すずりんの日記

動物好き&読書好き集まれ~!

小説「雪の降る光景」あとがき13

2009年05月11日 | 小説「雪の降る光景」
学生の頃、私のクラスで、
学校祭の出し物として、「演劇」をすることになりました。

脚本にする物語は、心優しい少女が主人公で、
意地悪な王女の我がままに振り回されるが
少女の優しさを見ていた妖精たちが、
最後に、王女に罰を与える、という、
いわゆる、「シンデレラ」などに見られる、
典型的な童話に決まりました。

でもそれを脚本におこすとなると、
元々そういうものがある訳じゃないので、大変な作業です。
そこで、クラス全員で、その物語を読んで感想文を書き、
その中でよく書けている人に、脚本を書いてもらおう、
ということになりました。

私は、「脚本にするのが難しい」という以前に、
感想文を書くのすら面倒くさくて、
書かずに期日を迎えたんですが、
「感想文を書いていない1名が書いてくるまで待つ!」
と、意地でも私に書かせようとする担任に負けて、
私は、渋々感想文を書き上げました。

私は、どうせ書くならと、その感想文の中で、
意地悪で我がままな王女に罰が下るのは当然だが、
自分たちの保身のために、その王女の我がままを
そこまで許していた、「長いものには巻かれろ」主義の
「その他大勢」の家来たちに、同様の罰が与えられないのは
おかしいのではないか、という内容を熱く論じ、
まんまと担任の思惑通りに、脚本を書くことになりました

その時書いた熱い想いを、この小説にも盛り込みました。

「 我々はかつて、民衆を苦しめ悪政を行っていた前政権を崩壊させ、それらに携わった者たちを重刑に処した。そして民衆を我々の信じる道に導いたのだ。
 そのことが「悪」だと言うなら、これから同じことを繰り返そうとしている彼らは何なのだ。彼らだって正義を振りかざしているだけの人殺しだ。我々と、どこが違うというのだ。我々を悪だと責めるならば、なぜ我々について来た?なぜ賛同したのだ?命惜しさに正義を曲げて悪に付くような人間に、我々を非難する権利があるのか。彼らはただ、集団で居たいだけなのだ。我々が罰せられるならば、我々に今まで一言でも賛同した奴らも同罪だ。違うか?
 私は、たった一人で反ナチを訴えて処刑されていった者たちが許せないのではないのだ。我々の眼が光っている時には平気で反ナチの者たちを処刑し、その死骸を蹴り、踏みつけ、見せしめのために逆さ吊りにし、その死骸が朽ち果てていく横を狂喜しながら通り過ぎ、「でも私はそうしたくてしている訳ではありません。我々はナチスに脅されて仕方なくやっているのです」などと不運な自分を精一杯慰めている。ごく数名の反ナチ指導者を祭り上げているそういう奴らを許すわけにはいかないのだ。
 彼らは、総統と同じ目をしている。狂気の申し子、アドルフ・ヒトラーの目だ。彼らは“正義を理解し訴えている”のではなく、“熱狂している”のだ。彼らにとって、処刑直前の処刑場はコンサート会場であり、そこに連れて来られた受刑者はそこで歌を歌う代わりに死ななければならない。彼らの狂気はそこでピークに達し、高々と一心不乱に振りかざされている拳と意味をなさないかん高い叫び声が、一段と激しさを増す。
 それが、健全な精神を持った民衆のやることなのか。・・・いいや、違う。それくらいは、悪名高いナチスの一員である私でもわかることだ。
いったい、正義とは何だ。どれほどの価値があるというのだ。邪悪な思想よりもほんの少したくさんの人間がそれを信じているというだけの話ではないのか。邪悪な思想の持ち主を神に代わって自分が罰すると豪語している者ほど、神に対して畏れ多い者はいないのではないのか。違うのか?どうだ、違うと言ってみろ!」


「 総統は、知能に乏しく野卑で残忍な心の持ち主であった。利己的な誇大妄想狂な上に酷い偏執狂の彼は、ナチス最高司令部を無能呼ばわりし、自分の周囲の者を不忠だと責め立てた。周囲の者は、総統のこのような変貌ぶりに少なからず動揺し、その彼らの動揺はまた、総統の不信を買った。
 彼らは今初めて、総統が狂人であることに気づき、自分たちが狂人になり切れない偽善者に過ぎなかったことを思い知ったのだ。しかし既に時遅く、自らが狂人ではないのだと気づいて自分の懐から反発し去って行こうとしている者を、総統は容赦なく処刑していった。
 狂人として生きるか、人間として死ぬか、その二者選択をせずにいつまでもふらふらと生き抜いていけると考えていた“その他大勢”が、このナチスという組織にどれだけたくさん存在していたのだろうか。」
小説「雪の降る光景」第3章より


