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梶井基次郎の『檸檬』には別に実在したレモンがあった

2005年03月08日 | 詞花日暦
檸檬を仕掛けられたのは
丸善の棚だったのだろうか
――中谷孝雄(作家)

 珠玉のような短編を残し、早世した梶井基次郎の代表作は、やはり『檸檬』だうか。青春時代の不安が、みごとに黄色いレモンに凝縮している。小説の主人公が、京都の書店・丸善でアングルなどの画集を「奇怪な幻想の城」のように積み重ね、上にレモンを乗せる。
 書籍の雑多な色が紡錘形のレモンに吸収され、書店の空気が冴え返る。そのまま店をあとにし、黄金色に輝く恐ろしい爆弾が炸裂する光景を想像する。この有名な場面は、実は小説のなかだけではない。京都三高(現京都大学)時代、同窓生だった中谷孝雄の家にもレモンを置いていった。「これを食ったらあかんで」とだけいい残した。
 後年、『檸檬』が発表されたとき、中谷はそれを思い起こして驚愕する。彼は普段から梶井を「妥協家」「理想主義者」と辛辣に批評していた。青春の心にのしかかる「えたいの知れない不吉な塊」は、梶井のような若者たちにレモンの爆弾をしかけさせる。いつの時代も青春の不安と破壊への意志は変らない。

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9 コメント

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檸檬(れもん)と聞けば・・ (みく)
2005-03-08 10:45:43
梶井基次郎の買ったカリフォルニアレモンでなく我が島のレモンを思い出します。 あの丸善も私がいた頃の場所には当然ないでしょうがレモンを売っていたお店はまだあるそうですね。 教科書に載っておりましたが、”奇怪な幻想の城”の如く積まれた書籍、アングルの画集もあったのですか・・泉(関係ないか・・)彼の迷いや焦りや苦しみをうまく表していると思ったりしたものです。 私的にはレモンはなぜか爽やかさばかりで無く前向きや元気をもえらえる存在なので、その城の上に置かれた紡錘形のレモン、彼には実に爽快だったでしょうね。 丸善を出て行った時の顔が浮かぶようです。 しかし爆弾をしかけた発想は・・現実と非現実(そうでないかも)ひやりとした瞬間でもありました。 中谷さんの家に置いていったレモン。 作品を読んだ時の驚きは・・それにしても親しき仲ならばこそ・・すごいユーモア?と思いました。 青春の苦悩、若者達のレモンの爆弾・・ひとさまへの迷惑だけは顧みて欲しいものです。 穏やかな瀬戸内の島のレモンが送られてくるとあの積まれた城の上におかれた姿を想像してしまいます。 それにしても短い生涯ですよね。 彼の血液型って・・?
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丸善はたしか・・・ (菅原)
2005-03-09 15:32:25
あるでしょう。レモンをかった当時の小さな八百屋もずいぶん長く残っていましたね。梶井はみくさんのいる大阪の人ですよ。いま私が住んでいる東京の一角も東大生だった頃の彼が住んでいた場所が近い。彼が歩いていた道を私も毎日歩いています。血液型は知りません。教科書の梶井を憶えてるなんて、さすがにみくさんらしいですね。もって生まれたいい感性のせいなのでしょう。
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大阪・・そうですよね (みく)
2005-03-09 16:33:13
大阪で生まれ市内のあちこち、東京等転々と・・大阪で最後を迎えて・・。 まるで分っていたかのような命、あの短い生涯ゆえに苦しみ迷い焦りがあったのでしょうか。 恋多き彼を思うにあたりとB型、あるいはBー型かいな・・とか思ったりしていました。
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そげな魂胆があったと? (菅原)
2005-03-09 18:33:39
私が歩いているのは物理的な実際の道です。昭和初期に雪の降った坂道など、彼の小説に描かれた場所です。「恋多き」道を追っかけているのじゃありませんぞ。B型にかこつけて、私のことを・・・。そげな魂胆があったとは思いませんでした。私はまじめ一辺倒って言いませんでした?
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まじめ一辺倒って・・? (みく)
2005-03-09 21:46:07
さぁ・・ならば十字架はとうに降ろされたのですね。 了解です。 しかし過去の文学者の小説に描かれた場所を歩くのって味わいがありますね。 身近な与謝野晶子の足跡なども尋ねてみたくなりました。 色々な記事のお陰さまで心の引き出しを開けて見ては、忘れかけた過去を懐かしく思い出させてくれて有難く思います。 
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与謝野晶子といえば・・・ (菅原)
2005-03-10 09:20:59
まずは泉州堺でおますな。あそこには千利休の井戸もおますし。そういえば、市電の長い道をたどった先に有名なお寺はんがあって、茶道を起こした人達の古いお墓が残ってまっせ。五輪の塔でおます。
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五輪の塔が・・? (みく)
2005-03-11 10:00:15
知らないです・・。 その塔のお寺って南宗寺ですか? 歴史が大の苦手だった私ですが、今こうして与謝野晶子や千の利休や時代の武将達が色々なところで接点がありおぼろげながらそれらが繋がっていることを感じますときに不思議、かつ面白いなと今は思うことが出きます。 与謝野晶子が東京へ行くまでの若き恋の時代、京都も秋に感じましたが、堺にあるそこかしこの歌碑や詩碑を尋ねメモリアル・フォトに載せたいな・・と思ったりしました。 色々なヒントを与えていただき感謝に思います。  
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みくさん (菅原)
2005-03-11 10:56:21
そう、南宗寺です。さすが、関西在住。いまでもよくお茶会が開かれています。珠光や利休まで手を広げると、難儀なことになるかもしれません。昔、似ているといわれた晶子辺りから…。堺はもちろん、近くは住吉神社、浜寺公園辺りが出発点になりますかね。京都・蹴上の浄水場の中にも歌碑がありました。鉄幹、山川登美子と宿泊した場所です。ほとんどが昔の光景と変わっていますが、歌の背景を知るよすがにはなりますね。
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似ているなんて・・ (みく)
2005-03-11 19:14:15
良く覚えていらっしゃいました。 ただ面長と言うだけです。 数多い堺から京都、蹴上げ等など・・つつじの季節はあまりにも人が多いので、その時期を避けてゆっくり一度歩いてみたいです。 今はデジカメがあるので楽しさは倍加されますし・・。 
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