令和7年農暦元日、おめでとうございます!
乙巳(きのと・み)は、復活と再生の意味とか、
また、これから新しい事が始まる、とも謂われます。
乙は、語源的には「いっぱい詰まる」「腹中が充実する」義で、
そこから新しい物事が発生してくるイメージに連なってまいります。
乙のルーツは「太乙」の乙で、先天炁胞の充実状態とも言えるでしょう。
経典には「盈虚に於いて止すれば、物々は乃ち始まる」とのお言葉もあります。
具体的な修養では、ふわっと虚を感じて炁が充してくる状態を保つ練習を続けると、
必要な物事、真霊も身体機能の回復も、何事も全てが始まってくる、という道理です。
と私は確信して続けており、また実感を得た上で皆様にもお奨めしているわけです。
そのような道理が具現化する時期にいよいよ入るという実にめでたい日をご一緒に
今、迎えています。ですから、その恩恵を十分に頂けるようにしたいものですね。
それにはどうすれば善いか、もうお解りでしょう。自己の本心、元霊に従い、
全てのルーツの先天炁のシステムを信じて誠を尽くす志で修坐をする事ですね。
簡単と思えば簡単ですが、他者に代ってもらえず、自己自身の実行が必要です。
さて、巳の文字についても観てみましょう。巳の文字は己(キ、コ、おのれ)や
已(イ、すでに)と似ていますがコが閉じています。甲骨文字では子に近い形で、
小さい子ども、胎児とも繋がり、囟門の囟とも関連すると語源辞典にあります。
囟門は解剖学では泉門とも呼ぶそうで、経絡の百会とは位置も概念も別です。
胎児や新生児の頃にそこからエネルギーが導入される重要な門です。そして、
真坐の時も同様の意味で超重要かつ超特殊ですので、妙窔と謂われています。
自己固有の真霊を孕育するのは、囟門の他で妙窔と呼ばれる玄関の奥です。
けれど、修坐の順序として、先に神経を鎮め安定させる事が必要ですから、
後天の性を空するか又は一定に集中するために囟門を用いる事は有益です。
また、太乙北極真経の巳集はサイクルのお話が説かれます。例えば地球では、
水は雨となり、雨が川となり、海となり、また蒸発して空へ帰って雲となり、
再び雨となります。その様な天地の運輪のシステムのお話になっています。
経典は修養者を導く事が主旨ですから、小天地、小宇宙とも呼ばれている
人体の運輪システムをどのように管理すれば善いかというお話になります。
結論を申せば、サイクルに振り回されない意識レベルになれば善い訳です。
その為の一方法として、巳に潜む「胎息」の意味を噛みしめてみましょう。
色々な物事に溢れた人生の時間を巻き戻して、胎児の時の感覚を思い起こす、
それが難しければ、静黙を追求してゆくのも同じ方向になると思われます。
あるいは、自己自身の最もハツラツと輝いていた時期の様子を思い出して、
その新鮮で明るく前向きな気持ちを再感覚してみるのも宜しいでしょう。
それは言い替えますと、感覚的に「原点に戻る」練習かもしれません。
この世界で実行したい事、実現したい事を考えてみる、あるいは既に
天命を自覚されている方達は、志を新たにされるのも有意義でしょう。
令和7年の7は区切りを示す数です。そして、始まりを告げる数です。
巳の原点も全ての原点も、先天一炁と言ってしまえばそれまでですが、
自己自身の原点は、固有の生命の始まる時点でしょう。その一点を想い、
静かに静かに意識の鎮まりを感じるのが胎息への早道かもしれません。
このように、小さな輪や大きな輪が回転しながら、結局は囟門や玄関の
静黙の話に戻ってまいります。なので、どこから始まっても良い訳ですが、
妙窔の静黙から始まりますと、適正な起動が自然にできやすいでしょう。
そのような感じで、今年の始まり、一日の始まり、一瞬一瞬の始まりを
少し意識するだけでも、きっと有意義な日々が続いてゆくでしょう。
今年は特に、次々と起こる始まりを楽しんでまいりましょう!!