ちなみに、この時の担任は、当時、
私が一番信頼していた「大人」の1人で、
今でも連絡を取り合っています

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小説「雪の降る光景」あとがき12

2009年04月28日 | 小説「雪の降る光景」
言っときますけど、
私はヒトラーに心酔してる訳でも、
ナチスに傾倒してる訳でもありません。

でも、残忍なヒトラーという人格や、
ナチスという思想が、全くの突然変異で、
私たちと関係ないところで生まれた訳でもないと思っています。

普段、善人の顔をして生活している私たちの中にも、
ヒトラーやナチスの残忍さがある。
私「たち」というと、
そこまで言い切ることは出来ないかもしれませんが、
少なくとも、私の中には、その残忍さはあると思います。

今の社会で時々起こる無差別殺人も、
けして、将来殺人を犯す特別なDNAを、
その犯人だけが産まれた時から持ち合わせているのではなく、
もしそのようなDNAがあるなら、
それは、全人類共通に持っているものなのだと思います。

ただ違うのは、私たちは、私たちの欲望で、
自分や他人の生命を利用したり奪ったりしてはいけないし、
自分にはそのようなことをする権利は無い、
ということを教わってきたかどうか、
ただ、それだけです。


「 私は、自分のベッドに横たわりながら、ヤヌスという、奇形の双頭神をふと思い出し、その、互いに反対の方向を向く2つの頭にそれぞれ、チャップリンと総統の面影を重ね合わせた。彼らは似ている。しかし、全く似ていない。少なくとも私にとって彼らは、善と悪といった次元での存在ではない。ただ、出来が良いか悪いか、それだけなのだ。出来が良い方も悪い方も、そう違いがあるわけではない。」
小説「雪の降る光景」第1章より

「総統は、知能に乏しく野卑で残忍な心の持ち主であった。利己的な誇大妄想狂な上に酷い偏執狂の彼は、ナチス最高司令部を無能呼ばわりし、自分の周囲の者を不忠だと責め立てた。周囲の者は、総統のこのような変貌ぶりに少なからず動揺し、その彼らの動揺はまた、総統の不信を買った。
 彼らは今初めて、総統が狂人であることに気づき、自分たちが狂人になり切れない偽善者に過ぎなかったことを思い知ったのだ。しかし既に時遅く、自らが狂人ではないのだと気づいて自分の懐から反発し去って行こうとしている者を、総統は容赦なく処刑していった。
 狂人として生きるか、人間として死ぬか、その二者選択をせずにいつまでもふらふらと生き抜いていけると考えていた“その他大勢”が、このナチスという組織にどれだけたくさん存在していたのだろうか。
 総統の本質は子供なのだ。彼は、思考することなしに、自分と同じにおいのする者を直感で嗅ぎ分ける。自分と同じ完璧なナチスにのみ彼は安らぎを感じ、共にしてきた歩みをほんの少しでも止めようとする者からは、一体感を感じられなくなる。そしてその時彼の知能は判断を下す。「彼は敵だ。」・・・これが彼の“思考回路”なのだ。
 私はいまや、完璧なナチスではなかった。完璧に善人になったというのでもなかった。私は、自分がその両面を等しく持ち合わせている「人間」に過ぎないことを知ったのだ。


 人の感情が、人を裁くことなどできはしない。
 たとえそれが、善と悪、強者と弱者であっても、だ、
 人の感情が、人を裁くことなどあってはいけない。
 そのことに、私は気づいたのだ。
 人が、生きる中で依りどころにするもの、
 それは、人の感情ではない。
 もっと、大きな力に支配された何か。
 私に、人を殺させた何か。
 私を、ナチスであり続けさせた何か。
 私に、彼らを出会わせた何か。
 私を、この時代に生まれさせた何か。

 そして、私に、全てを気づかせてくれた何か。

 そのことに、私は、気づいたのだ。」
小説「雪の降る光景」第3章より


ちなみに、私は、チャップリンが大好きです

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小説「雪の降る光景」あとがき11

2009年04月25日 | 小説「雪の降る光景」
今でも忘れられない光景が、まだあります。
1989年12月、ルーマニアで革命が起こり、
当時独裁政治を強いていた、
ニコラエ・チャウシェスク大統領が処刑されました。

