こんばんは。守破離カイロプラクティックの長田です。
今回の震災を関東で体験し、その後ニュース等で東北の状況を知ったとき、「あ、ボランティアに行こう。」と何の気負いもなく、そんな想いが自然と自分の中に湧いてきました。
なにか特別なことをするという感覚ではなく、部屋が散らかれば片付けをするように、震災に遭ったなら復興する。=そこにボランティアに行く=あたりまえ そんな感じでした。
しかしいざ行く、と決めても部屋の片付けのようにすんなりと事は運ばず、そのうちボランティアに対してもいろいろ賛否がでたりして。
自分自身の「行こう!」という考えにブレはなかったですが、どういう形で、何をしに、といろいろ考えました。
行くこと自体難しくなりつつある状況で、いろんな人達のお力添えによって行く事ができました。
僕がおこなった行動、活動、ボランティアは果たして正しかったのか?それは自分ではよくわかりません。
でも行ったことで向こうにかけがえのない友達が出来ました。
来月もまた行ってきます。
大切な友達が被災地で絶望の淵と戦いながら、前を向いて必死でがんばっているのを黙って見ているわけにはいきません。
もう迷いは無いです。
←ここにボタンがある=押す=あたりまえ そんな感じでよろしく。
今回の震災を関東で体験し、その後ニュース等で東北の状況を知ったとき、「あ、ボランティアに行こう。」と何の気負いもなく、そんな想いが自然と自分の中に湧いてきました。
なにか特別なことをするという感覚ではなく、部屋が散らかれば片付けをするように、震災に遭ったなら復興する。=そこにボランティアに行く=あたりまえ そんな感じでした。
しかしいざ行く、と決めても部屋の片付けのようにすんなりと事は運ばず、そのうちボランティアに対してもいろいろ賛否がでたりして。
自分自身の「行こう!」という考えにブレはなかったですが、どういう形で、何をしに、といろいろ考えました。
行くこと自体難しくなりつつある状況で、いろんな人達のお力添えによって行く事ができました。
僕がおこなった行動、活動、ボランティアは果たして正しかったのか?それは自分ではよくわかりません。
でも行ったことで向こうにかけがえのない友達が出来ました。
来月もまた行ってきます。
大切な友達が被災地で絶望の淵と戦いながら、前を向いて必死でがんばっているのを黙って見ているわけにはいきません。
もう迷いは無いです。
←ここにボタンがある=押す=あたりまえ そんな感じでよろしく。