車輪を再発見する人のブログ

反左翼系リベラルのブログ

ETFの新商品

2010年01月10日 | 経済学

日興アセットマネジメントが日本以外の先進国の株式に連動するETFと、新興国の株式に連動するETFを東証に上場することを発表した。ETFというのはexchange traded fundの略で証券市場に上場されて取引されている投資信託のようなものだ。

日本の投資信託の信託手数料は現在でも世界的に見て割高である。ETFは基本的に信託手数料が割安であることが多いので、このような商品が東証に上場されるのはいいことだろう。配当課税の問題など、問題点もあるようだがこのような消費者にうれしい商品が増えて、日本の投資環境がよくなっていくといい。

 押していただけると、励みになります。


資源分配と所得分配

2010年01月09日 | 経済学

二つ前の記事の補足なのだが、現実の経済においては資源分配と所得分配は密接にリンクしている。というのも、賃金水準というのは労働者がしている労働の限界生産性の価値と強く相関しているので、資源分配が決まってしまえば、その資源分配における限界生産性の価値によって賃金水準がほぼ決まってしまうからである。

さらに言うと、現実の世界においては賃金支払い後の所得再分配の方法は予め決まっているので、結果として資源分配が決まってしまえば最終的な所得分配は決まってしまう。したがって、ある資源分配に対する所得分配は無数にあるのに対して、所得分配が決まればそれに対応する最適な資源分配は一つに決まってくるのではなくて、現実には最適な資源分配とそこでの所得分配とは一対一に対応している。

また、社会によって累進課税制度などの所得分配の仕組みには差があるが、基本的には低所得者と高所得者との差を縮める形で行われている。違いは、どの程度所得再分配によって格差を縮めるかの違いだけである。したがって、資源分配が決まってしまえば、その状態における所得分配は元の所得分配から格差を縮小した分配に基本的に限られるために、資源分配が決まってしまえばごく小数の可能性しか所得分配には残されていない。

所得再分配の制度が変わると資源分配に影響があるかも知れないが、その影響は限定的である。というのも、結局は高賃金労働者は高賃金労働者であり続けるだろうし、逆もまた然りである。たから、変わるのは賃金水準の差がどの程度かということだけで結局は基本的な賃金の分配からどれくらい最終的な所得分配がその賃金格差を縮めるかということに過ぎない。賃金上昇が労働時間に与える影響が歴史的にはマイナスであることを考えると、大きな影響があるのはよほど限界税率が高い場合だけだろう。

だから、結局は資源分配が決まってしまえば基本的な所得分配は決まってしまう。そのため、資源分配と所得分配を分けて論じること自体が不可能である。また、資源分配と所得分配との間に密接な関係があるために、資源分配を改善する政策が強力な反発を招くのである。テレビ局のような規制業種の規制を緩和して資源分配を改善することが経済全体にとって好ましいことであることは当たり前であるが、そのような資源分配の改善は必然的に所得分配に影響を与えるので特権階級は必死に反対するのである。

押していただけると励みになります。


賃金の下方硬直性

2010年01月04日 | 経済学

皆さん、明けましておめでとうございます。かなり更新をサボっていていつの間にか新年になりましたが、今年もよろしくお願いします。

ところで、最近賃金の下方硬直性について書いている記事をいくつか読んで驚いたのだが、この現象について誤解している人もいるようだ。賃金の下方硬直性というのは、何らかの原因で競争的な市場において決まる場合と違って賃金が変動しにくく、特に一度上がった賃金が低下しにくいことを言う。具体的には、労働組合のあるなしに関わらず、多くの常勤雇用の賃金は不況になっても下がりにくく、これが価格変化による市場の均衡を妨げ、不況の長期化や失業の大きな原因になっている。

そのため、賃金の下方硬直性を解消することが不況の長期化や失業問題を解決するひとつの重要な手段と言えるかもしれない。そこで、賃金の下方硬直性を解消するために、最低賃金の引き下げがいくつかの記事で指摘されていた。しかし、賃金の下方硬直性というのは現在雇用されている労働者の賃金が必要な額だけ低下せず、その結果失業者が多く出たり、底辺の労働者の賃金が必要以上に低下する減少である。つまり、問題の本質は保護されている者とそれ以外との間で市場競争で起こるよりもはるかに大きな賃金格差が生じてしまっていることにある。