そして、その処刑の模様が公開されました。
非公開処刑だと、アドルフ・ヒトラー等のように
生存説を唱えられる事が懸念されたため、
銃殺から処刑後の死体の様子までが撮影されたのです。

私は、その革命後の夕刊で彼の処刑を知りました。
その日の夕刊のトップニュースで、
一面には、チャウシェスクの銃殺された写真が、
紙面のほぼ半分を占めていました。

私は、すごくショックでした。

いくら独裁者とはいえ、
死体の写真を載せたり、テレビで流すという
その精神状態が。

いや、もしかして、
その革命に何にも関係の無い日本が、
世界各国に同調して、何の躊躇も無く
処刑の様子を公開したことが、
ショックだったのかもしれません。

でもその時は、革命の何たるかも知らず、
平和ボケしている日本人の一人として、
その革命に水を差すようなことは言えませんでした。

でも、人を無造作に殺してきた独裁者と、
「正義」の下、その独裁者を殺した革命家たち。

「復讐は復讐を生む」
という意味では同じではないのか。
友人を殺された人間にとっては、
人を殺すための爆弾や銃やナイフに、
正義も悪も無いのではないか。
という想いが、ずっと残っていました。

革命それ自体が、とても素晴らしく、
大きな意味のあるものだっただけに、
この、処刑をここまで公開したことが、
今でも、蛇足だったように思えてなりません。



「 これからの近い将来、我々ナチスへの非難は国際的な規模で高まり、アドルフ・ヒトラーはその槍玉に上がるだろう。戦争の誘発、国民の洗脳、ユダヤ人を始めとする他民族の大量虐殺等が「極めて非人道的である」という理由により、民衆はいつの日か立ち上がり我々を殺すだろう。そして、こう言うのだ。
「悪は滅びた。もう二度と戦争はしない。我々は平和を手に入れたのだ。」と。

 しかし、とナチスの私は言う。

 しかし、彼らは本当に正しいのか?

私は天井を仰いだまま目を閉じ、内なるナチスとしての私の声に耳を傾け続けた。

 我々はかつて、民衆を苦しめ悪政を行っていた前政権を崩壊させ、それらに携わった者たちを重刑に処した。そして民衆を我々の信じる道に導いたのだ。
 そのことが「悪」だと言うなら、これから同じことを繰り返そうとしている彼らは何なのだ。彼らだって正義を振りかざしているだけの人殺しだ。我々と、どこが違うというのだ。我々を悪だと責めるならば、なぜ我々について来た?なぜ賛同したのだ?命惜しさに正義を曲げて悪に付くような人間に、我々を非難する権利があるのか。彼らはただ、集団で居たいだけなのだ。我々が罰せられるならば、我々に今まで一言でも賛同した奴らも同罪だ。違うか?
 私は、たった一人で反ナチを訴えて処刑されていった者たちが許せないのではないのだ。我々の眼が光っている時には平気で反ナチの者たちを処刑し、その死骸を蹴り、踏みつけ、見せしめのために逆さ吊りにし、その死骸が朽ち果てていく横を狂喜しながら通り過ぎ、「でも私はそうしたくてしている訳ではありません。我々はナチスに脅されて仕方なくやっているのです」などと不運な自分を精一杯慰めている。ごく数名の反ナチ指導者を祭り上げているそういう奴らを許すわけにはいかないのだ。
 彼らは、総統と同じ目をしている。狂気の申し子、アドルフ・ヒトラーの目だ。彼らは“正義を理解し訴えている”のではなく、“熱狂している”のだ。彼らにとって、処刑直前の処刑場はコンサート会場であり、そこに連れて来られた受刑者はそこで歌を歌う代わりに死ななければならない。彼らの狂気はそこでピークに達し、高々と一心不乱に振りかざされている拳と意味をなさないかん高い叫び声が、一段と激しさを増す。
 それが、健全な精神を持った民衆のやることなのか。・・・いいや、違う。それくらいは、悪名高いナチスの一員である私でもわかることだ。
いったい、正義とは何だ。どれほどの価値があるというのだ。邪悪な思想よりもほんの少したくさんの人間がそれを信じているというだけの話ではないのか。邪悪な思想の持ち主を神に代わって自分が罰すると豪語している者ほど、神に対して畏れ多い者はいないのではないのか。違うのか?どうだ、違うと言ってみろ!

