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古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

菊池市の菊祭り

2016-11-09 18:03:29 | 日記

     黄菊白菊その外の名はなくもがな  嵐 雪

 服部嵐雪は蕉門のなかで榎本其角と並び称せられた俳人で、なかなか良い句を詠んでいます。この句なども言われてみて、なるほどと気付かされる佳句です。

 花のなかでも菊は種類が多くそれぞれに美しさがあり目移りのするものですが、しかし煎じ詰めれば二色あればよく、則ち黄と白だというのです。

 


菊池武光公の菊人形と銅像

2016-11-08 11:47:19 | 日記

太刀洗いの場

菊池市市民広場にある武光公の銅像

福岡県太刀洗町にある武光公の銅像(ネットより取得)

 菊人形は鎧を模った花が十分に咲き揃っていませんが、これが咲き揃ったら見事な人形に仕上がることでしょう。

 少し不満を言わして貰えば、武光公の面貌が凄惨な合戦に臨む武将の表情としてはリアリティに欠けるのではないか、もっと臨場感あふれる形相にしてほしかったということです。これではマネキン人形のようで迫力に欠けます。

 「太刀洗いの場」というのは「筑後川の戦い」で武光公が血塗られた太刀を洗う場面のこと。筑後川支流の太刀洗川及び同町名はこの故事に由来すると言われています。この合戦は関ヶ原、川中島と並び称される日本三大合戦の一つで南北朝時代にあった合戦です。

 菊池市の武光公銅像は平成に入って町興しのために建造されました。ところが太刀洗町にもあるのです。なぜなのか、同町教育委員会に問い合わせたら昭和12年の建造で趣意、目的などは当時の記録類がなく分からないということでした。

 ここから先は私の個人的な考察で恐縮ですが、昭和12年といえばあの2・2・6事件の翌年であり、日本は日中戦争の泥沼にはまり込んで、軍部の独走が止められなくなっていた時代です。戦意高揚のために住民の意思などには頓着せず軍主導で建造されたのではないか。

 南朝の忠臣であった菊池一族の顕彰碑があちこちに建造され始めるのもだいたいこの時期です。戦後軍国主義が否定されGHQの銅像追放令などにより関連の建造物が取り壊されますが、その時期を乗り越えて今日に遺ったのは、例えば萩市にある山県有朋像と同じく彫刻の見事さ、芸術的価値の故ではないかと思います。

 


菊に蝶 菊池市菊祭り

2016-11-07 17:19:05 | 日記

 菊池市の菊祭りの会場で撮った1枚です。一頃わが家の黄花コスモスに

も毎日来てくれていたのに、この頃見なくなって寂しく思っていましたが、菊

祭りの会場で見かけました。追いかけ回わして何枚も撮ったなかの1枚

す。菊の写真は追々アップしていきます。


たはれ島

2016-11-05 20:34:46 | 日記

 清少納言の「枕草紙」第193段に「島は八十島、浮島、たはれ島、ゑ島、松が浦島、豊浦の島、まがきの島」とあり、この段はこれだけの短い記述ですが、その3番目にある「たはれ島」が写真の島です。

 秋晴れの好天に恵まれたのでカメラを持ってマイカーで出かけました。宇土市住吉町がその所在地で、我が家から50分くらいで行けます。ちょうど満潮に行き合い良い写真が撮れました。

 島と云うよりこれは小岩礁ですね。こんな所を京都にいた清少納言がよくも知っていたものだと思いますが、父君の清原元輔が国司として肥後国に赴任していた事実とを考え合わせると、そこに接点があるように思われます。

 


