汗をかいて、ひたむきにむき合う姿勢が胸を打つ。






ボーイズたちが羽根をしょって大階段を降りてくる。
初演では、冗長さが目立ったが、3回目にしてコンパクトにまとまった。
ダンスの難易度はともかく、それらしく歌って踊る。みんなすごい汗だ。

このエンディングでお客さんがものすごい拍手だった。

それは、出演者やスタッフという舞台の人だけではない。
実際の散って行った宝塚「男子部」のみなさんへという気持ちを込めた拍手だった。




                        (2010年9月4日  県立芸術文化センター・阪急中ホールで所見)


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「亀治郎の会」見てきました!!  ー京都造形芸術大学・春秋座ー

2010-09-07 | 演劇







第8回「亀治郎の会」の京都公演では、『上州土産百両首』と舞踊劇『魚樵問答』の二本立。

『上州土産百両首』は手ッ取り早くいえば、しっかり者の正太郎と間抜けな牙次郎の兄弟愛。
幼馴染の正太郎(亀治郎)と牙次郎(福士誠治)が共にスリ稼業から足を洗い、十年後の再会を誓う物語である。

私は、かつて亀治郎の伯父猿之助の正太郎、勘三郎(←当時は勘九郎)の牙次郎で歌舞伎座で見ている。平成6年だった。
当時も好評を博した演目だった。

今回の上演では、正太郎と牙次郎に重点をおいて、新しく序幕に夢の場面を加えるなど、より現在的センスで作品の新境地を開いた。

出演者では、テレビ畑の福士誠治、渡辺哲の共演、紅一点の女優・守田菜生も参加して、『上州土産百両首』の平成バージョンに生まれ変わった。
また上方人気女形の上村吉弥をはじめ、亀鶴、門之助など若手実力派の歌舞伎俳優が脇をかためている。








「これって歌舞伎なの?  なんだかお弁当付の大衆演劇みたい!!」


(幕間のロビーで若い女性仲間がささやいてました。)


確かに歌舞伎のレベルからいえば、不満があるかもしれない。
しかし大方の観客が、エンターメント劇としてずっしり感動を受けたことは、これまた歪めない。
「亀治郎の会」という自主公演であるからこそ成し遂げたのだと思いたい。


亀治郎
は守備範囲の広い歌舞伎俳優だと誰もが云う。
本公演では女形の大役を芸欲たくましく次々と演じ、今秋には蜷川幸雄演出『じゃじゃ馬馴らし』に出演が決まっている。
今回は自らのプロジュースによって、かつて猿之助が務めた正太郎役に挑戦した。
こねまわさず、背伸びせず、等身大で素直に演じたのがいい。
感心したのは、相手役の牙次郎(福士誠治)となんら違和感を感じさせないことである。
それと、声柄が伯父猿之助にそっくりで、見ていて「アッ!」とした瞬間が何度かあった。
しかも要所では歌舞伎味を堪能させた。

対する福士誠治の牙次郎の間抜け役がウマい。
頓馬でいて実はちゃっかりしたところがあるという役どころは、まさに難役である。
誰かの真似をすることなく、自分なりの牙次郎をよく工夫した結果が出ている。
亀治郎一人の独壇場にさせなかったのも、やはり牙次郎の演技に負うところが大きい。


亀鶴の三次は、持ち役である『曽根崎心中』の九平次とは一味違ったニヒルさを出した。
芝居の運びがキッチリしているのがいい。
吉弥の勘次女房も岡っ引きのおかみさんらしい。
鉄火な姐さんになっていた。
渡辺 哲の与一は、この人らしい人情味が出てよかったが、一本調子になるところがいくつかある。
その分物足りない。
今回の拾い物は、勘次の門之助
久しぶりの立役である。キッパリと岡っ引らしいのがいい。それでいて緊迫感がある。
この種の役は大した役でないようで実は舞台全体に響くから難しい。
本舞台から主人公二人を見送る大詰は、幕切れにふさわしく、かっこよかった。
よゥ!! 瀧乃屋!!である。