 ナチスである私の命の側面がそう叫んだ時、私はベッドに座ったまま、真っ赤な血を吐いた。真っ白なシーツが瞬く間に赤く染まり、その全てを吸収しきれずに吐物の一部が床に溢れ落ちていた。真っ赤な海にぽつんと取り残されたように、私は、いまだ口内から止めどなく溢れ続ける血を止めることができないでいた。心臓の動悸に合わせて、ドクドクとリズムを打って赤い液体が流れ出ていた。

 違わない。そうだ。その通りだ。我々が、世の中にどれだけ忌み嫌われていようと、死刑は殺人と同じだ。殺人で幕の開いた革命は、必ず、殺人で幕を閉じる。この法則に、正も邪もない。我々もそうだ。我々は、殺人によってその旗揚げを果たし、その死と同時に我々のステージは終わり、次のステージの幕が開く。人間は愚かにもそれを繰り返し、多くの血を流し続ける。

・・・しかし、しかし、しかしいつか、
いつか気づく日が来るだろう。

いつか生まれ変わって、アネットやクラウスと、
そしてハーシェルと、再会する時が、
神の名を借りずとも、自らの強い力で気づくことのできる日が、
死ではなく生によって幕を開けるその時が、
・・・いつか、やって来る。

 私は人間だと、胸を張って言える日が、きっと、いつか、
 だから、・・・もういいんだ。
 もう、いいんだよ。

 私は、ナチスの私を捨てて清らかな人間として生き延びていこうとは思っていない。
 私は、ナチスの私の死体を背負った人間として死に臨む。
 私は、・・・私はナチスの私を責めたりしない。
 私はナチスの私を憐れんだりしない。
 私はナチスの私を捨てたりしない。
 私は、ナチスの私を背負って生命を終えることにより、融合し、昇華するのだ。


 血が止まり、急に口がべたついてきた。ナチスの私が自らの問いに一つの答えを出したのがわかった。体中から力が抜け、私は力無くベッドに倒れ込んだ。シーツが、ベチャッと音を立てた。私が、まるで何事も無かったかのようにうとうととし始めた頃、看護婦がドアを開け、悲鳴を上げた。」
小説「雪の降る光景」第3章より

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小説「雪の降る光景」あとがき10

2009年03月22日 | 小説「雪の降る光景」
ヘス死去のニュースから数年後、
私はある本と出会いました。

それは、第1次世界大戦前くらいからの、
その後ナチスとヒトラーを生み出したドイツの社会情勢から、
第2次世界大戦中の虐殺やドイツの敗戦、そしてヒトラーの死までを、
写真と文字で余すところ無く語っていました。

正直言って、この本との出会いが、
この小説の流れを作ったと言っても過言ではありません。
この本と出会わなければ、
全く違った小説になっていたかもしれません。

ヒトラーの側近である、ヒムラーやボルマンといった、
実在の人物の人物像も学びました。

そして、あのヘスの亡命のことも書かれていて、
私は思わず、あのヘス死去の新聞記事を探して、
感動に似た思いで、この本のヘスのことが書かれているページに、
栞のように新聞記事を挟み込んだことを覚えています。

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小説「雪の降る光景」あとがき9

2009年03月06日 | 小説「雪の降る光景」
私は高所恐怖症で、
それがいつから、何をきっかけでなったものか、
ずっとわかりません。

幼い頃住んでいたアパートの2階から、
何度も転げ落ちていた記憶があって、
今でも高い所に行くと、
くら~~~っと眩暈がして、
前後左右がわからなくなります。

高所恐怖症の男性を主人公にした、
「めまい」という、ヒッチコックの映画がありますが、
あの映画を見たとき、高所恐怖症の人の味わう「めまい」が
あんまりリアルで、気持ち悪くなりました。

小説の中で、「高所」は、
「私」が、ハーシェルと対決する場所として、
決して良い印象ではない場所として登場します。


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小説「雪の降る光景」あとがき8

2009年02月28日 | 小説「雪の降る光景」
高校生の時に、スケッチをするのが好きで、
その中で、自分の手をスケッチするのにハマッたことがあります。

いろんな仕草の手をスケッチしていて、
その時描いたのが、広げた掌を横から見た絵でした。
そしてそれを、「銃で撃ち抜かれて苦悶する手」に脚色したんです。
銃弾を避けようとして撃たれた掌、という想定で。

