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睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

望外の「余力」

2009-09-19 00:21:38 | アート(画・書・創作)

背景を替えてみた。
ちょっと画像が大きいと右側と下の部分に自動でスクロールバーが入ってしまう。
今さら全部の画像サイズを変更するのはシャクだし、そのままでは見づらいし、
gooも有効サイズに合わせて画像の自動縮小・拡大するぐらいのサービスをしても
いいと思うけどな。

明日でブログの毎日更新2ヵ月達成の予定、
ここまでは無理なくつづけてこられたが、そろそろビョーキが出そうな悪寒。
夜のベランダから花火を見ながらも、心は眼下にともる赤提灯。




ここからが本題。
「ゼロ」から何かを創り出すということ。
「何か」を創ろうとすれば有形無形の数え切れないキャパを必要とする。
目に見えない余力が拙い何かに作品としての深みや彩りを添えてくれるはず。
数行のセンテンスの行間に書けない、書いてはいけない、でも書きたい・・・の
さまざまな
想いと葛藤を込める。

この抽象的な望外の余力は風船みたいなもので、
自分で高めようと努力をすればするほど、するりと逃げる。
低空滑走や夜間飛行が得意でたまに青山(せいざん)に分け入ることもある。
どうやら常に無心を求めているようだ。

  ♪シャボン玉とんだ 屋根までとんだ
   屋根までとんで こわれて消えた
   シャボン玉消えた とばずに消えた
   生まれてすぐに こわれて消えた
   風々吹くな シャボン玉飛ばそ


余力をもとめず、絵を描き、書を書き、ただただ座る。
句歌に、馬に、瞑想に、想い出に、ブログにのめり込む。
のめりこむ先が本線の苦悩の避難所でもいい。

どれが本線で、どれが伏線なのか、先のことは分らないから、
いまこのとき自分の欲するまま、やりたいことをやりたいだけやる。

顔を見たこともないネット友人と、とりとめない世間話のメールを交わし
思いがけない原石を見て心躍らせる。

キリキリと絞った弓のように限界まで張り詰めた糸が前触れ無くプツンと切れる、
時に鬱もどきの時は「♪みんなどっかへいっとくれ、ばい、ば~い」って心境だから。
自分の内観に深く立ち入り禅問答を繰り返すように無明長夜をさすらわないと
現実回帰ができない。不器用な自分が嫌いだから、ヒトも嫌いになる。

突然ブログの更新が途絶えるのはこんなときです。
その時は充電真っ最中と思し召しいただければ幸いです。

やがて心眼さめて草木国土悉有仏性。
(ソウモクコクドシツウブッショウ)




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