だから、賃金の下方硬直性を解消するために最低賃金を下げるべきだというのは理論的に矛盾した主張だ。本当に賃金の下方硬直性を解消したければ労働者の賃下げを認めればいいだけである。アルバイトなどの時給は不況になれば二割とか下がったりするのに、高収入な労働者の賃金を保証することは不平等そのものだろう。

押していただけると励みになります。


資源分配と平等性

2009年10月04日 | 経済学

自由競争と平等に関してよく主張されることの一つに、平等に関してはいろいろな価値観があって一つには結論を定められないが効率的な資源分配は一つしかないというのがある。唯一の問題は、ほとんどの場合主張される資源分配が効率的な一つの資源分配ではないということである。

当然のことながら、経済全体を考えて最適な資源分配は一つしかない。しかしながら、雇用規制を維持するとか、すべての市場を競争的にしないなどの制約を加えれば、それぞれごとに無限の制約条件化での効率的な資源分配が存在する。だから、最適な資源分配は一つしかないが、条件化での資源分配には無限の可能性がある。

このとき、保護されている産業の経営者の利益を上げ労働者の賃金を上げる一方で、それ以外の産業の労働者の賃金を下げることは正しいだろうか。規制などの保護が維持されるという前提条件下においては、そのようにすることによって現在の資源が部分的に効率的に使われることになるかも知れない。しかし、問題は、結局のところそのような変化は最終的な最適な資源分配とは実のところ逆方向であるかも知れない。

つまり、制約条件下においては無限に効率的な資源分配を選べるし、さらには最適な資源分配の逆方向の資源分配さえも選ぶことが出来る。しかしながら、最適な資源分配を考えるならばそのような最適な資源分配とは逆方向への動きを積極的に推進することが本当に市場の効率性を本質的に増加させるのかどうかという点においては、疑問が生じるのではないだろうか。

押していただけると、励みになります。


ただいま

2009年10月02日 | 経済学

いや、諸事情によりえらく間が空いてしまって申し訳ない。ただいま、帰ってきました。いつの間にか、総選挙も終わり。政権交代が起こって、書きたかったことも色々とあったのだが、中々書くことが出来なかった。現在の日本の抱える最大の問題は、一般大衆の意見とマスコミを中心とした特権的な正社員を中心としたエリート階層の意見との信じがたいほどの開きにあると考えている。この点において、民主党は結局は労働組合の御用政党でしかないので、国民の意見や国民生活ではなく、一部の特権階級の利害を代表することしか出来ないのではないかと危惧している。大戦後に構築された特権階級による非民主的な社会構造が打破されるにはまだ時間が掛かるのだろう。

と、話は代わってアゴラではまたもや消費者金融の話題で盛り上がっているようだ。いつもながら、この話題に成ると不思議なほど盛り上がる。同じような同じようなことを書いても仕方ないかもしれないが、少しはっきりさせておきたいことがあるのでまたこのことについて書くことになると思う。とりあえず、今日はこの当たりで。


生存確認

2009年07月08日 | その他
ここのところ少し体調を崩して更新できていませんが、死んではいないので大丈夫です。もうそろそろ更新を再開します。

政治家はどこの国もえげつないな

2009年07月02日 | 経済一般

リンク1リンク2。アメリカのベイルアウトと、その後の金融支援でいかに不必要、非合理的な企業に対する助成が行われたかという記事だ。アメリカでのロビー活動は酷いという話を聞いていたがここまで酷いことが起こっているとは、思っていなかった。改めて政治家はあくどいと思い知った。

押していただけると、励みになります。


偏狭なる多様性がもたらすもの

2009年06月29日 | 社会

昨年からの不況の結果多くの企業が人員を抑制している。しかし、外国人だけは少し違うようだ。Diamond Onlineよりローソンが外国人の正社員の採用を急増させていることに関する記事から。