そして、その絵を元にしたシーンが、これです。

「 私はあの日、機嫌が悪かった。先生に怒られたか、友達と口喧嘩したか、妹に朝食をぶん取られたかして(たぶん、このどれかだったと思うが)、2、3人のクラスメートと教室に入って来るところだった。その時ハーシェルは、教室の中で、彼の取り巻きと一緒にある遊びをしていた。ドアに同心円をいくつも描いて的を作り、ナイフを投げて点数を競うのだ。私はそのドアを開け、ナイフが、自分の顔めがけて飛んで来るのを見た。
 その瞬間、私は、とっさにナイフを避けて、そしてその飛んで来たものを手で受けていた。その刃物は私の右手の甲まで突き抜け、柄が手のひらの手前で止まっていた。私の右手からは血が噴き出し、木目模様の柄が、真っ赤に染まっていた。―――私はうずくまっていた。しかし、痛みは感じなかった。“ここで鬱憤を晴らしてやろう”という名案が浮かび、必死に薄笑みをこらえていたからである。」
小説「雪の降る光景」第1章より

小説では、銃がナイフに代わりました。
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小説「雪の降る光景」あとがき7

2009年01月24日 | 小説「雪の降る光景」
この小説の登場人物の中で、ヒトラーを始め、
ボルマン、ヘス、ヒムラーなどは実在の人物ですが、
架空の人物は、「私」、アネット、クラウスと、
そしてハーシェルがそうです。

アネットやクラウスと違って、
ハーシェルには、明確にモデルになる人物もいません。

ハーシェルは、私が許せない人格の集まり、
という感じで出来上がりました。

「A.H.S(アドルフ・ヒトラー学校)で私と同期だった、彼、ハーシェルは、自分の弱い臆病な心がみんなの目を引かないように、体中に、「正義」や「博愛」や「良心」という誇大広告を貼り付けていた。しかし、私だけは、本当の彼を知っていた。彼は、そんな私を煙たがり、学生の時に2度、私の体に傷を負わせた。それも、仲間を大勢巻き込んで、だ。」
「私たちと彼らしかいないこの場で、彼らが私1人をひざまずかせられなかったということは、彼ら―――特にクラス1の人気者のハーシェル―――としては、相当なダメージであった。「あらゆる情報をどこからともなく手に入れ、それを決して他人に漏らさない」「何もかも見透かしている」という私に対してのイメージが、彼の被害妄想に拍車を掛けているらしい。私がチラッとハーシェルに微笑みかけただけで、彼は、今自分が、どの女の子をどんなふうに騙してものにしようとしているか、どの人間を、ゲシュタポに告げ口をして失脚させようとしているか、全てを私に読まれて、もうおしまいだ・・・と思ってしまうのだ。しかし、彼にとっての本当の悲劇は、その妄想を自分の取り巻きに、打ち明けられずにいることである。」
「私は、ハーシェルから何か情報を得ようとする時、普段見せない笑顔を彼に向けるだけで良いのだ。そうすれば彼は、それを私に邪魔される前に行動に移さなければいけないと思い込み、焦って、必ず失敗する。そうして私は、その情報を手に入れるどころか、それを元に、彼が考えた間抜けな計画を失敗に終わらせることさえできるのだ。」
小説「雪の降る光景」第1章より

私が嫌いな人間の姿であるハーシェル。
でも、同じ人間である以上、
ハーシェルのような弱い部分を、自分自身も、
どこかで持ち合わせているのかもしれません。

つまり、ハーシェルの存在も私の存在の一部なんです。
だからこそ、これほど嫌い、憎んでいたハーシェルに、
強い縁を感じ、願い通りに自分の手で殺した後、
「私」は強い後悔に苛まれてしまうんですね。

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小説「雪の降る光景」あとがき6

2009年01月13日 | 小説「雪の降る光景」
 雪が、・・・降っている。一面の銀世界の中、私がこっちを向いて笑っている。私は確かに、膝まで雪に埋まったその女の子に視線を向けているのに、その女の子が私であることを、知っている。確か、私は男であったはずだが・・・。
 楽しそうに、心から笑っている。時々、彼女(私)は、しんしんと降る雪を、愛しそうに見つめたり、両手を広げて天を仰いだりしている。まるで運命の絆で結ばれた1人の男から、愛撫を受けているような感じさえしてくる。それでいて、少しもいやらしくなく、何か、物悲しく、切ない。・・・あぁ、そうだ。まさしく彼女は私であり、私は彼女なのだ。彼女の魅せられた顔つきが、哀しいほど輝いている。・・・あぁ、私が永く忘れていた何か、何かが私に涙を思い起こされる。何か、熱い、熱い、哀しい・・・。

