睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

お盆によせて永大供養とお墓つれづれ

2011-08-17 19:10:38 | 時事・世相・昭和~令和

寺を改築したときに切りだした杉の切り株
直径が80cmくらいあった。



お盆前に墓のそうじに行ってきた。
ここから車で30分ほど、県道から少し湖に下がった林の中に寺がある。
本堂へ続く参道の左側に昔ながらの墓が、駐車場をはさんだ右側には
新しく造成された今風の墓が並んでいる。

左側の墓所は大きくて古い。
土地の名士の墓は10畳間二つくらいの墓所に20個あまりの墓石をつらね、
その家の隆盛を誇っている。

中くらいの規模のうちの墓でも6畳間はゆうにある。
商才に長けた住職なら、
「この家は跡取りがないから何年か後には戻ってくる、しめしめ・・・」と
新しい造成プランを描いているかもしれん。

お寺さんの墓所は自分のモノであって自分のモノでない。
墓所の敷地を「永代供養」の名を借りて高額の供養料を払いわが墓とするだけ、
当然、跡を取る者がなく永大に供養ができない場合はお寺さんに返すことになる。

その場合は返される墓所が広ければ広いだけ坊主丸儲け、
ひとつの墓を1畳分くらいの墓に切り分けて「永代供養」の分譲ができる。




40年くらい経った古い墓所は代が替わり新しい造作が目立つようになったが
うちはまだおんぼろのまま。

バブル全盛期に墓の改装を寺のお抱え石材店に依頼したところ
五百数十万円の見積りがきた。
ひと目みるなり、中古のビーエムが買えるわ、でおじゃんになった。
つい先日、同じ見積りを取ったら380万円だった。

これを高いとみるか、安いとみるかは、墓を守る跡取りしだい。
うちみたいに跡取りがなく、頼みの一人娘を嫁にやった場合は
誰も墓を守ってくれる人がいない。

夫婦のうちどちらかが先に逝った時点で、寺の大きな墓は返して
近くにあるバスで行ける霊園に移すという手もある...。
そこが悩ましくて決断できないところ。

そして今日も、
よそ様はピカピカつるつるの御影石の床だというに、
蚊に刺されながらはいつくばって草をむしる。
カマとか軍手とか農薬噴霧器まで持っていくしまつ。

汗をかいた顔に渉る風は涼しく、
みおろす湖に今はなき故郷をみる。






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