ローソンでは、大卒の新入社員も全員店頭業務からスタートするが、今年は「新入社員122人中、実に3割にも上る39人が外国人」という異例の多さとなった。

国籍は、中国が33人と大多数を占める。その他にベトナム、台湾、韓国、インドネシア、バングラデシュの出身者がいる。男女比は約半々だ。皆日本の4年制大学を卒業し、日本人の大学生と全く同じ条件でローソンの採用試験に合格して入社して来た。入社後の待遇もすべて日本人と同じだ。

これでは日本人が差別されて外国人、特に中国人が特別待遇を受けているようにしか見えないが、これを多様化として賞賛する人たちもいるのだろう。多くの女性や、フリーターが差別を受け、正社員としての道を閉ざされている一方で、外国人に対してはこのように寛大に門を開くことに違和感を覚える人も多い。トヨタ自動車は、女性や高齢者、フリーターは雇う気はないから外国人労働者を大量に入れろと要求したが、これこそが自分勝手な多元主義の見本だろう。

ヨーロッパにおいても、大量の移民を受け入れ低賃金の労働者として活用したが、結果は貧困と社会的対立の深刻化と、社会の荒廃でしかなかった。社会の中の絶対的な差別を解消しようとせずに、他所から自分勝手に人を入れてそれを多様性と呼ぶ。そのような、差別的な多様性は単なる身分制でしかない。五千万人の国民に同じ権利が与えられる社会と、二千万人の特権階級と五百万の外国人だけに特権が与えられ、残りの三千万人と三十億はいる途上国を見捨てる政策は愚かでしかない。途上国の感染症対策や栄養問題に資金を出せば、はるかに多くの人の役に経つだろう。そんなことさえ理解できない知識人は、今日も差別を絶対的な善と信じて、殺戮を繰り返すのだろう。

押していただけると、励みになります。


戦後政治に見る政治の失敗

2009年06月28日 | 政治

愚民思想の話の続きでもあるのだが、戦後の世界の基本的な政治の流れを見るとなぜ政治が失敗したのかがよく分かる。第二次大戦後、ヨーロッパを中心として福祉国家政策が行われた。政府による社会保障制度が拡充される一方で、労働者の権利が強化され高額な失業保険や、解雇規制が行われた。その結果、政府支出は急激に増大したが、その支出の中心は主に中高所得者層に対する厚い福祉のためだった。そして、多くの国で経済が停滞し、若者の失業率が上昇することになった。

それが、八十年代以降自由化の動きが世界中で起こり、規制緩和や政府支出や福祉の削減が行われ、自由競争が導入された。その時、真っ先に問題になったのは福祉問題児とも言われる福祉に頼って生活する低所得者層であった。慢性的に失業している、あるいはほとんど仕事をしない労働者の存在は経済の生産性を低下させるものとして、市場主義者の非難を受け、福祉の削減や、一定時間の労働の義務化が世界的に行われた。また、規制緩和などの市場主義政策によって低所得者層の所得が低下していったのもこの時期だった。これらのことは、一方で福祉国家による問題を低下させる一方で、福祉を打ち切られた低所得者層を厳しい環境に追い込むことになった。

と、このように見てくると分かるのは、福祉国家において保護され、多額の予算が割かれたのは中高所得者で、規制緩和や市場主義によって真っ先に予算が削られたのは低所得者に対するものであった。これは、日本においてもまったく同じで、生活保護のような最底辺の貧困層を保護する制度が戦後一貫して劣悪な条件でごく少数しか利用できない一方で、中高所得者層に対する解雇規制などの制度的な保護や、大企業保護による間接的な保護が継続して行われてきた。その結果、母子家庭のような最も貧しく福祉が必要な世帯には予算が割かれない一方で、緑のおばさんが年収八百万というようなことになった。

これこそが知識人が行ってきた政治というものである。弱者保護だ福祉だといって、自分達に都合のいい階層への保護を増やす。市場原理だといって、自分達に都合のいい階層の負担を増やす。そこには、福祉や自由主義のどこを選べば効率的であるか、社会的な公平性が保たれるのかという視点がない。自分達にとって都合のいい解釈の下で、自分勝手な福祉や市場主義を他社に強制する。そのような、やり方の結果もたらされたのは、強者を保護し、弱者から搾取する社会でしかなかった。このように、いつも理念の中から自分達に都合のいい特殊なものを選んで大衆に押し付けてきた知識人達は政策が失敗するたびに、大衆が愚かであるせいだとして、責任を大衆に押し付けたのである。