大塩平八郎 貧民1万余人へ1人1朱宛施す

2016-10-30 21:55:51 | 日記

一 大塩平八郎二月初 所持之書物 銀四拾貫目余ニ 

  売払貧民ニ壱人前ニ金壱朱宛致施行 

  候由 右之世話いたし候書林も被召籠候 且又十

  八九日ニハ壱人前弐朱宛 猶施行致すと諸方へ

  触候て寄リ来ルもの共を集め候て人数ニ加へたり 

  とも風説いたし二取前施行ハ相違無之候事

  上記は熊本藩細川家家臣の家に伝わる「大阪出火騒動聞書」という写本より

引用したものです。古文書の書体の一部を参考までに掲載しました。

 「大塩平八郎の乱」という呼称件名はいつごろからそう呼ばれるようにったので

しょうか・・同時代の記録類iは以下のような標題のものばかりです。「大塩騒動

記」、「大塩平八郎騒乱記」、 「大塩騒動記」、「天保中大坂一件」、丁酉大坂大

塩騒動記」等無数にありますが、多くは「騒動」となっており、「平八郎の乱」とい

うような標題は当たりません。ということはこれはずっと後世になって命名され

たものと思われます。

 さて、ここに特にこの一項を取上げたのはこの文書を読んでいて少し奇異に

思ったことがあったからです。と言うのは大坂は銀遣いの中心地であり主たる通

貨は銀であったはずなのに平八郎の救済金は金貨で分配されたこと、この点が

気にりました。平八郎には数万冊の蔵書があったといわれ、それを貧民救済

に全部売り払った訳ですが、その代銀が40貫目、ここまでは銀遣いなの

す。れをわざわざ金貨に両替(手数料がかかる)をして分配したのですか

ら、分からぬです。そうしなければならなかった理由があってのことでしょう

が、その由とやらを知りたいものです。(今後の課題)

 ちなみに銀40貫目=金666余両=1万人余(1人1朱分配の場合)

 金1朱=銭250文 この時(天保8年1837)は異常な米高で白米1升180文、

 これでは救済金も焼け石に水ですね。

 


筆㓛之覚

2016-10-22 20:59:24 | 日記

著作権等を考慮して小画面にしています。(「光尚公譜」北川文書)

一、同十一月御知行折帋拝領筆㓛之覚

  一、百石より下者              拾 疋  但京銭壱貫文ニ〆弐拾目

  一、百石より五百石迄者        弐拾疋

  一、五百石より千五百石迄者     五拾疋

  一、千五百石より四千五百石迄者  銀壱枚

  一、四千五百石より壱万石迄者    同弐枚

  一、壱万石より上者            同三枚

右之通御定なり

     寛永十九年十一月廿五日             御奉行中

 「筆㓛」とは何か、初めに用語の説明をしておきます。領主は臣下へ領地を与えますが、それを知行と言い、その内容を記した文書を宛行状と称します。

 臣下にとって宛行状は命よりも大切な文書です。知行は子々孫々受け継いで行くであり、宛行状はそれを担保する文書だからです。

 ここではそのことを「知行折紙拝領」と言っています。そういう大切な文書は上質の紙に立派な文字で書いてもらいたいと思うのは人情です。その要請に応えて覚え書きが作成され、石高に応じた手数料が定められました。それを「筆㓛」と称します。

 さて、それでは手数料の金額について説明します。先ず「疋」ですが、1疋=10文というのが寛永のころの相場でした。金子○○疋というように呼称しますが、金・銅の交換比率は時代が下るにつれて銅貨が下落し、幕末にはなんと1疋=20文というレートになりました。ですから、古文書に「疋」とあるからと言っていつも1疋=10文ではないので注意が必要です。

 百石以下は10疋とあるので、これは100文ということです。ところが但し書きに書いてあることが大変おもしろいのですが、ここを理解しないとこの文書を読めたことになりません。

