2024年8月21日(水)
既に私のブログ
微分可能な多様体の接ベクトル空間1 (2024年7月24日)
微分可能な多様体の接ベクトル空間2 (2024年7月28日)
で微分可能な多様体をとりあげた。その際、「微分可能な多様体(可微分多様体)については、いずれ別の機会
に述べたい」と記述した。私の最も関心の深い多様体の話題を今後もブログで述べていくにあたって、やはり定
義をしっかりと示していきたいと思った。
幾何学での定義は、確かに複雑である。一見したところ何を言っているのかわからない、と言うことが多い。
しかし、図(2次元であるが)などを利用して自分なりにイメージをしていくことによって、やがて理解できる
ようになるらしい。私もそのような方法で、ゆっくり理解してきた。
境界のない多様体(例えば、球)と境界のある多様体(例えば、球体)について、定義を与えた。例示した球と
球体を境界面に制限したものとは、多様体として別のものである。考える点の近傍が違う。
境界のない多様体の定義では、境界のある多様体は多様体でなくなる。そこで、改めて境界のある多様体の定義
をする必要があるわけである。
そこらあたりの事情については、本文の定義をよく見比べていただきたい。
ちょっと休息
(1)8月20日(火)のFacebook投稿より
学びの記録
今日は、2週間ぶりに岐阜学習センターに出かけた。OKBふれあい会館の駐車場に着いたのが8時45分に到着、学
生控え室で別々に2人の学友と歓談した後、9時過ぎには視聴覚スペースに入室しました。
まず最初に、いつものように『枕草子の世界’24』のラジオの授業第10章「批評の論理と、季節の美学」を聴
講しました。昨日海津市の医師会病院に通院したとき、その待ち時間にこの章は読み終えていました。だから、ス
ムーズに学習ができました。この章の目標・ポイントについて、島内裕子先生は次のように書いておられます。
「人間観察や季節の美意識について、清少納言の個人的な思いが『筆の遊び(すさび)』として、次々に連想さ
れて書き進められることに注目する。そこに「批評の論理」や『季節の美学』を読み取り、併せて「連続読み」が
有効性を発揮することを確認する。」
この章のねらいがよくまとめ上げられていると思いました。
10時15分頃にいったん休息して、再び視聴覚スペースに戻りました。そして『枕草子の世界’24』と同様に2
学期に履修する『教育社会学概論’19』の第3章「家族―初めての社会集団―」を視聴しました。実は、それまでに
自宅にて1章・2章は視聴済みです。内容は、省略します。教育社会学は、社会学のひとつであり教育事象を対象と
する学問です。
11時20分から昼食のために、学習控え室に行きました。誰もいませんでしたので、コンビニ弁当を食しまし
た。
12時45分頃に聴覚スペースに戻りました。今度は『世界の学校’24』の第1章「ドイツの学校教育」を聴講し
ました。気楽に聞き流していました。印刷教材は、視聴覚スペース備えつきの本を使いました。実は題材が面白そう
でしたので、メルカリで購入してありましたが、今日は持って行きませんでした。
13時30分には、岐阜学習センターを後にしました。
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