先日のゆりかもめdaysの折に撮ったキティちゃん観覧車
デジカメバージョン。キティちゃん、頭に血が下がってる系。

この時移動中に買った恩田陸の『中庭の出来事』(新潮文庫)を読了。
複雑な構成で、最後までよくわかんなかったけど(笑)、
なんせ読んでる間はぐいぐい引き込まれた。
優れた作家さんの筆致って、どうしてこうも「どうなるんだ、どうなるんだ」
って思わせるんだろう。すごいなあ。
ストーリーとは別に、面白かった記述。
私特に、恩田さんや新潮社の回し者じゃないし、
これで何か商売してるわけでもないので、原文で載せちゃいます。
「都市は、世界は、どんどん劇場になりつつある。
未だかつてないほど、虚構が消費されているこの時代、自分を
虚構の中の登場人物とみなすことが大きな娯楽の一つとなったのだ。
だから、ステージである都会を見よ。
若い女性をはじめ、『見られる』ことを求める人々のために、
どんどん町は透明化している。・・・(中略)・・・
街そのものがステージになったのだ。」
ストーリーとは直接関係のない記述ではありますが、
この『中庭の出来事』という作品の成立する背景はここにあるし、
もしかしたらテーマと言い換えてもいいような気がする。
そう、「一般」とされる人々が、「見られる」ことを意識して
「自分をプロデュースする」のが当たり前の時代。
「虚構の消費」とは言い得て妙。
誰が見て、誰が見られるって?
誰もあなた(たち)のことなんか見てませんけど、って
ちょっと引いてみると自意識過剰さ・ナンセンスさを鼻で笑いたくもなる。
そんでもって、この劇場型都市・世界は、
全員が顔見知りではないところに成り立つ、と恩田さんは言っている。
地方都市や市町村で、ほぼ全員が顔見知りのコミュニティでは成立しにくい、と。
これも、なるほど。
『中庭の出来事』では、都会のきれいなホテルの中庭
(つまり衆人が周りを取り囲んで「見ている」状況)で
殺人が起こるんだけど、
登場人物が役者さんや演出家で、その殺人事件が中庭で行われていた
「オーディション」の最中だった、という設定なのだ。
話が進むにつれ、現実世界の人々がこの虚構の演劇の演者に
なっていき、最後はどれが現実でどれが虚構(演劇)なのか
分からなくなったところで幕が下りる。
うんうん、完全に現代日本をパロッてる。
誰が犯人か全然分からなかったけど、面白かった。
・・・と読み終えたところで電車を降りたら
いかにもファッション誌から飛び出てきたような上から下まで
キメキメに決めたおねいちゃんとすれ違う。
ああ、まさに、と思う。
日常で私たちがここまで「ハレ」である必要があるんだろうか。
誰の目を意識して、短いまつ毛に何度もビューラーをかけて、
ミリ単位やグラム単位で本日の自分の体のサイズに一喜一憂して、
常に120%の自分を見せていなくちゃならないんだろう。
異性の目?ほんとにそう??
「女性であれば常にきれいでいたいと思うのが当たり前」なんて
すみません、どなたさまの価値観でしょうか?
そうであろうとすることは、本当に「努力」の範疇?
価値観はさまざまですよ。それは認める。
でも、あたしゃヤダなー。疲れるっちゅーねん。
見られるのが好きな方は、どうぞどうぞ。
でもそれを「当たり前」とかにはしないでほしいです。
久々に本を読んで物思いにふける余裕ができそうなので
amazonのマイページを覗いたら・・・
わー!
そんなに色々お勧めしないでくれたまえよ!!
芋づる式に欲しくなってしまうではないかー
デジカメバージョン。キティちゃん、頭に血が下がってる系。

この時移動中に買った恩田陸の『中庭の出来事』(新潮文庫)を読了。
複雑な構成で、最後までよくわかんなかったけど(笑)、
なんせ読んでる間はぐいぐい引き込まれた。
優れた作家さんの筆致って、どうしてこうも「どうなるんだ、どうなるんだ」
って思わせるんだろう。すごいなあ。
ストーリーとは別に、面白かった記述。
私特に、恩田さんや新潮社の回し者じゃないし、
これで何か商売してるわけでもないので、原文で載せちゃいます。
「都市は、世界は、どんどん劇場になりつつある。
未だかつてないほど、虚構が消費されているこの時代、自分を
虚構の中の登場人物とみなすことが大きな娯楽の一つとなったのだ。
だから、ステージである都会を見よ。
若い女性をはじめ、『見られる』ことを求める人々のために、
どんどん町は透明化している。・・・(中略)・・・
街そのものがステージになったのだ。」
ストーリーとは直接関係のない記述ではありますが、
この『中庭の出来事』という作品の成立する背景はここにあるし、
もしかしたらテーマと言い換えてもいいような気がする。
そう、「一般」とされる人々が、「見られる」ことを意識して
「自分をプロデュースする」のが当たり前の時代。
「虚構の消費」とは言い得て妙。
誰が見て、誰が見られるって?
誰もあなた(たち)のことなんか見てませんけど、って
ちょっと引いてみると自意識過剰さ・ナンセンスさを鼻で笑いたくもなる。
そんでもって、この劇場型都市・世界は、
全員が顔見知りではないところに成り立つ、と恩田さんは言っている。
地方都市や市町村で、ほぼ全員が顔見知りのコミュニティでは成立しにくい、と。
これも、なるほど。
『中庭の出来事』では、都会のきれいなホテルの中庭
(つまり衆人が周りを取り囲んで「見ている」状況)で
殺人が起こるんだけど、
登場人物が役者さんや演出家で、その殺人事件が中庭で行われていた
「オーディション」の最中だった、という設定なのだ。
話が進むにつれ、現実世界の人々がこの虚構の演劇の演者に
なっていき、最後はどれが現実でどれが虚構(演劇)なのか
分からなくなったところで幕が下りる。
うんうん、完全に現代日本をパロッてる。
誰が犯人か全然分からなかったけど、面白かった。
・・・と読み終えたところで電車を降りたら
いかにもファッション誌から飛び出てきたような上から下まで
キメキメに決めたおねいちゃんとすれ違う。
ああ、まさに、と思う。
日常で私たちがここまで「ハレ」である必要があるんだろうか。
誰の目を意識して、短いまつ毛に何度もビューラーをかけて、
ミリ単位やグラム単位で本日の自分の体のサイズに一喜一憂して、
常に120%の自分を見せていなくちゃならないんだろう。
異性の目?ほんとにそう??
「女性であれば常にきれいでいたいと思うのが当たり前」なんて
すみません、どなたさまの価値観でしょうか?
そうであろうとすることは、本当に「努力」の範疇?
価値観はさまざまですよ。それは認める。
でも、あたしゃヤダなー。疲れるっちゅーねん。
見られるのが好きな方は、どうぞどうぞ。
でもそれを「当たり前」とかにはしないでほしいです。
久々に本を読んで物思いにふける余裕ができそうなので
amazonのマイページを覗いたら・・・
わー!
そんなに色々お勧めしないでくれたまえよ!!
芋づる式に欲しくなってしまうではないかー