車輪を再発見する人のブログ

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ヨーロッパ中心主義

2009年05月09日 | 文化論

昨日の話の補足でもあるのだが、西洋が発展した理由と、産業革命が起こった理由に関しての議論について書いてみる。昔からなぜ西洋が現在のような発展を遂げたのか、産業革命や生産量の劇的な増大がなぜ可能になったのかについて議論や研究がなされてきた。当然、これほどの変化が起こったのであるから何か劇的な変化や、いくつもの重大な進歩が途中にあったことは間違いない。

しかし、重要なことは新しいことを発見したり発明したりしたことによって発展するということと、周りのものがそれを真似することが出来ず発展できないくらいに文明の進歩の度合いに違いがあるということとの間には、断絶に匹敵するくらいの開きがあると言うことだ。これは、現在の経済や社会を考えてみるとすぐ分かることであるが、どこかの会社が新技術を発見したり効率的な生産方法を開発したとする。そうすれば、当然その会社は競争的に優位に立つだろうが、他の会社もそれに追いつこうとするために差は次第に縮まっていくだろう。研究の世界においても、最初に発見するには並外れた頭脳と独創性を必要とするが、三十年もすれば新発見を多くの人が当たり前のように使いこなしているというのはよくあることだ。つまり、新しい優れたものを開発するのと、それを真似して学習するのとでは難易度に天と地ほどの開きがあるということだ。

これは、文明の発達においても同じ事で最初に発見されるには並外れた人間が必要とされるが、一度発見されてしまえばそれは急激に伝播していくことになる。人類が灌漑を発見し最初の文明を作り出したのはもう四千年も前の話になるが、四大文明と言われる様に、四つの地域において同じような技術に基づく文明が時期をそれほど隔てないで登場した。このことには、新しい技術や社会制度の構築方法においてある程度の知識の共有や伝播があったことを想像させる。つまり、独自にどこかが発展し他の場所には何も起こらなかったのではなく、どこかが発見したことが他に影響を与えたといえる。そして、最初の文明達が生み出した知識は他の地域へと広がっていき世界全体で農業が営まれるようになっていった。同じように、現在でも先進国間において知識の伝播や技術の共有化が起こっていて、先進国間においては長期で見ると経済発展は同じレベルへと収斂していくことが実証的に明らかになっている。

だから、そのような技術や知識、新発見の一般的な性質を考えると、欧米社会だけの発展や、さらには西洋の発展の過程で逆に周辺においては衰退が起こったことは奇異に感じる。つまり、通常であればどこかの社会が新しい優れたものを生み出せば周辺の社会はそれを真似して受け入れ追いついていくのが普通なのに、そのようなことが起こらずに逆に衰退さえしたのはなぜだろうかと疑問に思えてくる。これに対する一つの答えは、発展には西洋特有の自由や民主主義的な価値観やキリスト教的な価値観が不可欠なので、遅れた社会にはまったく受け入れることが出来ずに停滞が起こったということであるが、この主張は価値観とは関係なしに技術が伝播できるという性質や、大陸ヨーロッパにも実は民主主義的な制度はちゃんとなかったにも関わらず産業革命が起こったという事実と明らかに矛盾している。

従属理論やヨーロッパによる収奪論はこのようなところから出てくるものであるが、それほど過激ではなくても通常の歴史を考えるとヨーロッパが発展していく中で周辺の文明が衰退したというのは奇妙な現象なのである。だから、これからの研究によって明らかにしていくべきことが残っていることは確かなのだが、まず第一に新発見をすることとそれを他のものが真似できないということとの間には絶対的な開きがあることを認識する必要があるだろう。そして、西洋が優れていたから新しい発見をしたんだから、他の社会が真似すら出来ないくらいに優れていたはずだという歴史経験的にナンセンスな議論から一歩引いた上で、どのようなことがほんとにあったのかを議論していく必要があるだろう。

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