もうすぐ桜桃忌(6/19)。
毎年5月の今頃になると今年は行こうか行くまいか迷う。
距離的に三鷹は近いけど、心理的に遠いところ。
2011年9月半ば、古書店の店先で古い週刊誌を立ち読みしていた。
「昭和23年太宰治と心中した山崎富栄の遺体」と題された表紙に
視線が止まり、思わず買ってしまった週間朝日。
太宰治の心中相手がなぜ山崎富栄なのか、
自殺未遂4回の太宰と知りながら岡惚れした山崎富栄は情死も辞さない覚悟
の死と想像できるが、はたして太宰にはそれに伍す愛情があったのか否か。
太宰の遺書は残された奥方に「誰よりもお前を愛している」と残し、
山崎は「太宰と一緒に死ねることの幸せ」をしたためる。
田部シメ子や小山初代の件を思えば、太宰の情死相手は誰でもよく、
たまたま当時の愛人山崎富栄の一途な愛を利用した心中とも思えるが、
純粋な双方合意の情死なら是非もない。
私たちはそこに走り寄った。
目の下の、水が打ち寄せるあたりに、
わずかばかりの平たな赤さの地面があり・・・。
私たちは土提の雑草を辷りおりて、その地面に立った。
すぐ目の前に太宰さんと富栄さんがいて、
流れのまにまに浮きつ沈みつしていた。
(巖谷大四著「懐かしき文士たち」より)
克明に心中の顛末が書かれている本を読んでも「その場面」は
想像の域に遊び、心中という言葉にdramatizeしてしまう。
幾万の言葉を持ってしても一枚の写真に敵わないことがある。
写真を見たからといって何かが分かるということではなく、
写真を見たことで太宰治の死を圧倒的な事実として認め、
ぼくの中に中途半端に生きていた太宰治が二度死んだということ。
蓮華の葉に座し、
安吾、織田作と酒を酌み交わし、ヒロポンを打ち、カルモチンを
浴びるように飲み、無頼の限りを尽くせよ....愛しの文士たち。
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