こんな文章で始まる「雪の降る光景」なんですが、
私自身、「雪」が好きです。

私の出身は、冬によく雪が降る場所ではなく、
札幌に移り住むようになって初めて、
この夢のような、膝まで埋まるほどの雪を見ました。

そんな雪を体験して、いつくらいから
思うようになったかわかりませんが、
「雪が降っていること」で、
穏やかな気持ちになっていると感じるようになりました。

しんしんと降る雪から吹雪まで、
いろんな状態がありますが、
傘もささず、帽子も被らず、
ただただ、ぼ~っと空を仰いで、
雪に降られていると、時間も寒さも忘れますね。

もちろん、社会人になった今は、
そんなふうに雪に降られている時間なんか無いですけど、
でもやっぱり今でも、冬が好きですね



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小説「雪の降る光景」あとがき5

2008年12月20日 | 小説「雪の降る光景」
ヘス死去のニュースを思い出すきっかけの前に、
そのニュースの前だったか後だったか、
もう忘れてしまいましたが、
当時の友人と、こんな会話をしたのを今でも覚えています。

その時、数人で他愛も無い話をしていて、
その中で、「苦手と感じるものは何か」
という話になったんですね。
高い所が恐いという人や、
暗いのが嫌だから寝る時に電気を点けたまま寝る、
という人がいて、私はしばらく黙って聞いていました。

そしたら、あんたは?と訊かれたんですね。
私は、別に~、ととぼけようとしたんですが、
そのみんなの訊き方が、いかにも、
「すずりんは私たちみたいに、恐いものとか無いよね?
私たちみたいに恐い思いとか、したこと無いでしょ?」
みたいな感じだったので、思わず、
「私だって、高い所も暗いのも恐いよ。」
と答えてしまったんですね。

みんな、え~~~!うそ~~!!ホントに?!
みたいなリアクションで、
私ってどんなイメージやねん!と思いながら、
「真っ暗だと、光の下での秩序のある世界が、
無秩序になるようで恐いし、
たとえば、絶対的に信頼のおける人と手を繋いでも、
真っ暗闇では、その、私と繋がっている先が、
光の下で確認した、その人かどうかわからない。」
というようなことを言ったんですね。

そしたら友人の1人が、
「そんなふうに具体的なイメージがあるっていうのは、
今までの何かがトラウマになってるんじゃないの?」
と言ったんですよ。

その後に、私は、
特に何がきっかけでそう感じるようになったか
わからない、と言いながらも、
「そういえば、暗闇って、
窓の無い部屋のイメージがあるんだよね。
たとえば?う~ん、たとえば、ねぇ。
・・・たとえば、ナチスドイツのガス室収容所とか。」

そう言ったら、みんなちょっと一瞬引き気味に、
すずりんは、前世でガス室で死んだんだよ~、きっと、
なんて話になったんですよね。

でもそれはそれで、その後は
私の前世はね~、とかって話で
また盛り上がったんですけどね。

こんなことも、小説を書くきっかけの1つに
なったんだろうと思います。
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小説「雪の降る光景」あとがき4

2008年12月05日 | 小説「雪の降る光景」
チャップリンの死から10年が経った1987年(昭和62年)、
ナチスの元副総統であった、ルドルフ・ヘスが、
当時まだ統一されていなかったドイツの刑務所で、
93歳で亡くなった、というニュースが流れました。

ヘスは、ヒトラー著「マイン・カンプ(我が闘争)」の口述筆記をし、
ヒトラーの信頼する人間の1人として、
ナチスが政権を握った際に、副総統の地位に就きました。
が、ドイツとソ連との開戦を前に、1人で、
軍用機でイギリスに飛んで行ってしまったのです。
これは、ソ連との戦争に勝つために、
イギリスとの和平を図ろうとしたためと言われていて、
この時に逮捕されて、以後40年以上も獄中で過ごしました。

私にとって、この、ヘス死去のニュースは、
チャップリンの時よりも衝撃的だったんでしょうね。
ナチスが過去の遺物ではない、という思いを、
チャップリンの時より何倍も強く感じました。
こうやって、当時、新聞を切り抜いて、
その記事をずっと持っていました。

でも、その記事の存在やヘスのことは、
数年間ずっと忘れていました。

それが、あることをきっかけに、
また思い出すことになったのでした。
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小説「雪の降る光景」あとがき3

2008年11月30日 | 小説「雪の降る光景」
1977年(昭和52年)12月25日、
喜劇王チャールズ・チャップリンが死去しました。

その時私は、小学生。
その頃はよく、チャップリンやヒッチコックなどの
白黒の映画をテレビで放映していて、
私はチャップリンの映画が好きでした。

でも、チャップリンは昔の人、というイメージだったので、
チャップリンが亡くなった、というニュースを聞いた時には、
「チャップリンって、生きてた人だったんだ」
ということにショックを受けた記憶があります。
当時、森光子さんが出ていた「三時のあなた」の追悼企画を見て、
初めてチャップリンという人の生涯を知りました。