乙巳(きのと・み)は、復活と再生の意味とか、
また、これから新しい事が始まる、とも謂われます。
乙は、語源的には「いっぱい詰まる」「腹中が充実する」義で、
そこから新しい物事が発生してくるイメージに連なってまいります。
乙のルーツは「太乙」の乙で、先天炁胞の充実状態とも言えるでしょう。
経典には「盈虚に於いて止すれば、物々は乃ち始まる」とのお言葉もあります。
具体的な修養では、ふわっと虚を感じて炁が充してくる状態を保つ練習を続けると、
必要な物事、真霊も身体機能の回復も、何事も全てが始まってくる、という道理です。
と私は確信して続けており、また実感を得た上で皆様にもお奨めしているわけです。
そのような道理が具現化する時期にいよいよ入るという実にめでたい日をご一緒に
今、迎えています。ですから、その恩恵を十分に頂けるようにしたいものですね。
それにはどうすれば善いか、もうお解りでしょう。自己の本心、元霊に従い、
全てのルーツの先天炁のシステムを信じて誠を尽くす志で修坐をする事ですね。
簡単と思えば簡単ですが、他者に代ってもらえず、自己自身の実行が必要です。
さて、巳の文字についても観てみましょう。巳の文字は己(キ、コ、おのれ)や
已(イ、すでに)と似ていますがコが閉じています。甲骨文字では子に近い形で、
小さい子ども、胎児とも繋がり、囟門の囟とも関連すると語源辞典にあります。
囟門は解剖学では泉門とも呼ぶそうで、経絡の百会とは位置も概念も別です。
胎児や新生児の頃にそこからエネルギーが導入される重要な門です。そして、
真坐の時も同様の意味で超重要かつ超特殊ですので、妙窔と謂われています。
自己固有の真霊を孕育するのは、囟門の他で妙窔と呼ばれる玄関の奥です。
けれど、修坐の順序として、先に神経を鎮め安定させる事が必要ですから、
後天の性を空するか又は一定に集中するために囟門を用いる事は有益です。
また、太乙北極真経の巳集はサイクルのお話が説かれます。例えば地球では、
水は雨となり、雨が川となり、海となり、また蒸発して空へ帰って雲となり、
再び雨となります。その様な天地の運輪のシステムのお話になっています。
経典は修養者を導く事が主旨ですから、小天地、小宇宙とも呼ばれている
人体の運輪システムをどのように管理すれば善いかというお話になります。
結論を申せば、サイクルに振り回されない意識レベルになれば善い訳です。
その為の一方法として、巳に潜む「胎息」の意味を噛みしめてみましょう。
色々な物事に溢れた人生の時間を巻き戻して、胎児の時の感覚を思い起こす、
それが難しければ、静黙を追求してゆくのも同じ方向になると思われます。
あるいは、自己自身の最もハツラツと輝いていた時期の様子を思い出して、
その新鮮で明るく前向きな気持ちを再感覚してみるのも宜しいでしょう。
それは言い替えますと、感覚的に「原点に戻る」練習かもしれません。
この世界で実行したい事、実現したい事を考えてみる、あるいは既に
天命を自覚されている方達は、志を新たにされるのも有意義でしょう。
令和7年の7は区切りを示す数です。そして、始まりを告げる数です。
巳の原点も全ての原点も、先天一炁と言ってしまえばそれまでですが、
自己自身の原点は、固有の生命の始まる時点でしょう。その一点を想い、
静かに静かに意識の鎮まりを感じるのが胎息への早道かもしれません。
このように、小さな輪や大きな輪が回転しながら、結局は囟門や玄関の
静黙の話に戻ってまいります。なので、どこから始まっても良い訳ですが、
妙窔の静黙から始まりますと、適正な起動が自然にできやすいでしょう。
そのような感じで、今年の始まり、一日の始まり、一瞬一瞬の始まりを
少し意識するだけでも、きっと有意義な日々が続いてゆくでしょう。
今年は特に、次々と起こる始まりを楽しんでまいりましょう!!
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