『お友だちからお願いします』三浦しをん著 大和書房
が、やっぱり面白い。
昨日の夜もベッドで、ぐふふふふふ・・・と、夜に相応しからぬ怖い笑い声を
発してしまいました。
(以下少しネタバレします)
直木賞作家なのに、足軽に扮して川中島の合戦を再現するお祭りに参加しちゃう
しをんちゃん。
そこで「モタモタ走って」「脳天を八回くらい刀でかち割られる」しをんちゃん。
直木賞作家なのに、駅弁を買うとそわそわして、「まだ品川駅に停車中なのに」
(品川駅から乗車してきて、です)「朝9時なのにビールのプルトップをあけ」
「ヒレカツ弁当に箸をつけてしまう」しをんちゃん。
ぶぷぷぷぷぷ・・・
おかしい。
「脳天を八回くらい刀でかち割られる」にはマジ笑いした。
駅弁の問題は私も同じ問題(?)を抱えています。
東京駅で買った駅弁が「熱海駅通過まで保ったことがない」《「」は文中より》。
海外出張からこちら競技のことが生活の中心で、帰国してからは不在の間のことを
何とかしなきゃといっぱいいっぱいになってたことに、
久しぶりに競技以外の本を読むことで気づきました。
たかがバスケ。されどバスケ。
視野狭窄で良かった試しは一度もない。
今日も暑かったけれど、同じ日差しでも逃げ場がないほどキツイ、という
感じではありませんでした。
夕方前にプラプラ外を歩くのが気持ちいいと感じるほどには。
このまま秋になってくれたらいいけど。

私にとってはこの「ぷらぷら歩く」のも、
気分転換というかちょっとした瞑想的な時間になっていて、
なにげに日常生活では大事な時間。
だから、外を歩けないほど暑かったり寒かったりすると、
気持ちや思考が「煮詰まってきてんなー」って感じになります。
今日はお気に入りの裏通りを歩いていたら、
以前建っていた日本家屋が解体作業中だった。
ずいぶん広い土地に建っていた、木造の重々しい本当に立派な感じの日本家屋。
昔からある古い家のようで、今は住んでいる人はいなかった様子だけど、
きっとかなりの名家かお金持ちのおうちなんだろうと思ってました。
昨年の震災で倒壊寸前になっていて「立ち入り禁止」「倒壊注意」と、
補強するテープが張り巡らされていました。
こんな立派な家屋にはきっと、厳格なおばあさまや品のいい和装の
お父さん、お母さんにお坊ちゃんが住んでいて、使用人も何人か居たり、
坊ちゃんには家庭教師がいたりして、厳しく躾けられているに違いないわ!と
前を通るたび、妄想をたくましくしていたのですが。

誰かが住んで、育て育てられて、生活していた空間の跡。
大事なものも、大切な想いもあの「残骸」に見える山の中かなあ。
震災の時、よく言われた「残骸」や「ゴミ」は、
震災の前は誰かの大切なものや生活用品だった。
時は移りゆくのだねえ。
だけど、ここで生活を営んでいた人は、
ただ、今ここにいないだけで、
きっとどこかで新しい生活を営んでいるに違いないのです。
が、やっぱり面白い。
昨日の夜もベッドで、ぐふふふふふ・・・と、夜に相応しからぬ怖い笑い声を
発してしまいました。
(以下少しネタバレします)
直木賞作家なのに、足軽に扮して川中島の合戦を再現するお祭りに参加しちゃう
しをんちゃん。
そこで「モタモタ走って」「脳天を八回くらい刀でかち割られる」しをんちゃん。
直木賞作家なのに、駅弁を買うとそわそわして、「まだ品川駅に停車中なのに」
(品川駅から乗車してきて、です)「朝9時なのにビールのプルトップをあけ」
「ヒレカツ弁当に箸をつけてしまう」しをんちゃん。
ぶぷぷぷぷぷ・・・
おかしい。
「脳天を八回くらい刀でかち割られる」にはマジ笑いした。
駅弁の問題は私も同じ問題(?)を抱えています。
東京駅で買った駅弁が「熱海駅通過まで保ったことがない」《「」は文中より》。
海外出張からこちら競技のことが生活の中心で、帰国してからは不在の間のことを
何とかしなきゃといっぱいいっぱいになってたことに、
久しぶりに競技以外の本を読むことで気づきました。
たかがバスケ。されどバスケ。
視野狭窄で良かった試しは一度もない。
今日も暑かったけれど、同じ日差しでも逃げ場がないほどキツイ、という
感じではありませんでした。
夕方前にプラプラ外を歩くのが気持ちいいと感じるほどには。
このまま秋になってくれたらいいけど。

私にとってはこの「ぷらぷら歩く」のも、
気分転換というかちょっとした瞑想的な時間になっていて、
なにげに日常生活では大事な時間。
だから、外を歩けないほど暑かったり寒かったりすると、
気持ちや思考が「煮詰まってきてんなー」って感じになります。
今日はお気に入りの裏通りを歩いていたら、
以前建っていた日本家屋が解体作業中だった。
ずいぶん広い土地に建っていた、木造の重々しい本当に立派な感じの日本家屋。
昔からある古い家のようで、今は住んでいる人はいなかった様子だけど、
きっとかなりの名家かお金持ちのおうちなんだろうと思ってました。
昨年の震災で倒壊寸前になっていて「立ち入り禁止」「倒壊注意」と、
補強するテープが張り巡らされていました。
こんな立派な家屋にはきっと、厳格なおばあさまや品のいい和装の
お父さん、お母さんにお坊ちゃんが住んでいて、使用人も何人か居たり、
坊ちゃんには家庭教師がいたりして、厳しく躾けられているに違いないわ!と
前を通るたび、妄想をたくましくしていたのですが。

誰かが住んで、育て育てられて、生活していた空間の跡。
大事なものも、大切な想いもあの「残骸」に見える山の中かなあ。
震災の時、よく言われた「残骸」や「ゴミ」は、
震災の前は誰かの大切なものや生活用品だった。
時は移りゆくのだねえ。
だけど、ここで生活を営んでいた人は、
ただ、今ここにいないだけで、
きっとどこかで新しい生活を営んでいるに違いないのです。