その時、生涯「喜劇」を通して人々の希望だった
チャップリンという人と、
人々を恐怖に陥れた、ナチスの代名詞のヒトラーとが、
産まれたのが4日違いで同じ時代を生きたのだということも知り、
その皮肉な縁の不思議を考えさせられました。

そして、教科書で習った「歴史」としての
第2次世界大戦や、それらの戦争を扇動したナチスという思想が、
決して過去のものではなく、
いまだに私たちの傍に居て、息を潜めているんだ、
と思ったのを思い出しますね。

小説「雪の降る光景」第1章より
「私は、自分のベッドに横たわりながら、ヤヌスという、奇形の双頭神をふと思い出し、その、互いに反対の方向を向く2つの頭にそれぞれ、チャップリンと総統の面影を重ね合わせた。彼らは似ている。しかし、全く似ていない。」

もし良かったら、小説「雪の降る光景」、
カテゴリーから読んでみてくださいね

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小説「雪の降る光景」あとがき2

2008年11月09日 | 小説「雪の降る光景」
小説の中で、「私」の唯一の肉親である妹のアネット、
そしてアネットの幼馴染みであり婚約者であるパン屋のクラウス。

この2人は、「私」の存在と同様、架空の人物ですが、
モデルとなった人がいます。
「私」は、私自身がモデルなんですが、
アネットとクラウスは、私の親友の中の2人がモデルで、
小説の中の「私」がそうであるように、
当時の私も、この2人の存在に大きく影響され、
一番悩んでいた多感な時期、この2人に支えられた、
という経緯があります。

この小説を書いていた頃、あるいは書き上げた後に、
この2人にも読んでもらい、
この「私」という登場人物が、まさに私に似ている、
との言葉をいただきました。

今思うと、この2人の生い立ちや背景も、
もっと書ければ良かったなぁと思います。


良かったら、そんなことを踏まえて、
また読み返してみてくださいね。
カテゴリーから、どうぞ。
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小説「雪の降る光景」あとがき1

2008年10月25日 | 小説「雪の降る光景」
え~~、さてさて、
長らく引っ張ってまいりましたが、
無事、小説「雪の降る光景」の最終回を
アップすることができました。

この小説は、私にとっては、
他の小説以上の思い入れがあるので、
その思いを、しつこく語っていきたいと思います。


ここ数日、外では満月が綺麗に光っていましたが、

私は、満月が恐いという感覚があります。
月は綺麗だし、満月じゃないと素直に綺麗だな、と思うんですが、
男性でも女性でも、綺麗であまりにも整った顔つきの人を見て、
綺麗だな、とは思うけど、人間味溢れるあたたかな気持ちになれない、
というような感覚に似ていると思います。

いつ頃からそんなふうに感じるようになったかを考えてみると、
まだ小学校に入る前に、よく寝る前に読んでいた絵本の中で、
自転車で家に帰る時に出ていた月が、自分が家に帰るのを、
いつまでも見守ってくれている、という内容のものがあって、
その本を読むのが大好きでした。

その本では、「月が見守ってくれている」というニュアンスで、
けっして恐いものを連想するものではなかったのに、
いつの間にか私の中では、「月が行けども行けども追い駆けてくる」
というものに変わってしまっていたんですね。
今より感受性の強かった子供の頃は、
満月を見ただけで、全身鳥肌が立つような
感覚に襲われたことがあります。

あともう1つ、私が苦手なものは、人形やぬいぐるみ。

見たり、友人宅に置いてあるのは大丈夫なんですが、
自分の部屋に置けません。
なぜかというと、あの、目がダメなんです。
なんだか視線を感じちゃって、落ち着かないんですよね。
子供の頃に見た恐い夢か何かがトラウマになってるんでしょうか?