 京銭1貫文に〆20目とあります。京銭は鐚銭(びたせん)と呼ばれる粗悪銭のこと、また20目というのは熊本は銀遣いの経済圏でしたから銀目で換算式を表示したのです。

京 銭    1貫文(1000文)=銀20目    銀1匁=50文

寛永通宝  1貫文(1000文)=銀12.5匁  銀1匁=80文  

          上式は金1両=銀50匁=銭4,000文の公定レートより

 上の式から寛永通宝と京銭の交換比は1対1.6になります。則ち百石以下の手数料は寛永通宝で支払えば100文ですが、これを京銭で支払えば160文いただきます、ということです。2項3項は20疋、50疋ですから同様の計算式から割り出せます。

 4項以下は銀目で支払えとあります。銀1枚は重さ43匁の銀塊のこと。これを小判に換算すれば43/50=3分2朱くらいになるようです。(小判1両は銀50匁)

 


老中奉書

2016-10-16 13:25:04 | 日記

著作権等を考慮して小画面にしています。

 

 古文書のサイトらしく古文書を取り上げてみます。上の文書は江戸幕府より熊本藩細川家へ発給された所謂老中奉書といわれる文書です。文書の原本は細川家永青文庫に保管されている筈ですが、これは藩校時習館の物書き役をしていた家臣が写し取った写本の中にある一通です。(北川文書)

先ず翻刻をしてみましょう。

一  同(寛永十九年1642)七月十六日天草百姓之儀ニ付御老中より之奉書

一筆令啓上候  天草嶋原領 先年滅亡所ニ 今百姓無之 不作

之儀ニ候 然者領内百姓之内 親子 兄弟 五人も三人も有之候而

其所之田地不明 郷村より壱人宛 可遣候旨 被得其意 御奉公

之儀ニ候間 被差越尤ニ候 恐々謹言

    七月十六日            安部対馬守

                        安部豊後守

                        松平伊豆守

              細川肥後守殿

 翻刻文を読めば意味は分かりますよね。天草嶋原の乱に加わった農民およそ37,000人は老幼男女の別なく全員が処刑され、彼らの居住していた村々は廃村となってしまいます。跡地を統治する幕府は流石にそのままにはできないので近隣諸藩へ入植者を入れるよう命じます。

 これは命令であって任意の募集ではありません。「御奉公の儀」というのはそういう意味です。そこが前近代社会なのです。

 ところが現代社会にあっても似たような事象はあります。例えば大企業の希望退職募集。表面上は募集なので退めたくなければ応じなくても良いかというと、かならずしもそうなっていない実情はいたるところで目にします。

 日本社会は寛永の頃からさほど進歩していないとも言えますね。


秋2

2016-10-15 00:32:00 | 日記

 秋の深まりが加速しています。短パン半袖姿では過ごせなくなりました。暑い盛りには早く涼しくなつてくれ、と切望しましたが、こうなると暑かった夏が却って懐かしく思われます。

 これは蜂でしょうかそれとも蝶・・?忙しく飛び回って蜜を吸っています。この触覚はゼンマイ仕掛けのように巻いたり伸ばしたり伸縮自在。

 胴体は空中に停止しまま、まるでオスプレイのような飛行。墜落事故をよく起こす欠陥オスプレイと違って、この虫の飛行には安定感があります。


下江津に鴨来る!!

2016-10-12 11:36:19 | 日記

今年も江津胡に鴨が渡ってきました。日々観察をしているわけではないので何時飛来したのか分かりませんが、バードウォッチングをしている知人に聞いたら、以下のようなメールがとどきました。

9月22日の ヒドリガモ6羽 と コガモ2羽が初認です。
 
今日10月11日には、ヒドリガモは392羽、コガモ16羽、カルガモ15羽でした。
 
毎日、数えています。
 
これは驚きです。バードウォッチングというのはただ観ているだけではないと言うことが分かりました。「初認」などいう用語は初めて聞きます。300や400のうちはそれほどでもないでしょうが、1000,2000と増えたら数取りも大変だろうなあ・・
 
写真はあまり鮮明に撮れていませんが、これでも200mmの望遠を使っているのですよ。

アップもこれくらいが限度です。鴨は近寄ると退くのですよ。人にはいつも一定の距離を保っています。だから普通のカメラでは撮らせてもらえません。

これは芦の穂です。靡くために穂に出たような感じがします。


秋!!!

