やりたいことは、やり残したことだ!

今日一日を出来るだけ楽しく過ごすよう努めています。
日々の他愛のない出来事を取り留めもなく書いています。

ウルトラマラソン、スタート!

2017-03-02 14:04:07 | 日記

こうしていよいよ100キロマラソンがスタートした。

スタートして間もなく日が昇り始めると、正面に見える富士山が赤朝焼けに染まった。

あまりの綺麗さに周囲からは感嘆の声が上がっていた。

スタート時は人が密集していたのでペースは流れに任せていたが、

暫くしてランナーもバラけてくると自分のペースを考えた。

10キロ地点を1時間半くらいで通過するくらいで走ればいいと考えていた。

ところが実際は10キロ地点に1時間2分で到達した。

自分の実力からしてこのペースは早すぎた。

しかしペースを落とすことなく20キロ地点を2時間6分、30キロ地点を3時間13分で通過。

今思えば自分はランナーズハイになっていたのだと思う。

40キロ地点は4時間25分、50キロ地点は5時間35分で通過した。

それでもこの時点では身体に余裕があった。

55キロ辺りだっただろうか、足に違和感を覚えた。

しばらくして急に足が前に出づらくなった。

60キロ地点は7時間4分だった。急にペースが落ち始めていた。

それまでずっと走ってきたが、このあたりから歩くようになった。

70キロ地点に到達したのは8時間37分と、さらにペースは遅くなっていた。

足を地面に着くたびに足裏に激痛が走った。

足のアーチが潰れてしまったためだと思う。さらには膝、腰にも痛みが出始めていた。

80キロ地点は9時間55分。このあたりが最も辛かった。

走ったり歩いたりの繰り返しだったが、走っていても歩いているスピードと変わらなかった。

関門の制限時間になんとか間に合いそうなので前に進み続けたが、間に合わないことを願ったりもした。

90キロ地点は11時間49分。辺りはもう薄暗くなり始めていた。

最後の関門をギリギリで通過すると、ついに日は落ち真っ暗になった。

真っ暗なので自分は最後、コースがよくわからなくなってしまった。

一人二人ランナーの背中が暗闇に見え、かろうじてゴールの方向がわかった。

最後の個所にはもう少し係員を配置してもらいたい。

会場に入ると既にゴールしたランナー達が待っていて口々に「ナイスラン!」と励ましてくれた。

そしてついにゴール!

タイムは13時間58分16秒。

制限時間が14時間なのでほんとにすれすれだった。

しかし時間ギリギリだったのが、逆に自分にとってはドラマチックで感動した。

これほど苦しい思いをしたことがなかったので、ゴールした時の喜びは格別だった。

まともに歩けないほどのダメージを負っていたが、大きな充実感を自分は感じていた。


ウルトラマラソンへの挑戦

2017-03-02 08:42:47 | 日記

試験合格前からウルトラを走ることは決めていたので練習はしていたが、

合格してからは嬉しさもあり、俄然練習に身が入った。

「チャレンジ富士五湖」の大会日は、4月の最終日曜日だ。

2月は150キロくらい走っていたただろうか。

3月は200キロ以上走った。

そして大会のある4月は3月を上回るペースで練習していたと思う。

月間走行距離が大体200キロになるというのはいいと思うのだが、

練習内容はもう少し考えればよかったと今では思う。

基本10~13キロを日々走っていた。

そしてたまに休日などに20~25キロを走った。

結局自分が走った最長距離は25キロ。

ウルトラの練習では1度は50キロ以上走っておくべきなのを知っていたのに・・

メリハリのない練習をしてしまった。

しかし3月、4月は自分としては今までにない走行距離を走り満足していた。

大会直前の週にはかなりの疲労感を感じていた。

そうして大会を迎えた。

前日から現地入りし説明会に参加し、宿をとり泊まった。

宿にはマラソンに参加するランナー達が宿泊していた。

翌朝、スタート開始は5時だったのでまだ暗いうちから会場入りした。

スタート時の気温は1度だったと思うが、それほど寒さは感じなかった。

気合いが入っていたのだろう。

スタート前、当時アースマラソンをしていた間寛平さんからビデオでのメッセージがあった。

そしてマネージャーの坂本雄二さんの挨拶も。

寛平さん達がこの大会の創始者らしい。

そしていよいよスタート!

長い長い100キロへの道のりが始まった。