押していただけると、励みになります。


必要な規制

2009年06月27日 | 経済一般

Diamond Onlineの山崎元氏のコラムより。

6月17日、アメリカ政府は金融規制改革案を発表した。今般の金融危機の発生をうけて、危機の再発を目指した規制案であり、「大恐慌以来の改革」との触れ込みだ。決定・実施に向けては、議会・業界との調整が必要であり、このまま決定するかどうかは不確定だが、米政府の現在の考え方が分かる。・・・

具体的には、社員・経営者の報酬の問題への対処が不十分であることと、預金受け入れとハイリスクなビジネスとの遮断が不十分であることの二つの問題が残ったことが問題だ。このおかげで、今度は商業銀行に寄宿した「金融ギャンブラー」たちが、預金をリスクにさらして上手く行ったら成功報酬をふんだくる、というビジネス・モデルが可能なままだ。・・・

アメリカ政府の今回の金融規制案から透けて見える、今回アメリカが「懲りた」と感じたものは、(1)銀行と異業態(証券・保険・ノンバンク)とのリスクの連鎖、(2)複雑な金融商品による消費者保護の不十分、(3)大きすぎるレバレッジによる金融機関経営の不安定、(4)カウンター・パーティーリスクの連鎖、といったことだろう。・・・

サブプライム問題の報道を見ていてある意味でアメリカが羨ましかったのは、住宅ローンがノンリコースのローンであり、返済が不可能になった場合には、担保である住宅を渡してしまえば終わりという「後腐れの無さ」だった。その分、住宅価格のリスクと損失が金融機関に集中しやすかったが、借り手の人生は相対的に安全だった。日本の住宅ローンの場合には、担保を処分しても十分な返済額にならない場合、さらに借金が追いかけてくる「しつこさ」がある。・・・

また、今回、アメリカでは複雑な金融商品の弊害が、消費者保護の観点からも問題になったが、日本でも、1998年の橋本政権下の「日本版ビッグ・バン」による規制緩和によって、無意味に複雑な金融商品によって消費者の利益が損なわれているように思う。

端的に言って、EB(他社株転換権付き債券)のような仕組み債や、各種のオプション性のある条件を盛り込んで目先の利回りを魅力的に見せている仕組み預金のような「仕組み物」は、消費者保護の観点から、商品自体の販売を禁止するべきだと思う。

この種の仕組み商品は金融工学を応用して作られた商品との触れ込みだが、それこそ、金融工学的には「上手い話はない(裁定機会はない)」ということが価格計算の条件になっていて、実際には、売り手側に利益が出るような条件に大きな「余裕」を持たせて売っているわけで、ある意味では、買い手がいるということ自体が、価格計算の出来ない顧客、即ち商品を理解していない顧客に販売されているということの何よりの証拠である。

政府による過剰な介入や保護が市場経済の効率性を阻害することは度々指摘されている。しかしながら、それと同じくらいに問題なのは本来必要な規制が行われていないために社会全体の利益が阻害されていることである。この金融規制の例は分かり易いが、正社員や公務員の過剰な保護や、農業などの保護主義が社会全体の利益を損なっていることが明らかにも関わらず必要な規制緩和が行われていない一方で、一部の金融機関の利益にしかならない無秩序な規制緩和が行われている。

結局のところ、労働問題における「労働者を守ろう、よし正社員を保護しよう」、「市場競争を強化しよう、派遣労働者の権利を剥奪して規制緩和してしまえ」という論法と同じで、どのような理念を掲げようともそれが都合のいいように解釈されて実行されるのでは意味がない。その意味で、規制緩和が必要な領域を規制緩和せずに、不必要な場所を規制緩和すれば経済が効率化するというような幻想を捨て去る必要があるだろう。

押していただけると、励みになります。