古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

神奈川宿 台町とは・・? 膝栗毛初編13

2016-05-18 14:33:16 | 膝栗毛初編

~~はや神奈川のぼうばなへつく。それよりふたりとも馬をおりてたどり行くほどに神奈川の台に来る。ここは片側に茶店軒をならべ、いづれも座敷二階造り、欄干つきの廊下桟(かけはし)などわたして、浪うちぎワの景色いたってよし。~~

 弥次・喜多は川崎宿で大名行列を見物したあと、勧められるままに200文を払って2里半の道のりを馬に乗って神奈川宿に来ました。200文というのは2匹の馬を並べてとありますから、1人100文ということになります。

 「ぼうはな」というのは「これより神奈川宿」と記した棒杭のこと、もしくはそれが建っている地点を指し、「神奈川の台に来る」というのは台町に着いたということで、広重の絵でも分かるとおり、ここは少し登り坂になっています。台町は宿の中心なのでしようが、道の右側に建物はないのでしようか、広重はそこを描きこんでいないし、一九の文章もそこには触れていません。台町は片側町だったのか、気になりますがご存知の方教えてください。

 広重の浮世絵 神奈川宿

 ~~ちゃヤのおんなかどに立ちて「おやすミないやァせ、あったかな冷飯もございやァす。煮たての肴のさめたのもございやァす。そばのふといのをあがりやァせ。うどんのおつきなのもございやァす。お休みなさいやァせ。」~~

 おもしろい呼び声ですね。 「・・・やァせ、・・・やァす」というのは考証がありますが、「あったかな冷飯、煮たての肴のさめたもの・・」以下の呼び声は一九の創作のようです。

 茶屋のむすめ「お休みなされやアせ、奥がひろふございやす」、喜多八「おくがひろいはずだ、安房・上総までつづいている。」

 広重の絵を見ていただきたいのですが、海の向こうの島影は正に安房・上総なのです。広重はこの絵を描くときに一九の文章を参考にしたのではないか。膝栗毛は享和2年(1802)の上梓、広重の絵は天保4年(1833)31年後のことですが、文章と絵があまりにぴったりとはまっています。