この小説の中では、「私」が最期を迎える時を
見届ける目として「満月」を表現しました。
それも、この世を怨んで死んで行ったユダヤ人の亡霊が
瞬き一つせず、「私」が死ぬのを待ち望んでいる目です。


良かったら、そんなことを踏まえて、
また読み返してみてくださいね。

コメント (2)
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小説「雪の降る光景」あらすじ

2008年10月18日 | 小説「雪の降る光景」
小説「雪の降る光景」最終回です。過去アップ分はカテゴリーからどうぞ。

私・・・この小説の主人公。ドイツ帝国副総統であり、ヒトラーの秘書。
    冷酷非道なヒトラーの片腕。
ハーシェル・・・「私」の同級生であり、ライバル。
ヒトラー・・・ドイツ帝国総統。(実在の人物です)
エバ・・・ヒトラーの愛人。(実在の人物です)
ボルマン・・・ナチス党の現党首。「私」と同様に、ヒトラーの片腕。(実在の人物です)
アネット・・・「私」の妹。
クラウス・・・アネットの婚約者。反ナチ主義者。
         ------------------------
あらすじ
「私」はある夢を見た。少女が、しんしんと雪が降る中にたたずみ、落ちてくる雪を仰ぎ、愛しそうに抱きしめている。その夢が、今までの冷酷な自分に、何かを気づかせているような気がしてならなかった。 
 繁栄を極めるドイツ帝国に、敗戦の影が見え始めているが、「私」は、ヒトラー総統の片腕として、いや、総統に心酔する者の1人として、彼と、そして帝国と、運命を共にする覚悟で日々の任務をこなしていた。
 そんなある日、「私」とハーシェルは再会し、2人とも何者かが仕掛けた総統の暗殺計画に巻き込まれた。「私」は、暗殺計画の犯人としてのハーシェルを捕らえ、彼を殺した。しかし、憎かったハーシェルを殺した「私」の心は晴れるどころか、涙が止めどなく溢れてくるのだった。そしてハーシェルの死後、「私」は、自分の変化に気づき始めていた。
 
 「私」は、「人間」に戻るために、人間としての最期を迎えるために、病院を抜け出した。

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小説「雪の降る光景」第4章終

2008年10月18日 | 小説「雪の降る光景」
 こうして、闇の中にポッカリと浮かんだ満月の光に全身を射抜かれながら、私は、思うのだ。
 
私は、人並みに幸せな人生を歩んでこれた、と。

 この戦乱の世で、
 愛するアネットとクラウスに出会い、
 愛するアドルフ・ヒトラーに出会い、
 愛するハーシェルに出会い、
 そして、今、人類が最も憎むべきナチスの一人として、死に臨むことができるのだ。
 
 私にとって、これほどの幸福があるだろうか。
 
 死は、恐れるものではない。
 死は、忌むべきものではない。
 死という束の間の眠りから覚めた時、
 この人生で気づくことのできた幸福を感じたまま、
 再び彼らと出会うことができるのだから。

 
 私の細胞の一つ一つが、徐々に、私に対して、最期の時が近いことを訴え始めていた。頭痛や腹痛といった部分的な痛みではなく、全身の細胞が等しい力で外へ外へと無限に引っ張られているようであった。脳は、その痛みへのコントロールを拒否し、ありのまま受け入れるように命令を下した。
 突っ張った体に、月光が矢継ぎ早に突き刺さり、やがてそれは、ナチスと、ナチスを許した社会を怨んで死んでいった者たちが、私をナイフでめった刺しにしている姿に変わった。
 体中の毛穴から温かい血がほとばしっているような感触が、なぜか私をほっとさせた。やっと、・・・安心して眠れるのだ。次に目覚める時のことだけを思い、私は、深く深く眠りに就こう。

 少しずつ体が虚脱を感じ始めると、痛みが完全に現実から締め出された。急に体が自由になった気がして、私は、より激しくそして最期の痛みが再び押し寄せてくる前に、体を横たえ、そこに天井があるはずの闇に目をやった。
 背中や足に感じる冷たさが、血の染みたコンクリートの床のものではなく、私自身のそれなのだと、霞のかかった頭でようやく認識できた時、天井という名の暗黒の中に何かがきらっと光った。

 
 雪、だ。

 
 雪だけが、私の最期を見届けてくれようとしているのだ。

 

 私は、癌への戦いで水分を使い果たした体から自然と涙が込み上げてくるのを感じ、雪の最初の一粒が右手の甲の一点をわずかに湿らせるのと同時に、ゆっくりと、目を閉じた。
 殺すことができない、ということでしか表現できなかった私の愛情の深さを理解してくれた人々が、私の死を引きずらず、私の存在を一日も早く、遠い日の思い出として忘れ去ってくれることだけを、私は望む。

 他には、もう、何も、望まない。
 
 ただ静かに、眠りたいだけだ。
 
 ただ静かに、優しい粉雪に抱かれて。







   ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━








 ――――目が覚めた時、私は、涙を流していた。




(終わり)

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