正直落ちたとと思っていたので、はがきを見て跳びあがるほど嬉しかった。
すぐお世話になった床屋さんと学校の職員さんに教えに行った。
床屋さんは「あ、そうなの、良かったね」とそっけない言葉だったが
表情は少し驚いている様子だった。
学校へ行くと3年間お世話になった職員さんに「受かりました」と言った。
職員さんは「そうですか!」と力のこもった声で言い、つづけて
「すべてあなたの努力の結果です!」と言ってくれた。
実際にはそんなことはなく、自分は職員さんには本当にお世話になっていた。
自分はとんちんかんな迷惑な受講生だったと思う。
一方仲間のことが気になったが自分は聞かなかった。
もちろん聞いても職員の立場上そんなこと答えられないが。
「これからどうするんですか?」と聞かれ、「まだ考え中です」と答えたが、
自分の頭の中では開業の想いが大きくなっていた。
父親が不動産仲介業を営んでいたので、共同で事務所を使用することが可能だったからだ。
しかし自分はすぐには開業手続きをしなかった。
まだ完全に決断できていなかったのだと思う。
その頃自分は36歳の時から始めたマラソンで、ハーフマラソン、フルマラソンと無事完走して
ウルトラマラソンというのに興味をもつようになっていた。
ウルトラマラソンというのは、フルマラソンより長い距離を走るマラソンのことだ。
50キロでもウルトラマラソンになるのだが、「ウルトラと言えば100キロ」という雰囲気がある。
日本各地に10くらい100キロマラソンの大会があり、年輩の方々にも人気がある。
静岡県在住の自分は、一番近くで行われる山梨県の「チャレンジ富士五湖」というウルトラに
少し前にエントリーしていた。