やりたいことは、やり残したことだ!

今日一日を出来るだけ楽しく過ごすよう努めています。
日々の他愛のない出来事を取り留めもなく書いています。

寺崎勉考

2017-07-31 13:45:50 | 日記

寺崎勉氏のことを書こうと思う。

昔バイクに乗っていた頃この人の本、雑誌の投稿をよく読んでいた。

いや、この人の本を読んでからバイクに乗るようになったのかもしれない。

今では忘れた。

とにかくこの人のオフロードバイクに乗りながら野宿するスタイルに

憧れた。

アウトドアが好きだったわけではない。

必要なもの以外は持たず、普段の生活するように転々と野宿していく様に

かっこよさを感じたのだ。

自分はせいぜい2泊ほどで、寺崎氏のように山で何泊もしたことはない。

それでも寝袋とテント、炊事道具や必要な工具を積み県外をツーリングした。

今ではいい思い出だ。

今はバイクも持っていないし、体力的にやろうと思わない。

寺崎氏は今どうしているのだろうとふと思う。

そう思って検索してみると「寺崎組新聞」というのを見つけた。

年に何回か仲間と集まり、宴会込みの野宿をしているらしい。

楽しそうだ。

きっと自分のように寺崎氏に憧れた人達が集まっているのだろう。

テレビを見て思うこと 2

2017-07-31 09:14:26 | 日記

少し前にやまゆり園の事件についてブログに書いた。

昨日の日曜日の朝と晩に、事件について語り合うテレビ番組を観た。

それを観て自分の考えが少し変わった。

犯人の男は差別主義者ではなく精神疾患者だということについては

自分の見方は変わらない。

しかし障害者差別ということ自体は、今の日本でもまだ根強く存在

するのだということを感じた。

目に留まったのはある町に掲げられていた「障害者施設建設反対」という

横断幕だった。

障害者が入所する施設は町外れの郊外にあることが多く、人口が密集した

街中にはまずない。

障碍の種類にもよると思うが、当事者が何か事件問題を起こすのではないか

という不安からか、街中に入所施設を作ることに反対する人達がいるという

ことだろう。

郊外に施設が作られるのはどうやら国の施策だけが問題だけではないようだ。

これを見て自分は原発事故で放射能汚染した土の受け入れに反対する人達の

ことを思い出した。





共有化

2017-07-26 08:40:08 | 日記


オリンピックや各種のスポーツでアスリート達が私たちに

驚異のパフォーマンスを見せてくれるが、人間は野生動物の

身体能力にはとても敵わない。

スピードやパワーはもちろん、感覚器官も大きく劣っている。

臭覚はバカになっていると言っていいくらい利かない。

聴覚も悪いし、視力は動物の中にあっては良い方の部類に

入るが鳥類には遠く及ばない。

唯一発汗作用が発達していて持久力に優れる利点を持つくらいだ。

この程度の身体能力で何百年前から生き抜いてきたのには理由が

あるだろう。

祖先はお互いコミュニケーションをとりあ合い協力し合って生きて

きたに違いない。

そのためには共通認識をもたなくてはならない。

人間の脳は共有化に向かってひたすら進化した。

それじゃ個性はなくなってしまうのか?

そんなことはない。

人それぞれ顔が違うように身体が違う。

養老孟司さんがよく言っている。

身体にしか個性はない。

心、つまり脳に個性があったら精神病棟に入所しなければいけなくなる。

とすると意見の違う人に出会ったら「あなたの言っていることはわかる

のだけど私はあなたと違う考えでやっています」というのが良いのではないか。


テレビを見て思うこと。

2017-07-25 13:07:59 | 日記

津久井やまゆり園の事件から早いものでもう1年が経つ。

被害者の名前が出ないなど、障害者に対して世間の差別がまだまだ

あることを考えさせられる。

テレビではその後の被害者の親や障碍当事者、福祉関係者などの

この事件に対して想いや感想を語っているのを目にする。

自分はある被害者の親の「どうして犯人は障害者をあそこまで差別したのか」

というコメントを聞いて大きな違和感を覚える。

本当に犯人は差別主義者だったのだろうか?

そもそも現代の日本に差別主義者という人がいるのだろうか?

自分には犯人の男は一般的な精神疾患者に見える。

男は一戸建ての家に一人で住んでいたという。

両親は出ていってしまったらしい。

男に辟易して出て行ってしまったのだろうか?

いずれにせよ男は親子関係が幼少の頃からとても希薄だったと思う。

子供の頃から相当な寂しさを抱えていたと思う。

男は発達障害、あるいは軽度の知的障害も持っているかもしれない。

そして自己無価値観から学生時代に人から好かれよう、良く思われようと

する言動をとっていたと思う。

しかし意図どおりに好かれたり良く思われたりすることはなく、逆に人が

嫌いになっていった。

そのうち誰でも嫌いになり自分が本当は何が好きで何が嫌いなのかも

分からなくなっていったのではないか。

犯人が事件前にネットの動画にあげていた、老人ホームの入所者のことを

バカにするような発言を見ると、もう誰でもいいから自分の下にしないと

とても自分を保てなかったのではないかと思う。限界に達していた。

だからといって犯人に精神鑑定をして減刑しろと言っているのではない。

自分はこの犯人には厳罰を求める。

ただ犯人のことについての世間の認識は的外れだと思う。