永遠の生命、安心

永遠の生命と永遠の安心を得る方法を紹介します。

形坐の時間 (きらく仙女さんの日記の転載)

2024年05月05日 | 日記
新緑の爽やかな季節になりました。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?

私は先月から形坐の時間を増やしております。
坐を行う条件は各人それぞれ異なるでしょうけれど、
ご参考までに、思い付いた事を少々お伝えいたします。

心坐はどれだけ長時間でも善く、できれば常に行うのが理想
と謂われます。それが無理な状況で心身を善い状態にするために、
効率の良い形坐を1日1回以上行うように伝授されている訳ですね。

道院の形坐の時間は、最初は4度=16分を百日とされています。
それは本格的に坐をする準備段階のような期間とも言えるでしょう。
それが順調に過ぎますと、8度に増やして続けるのが通常と謂われます。

初心の人も、道院内で誦経の前などに合坐する場合は皆と一緒に8度座る
と定められているようです。8度=32分など直ぐに経ってしまいますが、
それが長く感じられるなら、未だ心地好い集中に入れていない印でしょう。

林雅志氏の御説では、少しでも納得できない坐ならば4度に戻すそうです。
許雅度宗主の御説では、最初の4度の後は自分の好きなだけ行って良いとか。
笹目秀和氏は毎日4度の形坐だけで心身を維持できると言われていました。

私の場合は、厳密なノルマのように決めますとストレスの要因になるので、
適当に楽しんで座り、違和感が生じたらモード切り替えや心坐だけにする、
又その日によって、多用だったり疲れていたり等で時間を増減いたします。

実は長期間、最低8度で通常16度の形坐を日々の目安にしておりました。
それで一応、心身を保つ事ができていたように感じていました。けれども、
環境条件等が悪化している現状に対応する為16度を標準追加しました。

太乙坐釈法言という経典に由りますと、毎日32度を1回から3回まで
継続して行えば十分な功候が得られるそうです。ところが、実験的に
トライしてみますと、一寸キツ過ぎて毎日の継続は困難と感じました。

ご存じのように、道院の形坐は心身を鍛える目的の苦行ではありません。
あくまで真霊の完成と元充のエネルギー回復が目的ですので、無理せずに
日常の中でできる範囲で坐を継続して習慣化する事が重要と謂われます。

それでも、試してみて厳しいメニューもアリだと体感的に記憶できました。
たぶん、十分なエネルギー補充で真霊を凝固する為には必須なのでしょう。
その経典で言われる十分とは、大真人や大仙人クラスの状態を指します。

けれど、形坐の時間が少し増えるだけでも色々な変化が起こってきます。
例えば、身体の機能が改善されたり、意外なアイデアを思い付いてきたり、
疲れやケガの回復が早くなったり、髪や肌が若々しくなってきたり・・・。

時には、過去世の傷や暗い想念が痛みとなって表われて治まってくるなど、
カルマがリセットされたり、坐しているその場が特殊な空間になり、物事の
原因や意味が分かったりもします。その場合は時間の進み方も異なります。

それらは坐の目標ではありませんが、坐に由り心身が整う過程で起こる現象
ですので、坐の進み方の目安にはなります。日々の発見は楽しい事でもあり、
いつの間にか修坐の継続が無理なくできてしまう結果にも繋がるでしょう。

もし数年形坐を続けて何の進展も感じられないような場合は、手の位置や
窔の執り方など基本的な方法を再チェックしてみるのが宜しいと思います。
また、時間帯を変えてみたり、時間を増やしてみる事もお奨めいたします。

勿論、ただ気持ち良く休息を楽しみたいだけの場合は、特に坐の工夫とか
時間の追加など考えず楽しんでください。ヨガの瞑想やマインドフルネス、
座禅等も楽しめる方法でしょう。座り方は椅子が楽だと思いますけれど。

道院の形坐でも長時間になれば手足はむくみます。ただ、それは単純に
物理的な現象で、形坐を解くと短時間で回復しますから心配ご無用です。
むしろ、腎機能が高まって水の循環は坐の前よりも良くなるようです。

但し、坐に親しむ度合いが深まりますと、物欲や地位、名誉等の関心が
薄らいでゆきます。それは修養として善い状態ですけれど、会社勤めや
事業、家族の生活を支えている方などは支障をきたすかもしれません。

そういう意味もあって、初期の道院では、既に社会的経済的に安定して
時間の都合もつき易い立場の人々だけが入門を許されていたようです。
せっかく坐を習っても、実行が困難では善い結果が訪れませんからね。

私の場合も、形坐の時間を増やして以来、世間話をする気がしなくなり、
こうして道慈のお話などを外に発信する作業も少し億劫になりました。
かつて林氏が「自分の坐に集中したい」と語られたのを思い出します。

けれど、「内外不偏」という道理があり、慈の行動はエネルギー的には
自己の損失にはなりません。外へ奉仕した分以上に神仏のご加護もあり、
坐の効率も増してエネルギー補給を頂けるようなシステムなのですね。

時間の余裕が出来てから、じっくりと形坐をして慈も行おうと考える方も
おられるかもしれませんが、この世界の人生はあっけないほど短いです。
そして、今ほどのチャンスというものは、ちょくちょく到来致しません。

また、心坐だけで真霊を持続できるような状態ならば、形坐の時間も
考える必要はありませんが、今の環境は厳しいです。過度の消耗で
ブッダレベルから緊急医療状態にまでなられた実例さえあります。

もし、形坐の時間を増やそうと思えば増やせる立場ならば、
都合をつけ工夫してトライされてみては如何でしょうか?
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