哲学者か道化師 -A philosopher / A clown-

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秋田禎信『エンジェル・ハウリング3 獣の瞬間』

2007-10-06 | ライトノベル
エンジェル・ハウリング〈3〉獣の時間―from the aspect of MIZU
秋田 禎信
富士見書房

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「……それでも人は夜を崇拝してしまうんだよ、ミズー。夜という巨大なものを恐れて、敬い、恋いこがれてきたんだ。人は闇を遠ざけるために、手に入れた財産のほとんどを食いつぶしてきた。油を買って灯りを作り、壁と天井出回りを囲い、犬を飼った。家族を増やして養い、家の近くに誰も近づけないよう柵を立てた。彼らの努力の向こう側から人を嘲笑う、得体の知れないものと戦い続けてきた。人はそれを夜と呼んだり、闇と呼んだりした。それの正しい呼び名は……未知だ」(P184-186)

 『エンジェル・ハウリング』の3巻を読み直した。やっぱすごいなあ。
 今回もミズーが満身創痍になりながら戦い、フリウ・ハリスコーと出会い、黒衣をしりぞけ、ジュディア・ホーンとと名乗るミズーの前にイムァシアの部屋にいた女と出会うのだが、あらすじよりも文体や考察や対話が魅力的である。人を殺す以外に生きる術を知らず、獣の瞬間という虚無を抱え込み、傷つきながら闘うミズーのかっこいいこと何の。ライトノベルとして面白いというよりも、小説として面白い小説である。

「別の話をしてみようか。同じことなんだけどね。かつて、地図には空白があったんだ。人が到達できない土地が……たくさんあった。人は地図の全域を埋めることができなかった。高すぎる山岳、低すぎる渓谷。荒れる海岸。遙かな波濤の果て。それは地図の空白となり、人はそれを恐れたんだ。恐れて、その空白に名前を付けた。赤い小さな警告の言葉として。それは、怪物領域と呼ばれた。その領域には、怪物がいると信じられていたんだ。なぜなら、そこから生還した人が誰もいないから。人の力が及ぶことのない悪魔の獣が、立ち入る者を確実に破滅させる。怪物がいると信じられていたんだ。だけどね。人はそれでもひとつひとつ、空白を埋めていったんだ。山岳を征し、渓谷を探索した。そのどこにも、怪物はいなかった。さて。人々は、怪物を信じていたのに、怪物はいなかった。彼らが信じていたその恐怖、畏怖は、どこに行ってしまったんだろう?それは、煙のように消え去ってしまったんだろうか。用済みになった瞬間、どこかに消えてしまったんだろうか。……そんなこと、むしろあり得ないんじゃないかな」(P186-188)

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