                              (2010年8月24日   京都造形芸術大学・春秋座で所見)



         ▼ こんな写真も撮りました ▼








地下鉄「北大路」でタクシーを拾い、「京都造形芸術大学」と行先を告げると、気のよさそうな運転手が・・・・

            「あそこの大学はだいぶ変わった大学ですわ」

そりゃ変わっているでしょう。構内に「芸術ホール」という花道付きの劇場を持っている大学なんだから・・・

「芸術ホール」は正式には「春秋座」というらしい。
その「春秋座」があるのが「人間館」という建物。
人間館1階の春秋座前で、「亀治郎の会」開演前のひととき・・・
大学の長唄三味線部「丈山会」が演奏を披露。

「亀治郎の会」に出演している三味線方さんが何人か見えてました。

           「うまいなあ!!」


三味線のプロが「うまい!!」と唸ってるんだから・・

せいぜいおきばりやす!!

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・ 悼 ・ 世界でいちばん好きだった作家  ー三浦哲郎さんを偲んでー

2010-09-05 | 特別バージョン
        

         =在りし日の三浦哲郎さん=



作家の三浦哲郎さんが亡くなられた。79歳だった。

三浦哲郎という名前は知らなくても、小説『忍ぶ川』の作者だといえば、どなたもご存知であろう。
料理屋で働く志乃という女性と大学生の恋を描いた叙情性の高い作品は栗原小巻さん主演の映画でも評判を呼んだ。

今日から見れば、古風すぎるほどの純愛物語だが、『忍ぶ川』が発表されたのは、高度成長で世の中が浮かれていた時代であったから、あの端正なまじめさは、かえって新鮮に見えたのであろう。







著者にサインしてもらった貴重な初版本




あまり知られていないが『十五歳の周囲』という三浦哲郎さんの処女作がある。
この作品がたまたま雑誌『新潮』(全国同人雑誌小説特集)に掲載されていて、むさぼるように読んだ時の感動を、忘れない。わたしは十七歳だった。

「たった一度だけ、遺書を書いた経験があります」

冒頭の一行は、今もわたしの脳裏に刻まれている。
東北の寒村を背景に、家族の系図を臆することなく誠実に綴った私小説だった。

この小説が三浦哲郎という作家との最初の出会いであり、「私小説」というジャンルがあることを知ったのもこの頃だった。





神楽坂の「山田家」の原稿紙に書かれた直筆の原稿




「夕立に洗われた並木の若葉が、点りはじめたネオンを宿して瞬いていた。
いちど人の流れが途絶えて鳴りをひそめていた歩道も、いつしかまた元の賑わいを取り戻していた。

ーびっくりさせやがって・・・・・・・・。

運ばれてきた紅茶にレモンを滑り込ませながら、彼は唇の端をわずかにゆがめた」


初期の短編『あめあがり』の冒頭である。
銀座の並木通りあたりにあるカフェからであろうか。
さきほどまで降っていた雨も上がった舗道を見た描写である。

何の技巧もない。しかしあたかも自分が見ているような臨場感のある文章である。
わずか900字程の短編で、主人公の「彼」が昔の恋人に偶然出逢っただけのストーリーだが、リアルタイムで語られる。恰も自分たちが小説の中にいるような、そんな錯覚に捉(とら)われるのです。

『忍ぶ川』から39年。
ういういしい洗い立ての白絣のような文章。隠し味のような叙情性。
句続点の打ち方一つまで研ぎ澄まして独自の文体を貫き通した作家だった。
おそらく、これだけの作家はこれから出てこないだろう。

短編『あめあがり』は、こう結ばれている。

「約束の時間はとうに過ぎているのに、待ちびとはいっこうにあらわれない・・・・・・・」




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