「奥さんの体は、今、生きる意欲を失っています。心臓をはじめ、胃、肝臓、すい臓、肺、腸などのあらゆる器官が、徐々に運動を止めようとしている。つまり、緩やかな“死”です。だから、完全に運動が停止する前に、人工的に、心臓や肺などに、機械を取り付けることになります。・・・おそらく、肉親を失ったショックが大きすぎたために、“生きる”という現実を受け止められなくなっているのでしょう。」
医者はそう言った。しかも、いつ、どんなきっかけで元に戻るのかもわからない。それが、1週間後なのか、10年後なのかも、わからないのだ。
病院側は、私が頼むまでもなく、良心的に、和子の入院と完全看護を保障してくれた。医者が、和子の状況を把握できるばかりでなく、退院したばかりで、精神的なケアに関しては、和子に劣らず必要な私も、和子の見舞い等で来院した際に、夫婦揃って診察してもらえる、というわけだ。
私は、定年を待たずに仕事を辞め(もちろん誰も、私を引き止めはしなかった)、毎日、病院に通った。
和子は、人口呼吸器を取り付けられ、鼻に入れた管から流動食を流し入れたり、腕の血管から点滴をしたり、他にも、たくさんの装置にとり囲まれていた。ベッドに横になっていても、いびきもかかず、泣いたりわめいたりしないので、他の患者さんと相部屋になっても別に支障は無いのだが、和子に取り付けた機器類が、もう1人、患者が同室できるほどのスペースを必要としてしまうのだ。どの装置も、和子を生かすために、毎日、懸命に動いていた。
(つづく)
医者はそう言った。しかも、いつ、どんなきっかけで元に戻るのかもわからない。それが、1週間後なのか、10年後なのかも、わからないのだ。
病院側は、私が頼むまでもなく、良心的に、和子の入院と完全看護を保障してくれた。医者が、和子の状況を把握できるばかりでなく、退院したばかりで、精神的なケアに関しては、和子に劣らず必要な私も、和子の見舞い等で来院した際に、夫婦揃って診察してもらえる、というわけだ。
私は、定年を待たずに仕事を辞め(もちろん誰も、私を引き止めはしなかった)、毎日、病院に通った。
和子は、人口呼吸器を取り付けられ、鼻に入れた管から流動食を流し入れたり、腕の血管から点滴をしたり、他にも、たくさんの装置にとり囲まれていた。ベッドに横になっていても、いびきもかかず、泣いたりわめいたりしないので、他の患者さんと相部屋になっても別に支障は無いのだが、和子に取り付けた機器類が、もう1人、患者が同室できるほどのスペースを必要としてしまうのだ。どの装置も、和子を生かすために、毎日、懸命に動いていた。
(つづく)