2016-10-07 17:39:25 | 日記

庭に黄花コスモスが咲き蝶が一日中飛び回っています。台風の心配もなくなり、いよいよ秋本番、暑くもなく寒くもなくよき秋日和が続きそうです。

今蝶と書きましたが、これは蝶でしょうか・・蛾ではないかとも思うのですが、どうなんでしょう・・蝶なのかそれとも蛾なのかどうもモヤモヤが晴れません。

 


手作りチラシ

2016-10-03 18:14:42 | 日記

郵便受けに上のチラシが入っていました。量販店やスーパーの新聞折り

込みチラシは毎日のように入りますが、このチラシはそれとは違い一枚だけぽ

つんと入っていました。大きさはA4の半分くらい、豹革のような模様の枠の中に

見ての通りの手書きの文字と写真です。一見して垢抜けのしない素人臭いチラ

シですが、一生懸命に作った跡が感じられ好感を持ちました。ご丁寧に誤字ま

であって漢字に弱い若い人の作品であることも想像されて、却って親しみを感じ

ました。

これを作った人に是非とも会ってみたいと思い今日お店を訪ねました。

奥の方に帽子を被った女性が立っていますが、その人がチラシの製作者です。30代半ばくらいと見受けました。

来意を告げると大変喜ばれましたが、誤字について恐縮しておられました。ツタヤ2Fのフロアーには他にも5、6店テナントが入っていますが、「GERCE」は奥まったところに売り場がありました。

なかなか洒落た飾り付けのお店でした。フランス直輸入だそうですが、価格は1万4,5千円から2万円くらいの商品が主流のようです。

本社は福岡市にあり、熊本に出店して1年になるそうです。チラシ作りでも分かるように接客態度にも誠意が感じられ、こういうお店は伸びると直感しました。


野党統一候補 あべ広美さんを応援します!!!

2016-07-03 20:31:09 | 日記

パルコ前、下通入り口で4野党合同演説会がありました。安倍政権によって憲法が毀されようとしている時、古文書のサイトだからといって黙ってはいられません。改憲勢力に2/3を取らせる訳にはいきません。

あべ広美さんに頑張って欲しい‥応援します。

連日の演説にあべさんの声は潰れかかっていましたが、それでも元気一杯。力の籠もった演説に大きな拍手と喚声が湧き起こりました。

 

松野頼久衆院議員の応援演説。松野さんには降壇されたとき握手を求め衆院選も野党統一でお願いします、と声をかけたら「勿論です。これしかない。」と力強い返辞が返って来ました。

共産党田村貴昭衆院議員の応援演説。痩せ形の小柄の人ですが演説の声はよく徹ります。訴えがアーケード内に響きわたっていました。

ママの会の人たちも来ていました。今やすっかりおなじみの横断幕になりました。


新入会者あり、8人の会へ

2016-05-13 07:52:36 | 日記

 5月12日(木)の例会時に入会希望の方が見えました。

 新老人の会俳句サークルの代表をなさっている近田綾子さんです。俳句会の席で古文書サークルの紹介をしたことがありましたが、まさか例会の場へ突然訪ねて来られるなど想定外の出来事でした。

 世話人の今村さんはじめ皆さん大喜びで、我が古文書会も8人の会へと成長しました。

 男性⒋人、女性⒋人の構成です。

この建物の2階で読み合わせ会をやっています。(第2・4木曜日)

公園参道の鳥居が撤去されました。締まりのない風景になったようでさびしい・・早く再建してほしいものです。

池の水が少し戻ってきました。干上がったところを全て埋め尽くすまでにはなっていませんが、一頃の殺風景が幾分緩和しました。