拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『観世音菩薩』考

2024年07月15日 | 東洋自分なり研究所

  当研究所『東洋自分なり研究所』のメイン研究テーマである『観世音』について、素龍子『丸坐』の発見(7月10日のブログ)により多大な進展をみたが

  昨日、『観世音』峡谷を渡り行くことで『丸坐』について確証を得たので報告したい。

 

  これまで、『観世音、観自在』問題について何度か触れてきたが、 2024年6月21日のブログ記事〜『観世音』か『観自在』菩薩か?

  それでも『般若心経』が、最終的に玄奘三蔵法師訳の『観自在菩薩』に落ち着いたのにも関わらず、未だに僧侶の間で『観音経』というお経が

  単独で読まれ続け、巷(ちまた)では『観自在』でなく、『観世音菩薩』像が広く普及している様子に『何故?』という若干の疑問を呈していた。

 

                

               『観世音』峡谷を行く・・・『 峡谷の 水の流れに 刻まれし 音の便りを 読む人ぞ誰 』 馬骨 

 

  昨日、私が所属している『Care team Japan』というゆるい同好会のメンバー主催による、スイスはドイツ語圏マイリンゲンにあるアーレシュルフト峡谷

  1,4kmを約一時間ほど仲間と共にハイキングしたのであるが、急流の川の流れる音、何本もの滝が落ちる轟音の中を他の人々に続いて歩いていたのが

  峡谷を渡りきり、轟音が途絶えた場所に来た瞬間、私は改めて『観世音』を聞き、『観世音』の在り方、聞き方というものを学んだのである。

 

  釈尊の死後、約500年して大乗仏教が起こり、『般若心経』が作られたが、釈尊の瞑想(坐禅)によって多くの人々が『絶対無』である

  観世音(観音)に至ったのであろう、その時初めて人は自己の中で自我と無我の対話する声(観世音)、慈悲の声を聞いたのである。

 

  そして、芭蕉の句 『 古池や 川ず飛び込む 水の音 』の風景の中に 私はあらためて『坐』の字の真意を観る・・・ジャポン!と

  

 

 



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