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地名アラカルト

各地の難読地名や珍しい地名についての由来やエピソードなどについて調べてみたいと思います。

新潟県の難読小学校名  いくつ読めますか ⑥

2018年08月11日 20時26分02秒 | Weblog
①糸魚川市立能生小学校  糸魚川市能生       
②糸魚川市立西海小学校  糸魚川市大字羽生(はにゅう)
③五泉市立大蒲原小学校 五泉市南田中
④上越市立小学校 上越市飯   
⑤上越市立下保倉小学校 上越市浦川原区横川
⑥上越市立上下浜小学校  上越市柿崎区上下浜
⑦上越市立大瀁小学校  上越市頸城区百間町   
⑧上越市立美守小学校  上越市三和区本郷   
⑨上越市立三郷小学校 上越市長者町
⑩上越市立八千浦小学校  上越市下荒浜

 読みなど

① のう 明治22年4月,能生町村と能生小泊村が合併して能生町成立(~平成17)。能生は古書には「のうみ」とみえ,青々とした海に臨む集落の意という。校名も読みも2文字。
② にしうみ 明治34年11月,北西海村と南西海村が合併して西海村成立(~昭和29)。西海は海川流域の総称。
③ おおかんばら 明治22年4月,上大蒲原・下大蒲原・南田中など10村が合併して大蒲原村成立。村名は江戸期に当地方を大蒲原組と称したことによるという。かつて蒲原鉄道(昭和60年廃線)の大神原駅があった。
④ いい 地名は,上杉謙信(1530~78)の城として知られる春日山城から家臣が出陣する際,村人から飯の炊き出しの供応を受けたことに由来するという。一字校名。なお,栃木県芳賀郡茂木(もてぎ)町飯も「いい」と読む。
⑤ しもほくら 明治26年開校。明治22年4月,横川・長走など15村が合併して下保倉村成立(~昭和30)。下保倉の地名は消滅した。平成29年3月,統合のため閉校。
⑥ じょうげはま 明治7年開校。地名の由来には,集落が上下する砂丘の上に形成されたことによる説や,海岸に近い下浜と北国街道沿いの上浜とを合わせたことによる説があるという。
⑦ おおぶけ 保倉川下流と潟野砂丘に挟まれた低湿地に位置。明治23年5月,北大瀁村が大瀁村に名称変更(~昭和32)。フケは低地の意で,大瀁は大きな低湿地。
⑧ ひだもり 明治22年4月,本郷・錦など13村と3新田が合併して美守村成立(~昭和30)。美守は『和名抄』の夷守(ヒナモリ)郷の変化で,上古の天皇氏の命による辺境の防備官のいた地ともいわれている。あるいは戦国期に「比田森」と呼ばれていたこの地に「美守」の美称を用いたのか。
⑨ さんごう 明治22年4月,本長者原・新本長者原など6村と3新田が合併して三郷村成立(~昭和30)。村名は,昔は武士(もののふ)郷・高津郷・新田郷に属していたことに因むという。
⑩ やちほ 明治22年4月,下荒浜・上荒浜など6村と2新田が合併して八千浦村成立(~昭和29)。村名は,八千矛神(ヤチホコノカミ,大国主命の異名)が漁業を授けたという伝承に因んで命名されたという。

新潟県の難読小学校名  いくつ読めますか ⑤

2018年08月11日 12時13分48秒 | Weblog
①十日町市立鐙島小学校   十日町市南鐙坂(あぶさか)
②十日町市立飛渡第一小学校  十日町市中条戊(なかじょうぼ)  
③村上市立三面小学校  村上市中新保(なかしんぼ)
④村上市立保内小学校  村上市下鍜冶屋
⑤村上市立神納小学校  村上市有明       
⑥村上市立上海府小学校  村上市柏尾
⑦村上市立山辺里小学校  村上市日下(くさか)
⑧燕市立燕北小学校  燕市東太田
⑨燕市立粟生津小学校  燕市粟生津     
⑩糸魚川市立木浦小学校  糸魚川市大字木浦

読みなど

① あぶしま 明治22年4月,高島村・北鐙坂村と南鐙坂村の一部が合併して鐙島村村制施行(~35)。村名は旧村名から1字ずつとった合成地名。なお,山形県山辺町鐙坂は「あぶみさか」と読む。
② とびたりだいいち 同字の愛知県常滑市飛渡は「とんど」と読む。四字校名。
③ みおもて 江戸期,村上藩の主導で鮭の増殖が行われた「鮭川」と呼ばれた三面川に由来。明治34年11月,岩船郡新屋村と布部村が合併して三面村村制施行(~昭和29)。三面の語源はミ(嶺)・オモテ(方向)で,深山にかこまれた方向にある集落をさし,三面は平家の落人といわれる。
④ ほうない 昭和10年開校。明治34年11月岩船郡上保内・中保内の2村が合併して保内村村制施行(~昭和29)。
⑤ かんのう 明治22年4月,上有明・松沢など12村が合併して神納村村制施行(~昭和30)。神納は,当地方の通称で,中世小泉荘の加納(かのう)の地であったことに因むという。加納とは荘園の付属地として免租になった田地をいう。「神」の付く校名。
⑥ かみかいふ 明治22年4月,柏尾・大月など8村が合併して上海府村村制施行(~昭和29)。
⑦ さべり 江戸期からみえる村名。明治22年4月,山辺里・日下など12村が合併して山辺里村村制施行(~昭和29)。村名は,『和名抄』の佐伯郷に因むとも,下渡山(げどやま,237.7m)のふもとにあったことに由来するともいう。校名も読みも3文字。
⑧ つばめきた 燕は古くは津波目。戸隠神社にまつわる燕の話もある。
⑨ あおうづ 信濃川支流西川右岸に位置。明治22年4月,西蒲原郡粟生津・上河原など7村が合併して粟生津村制施行(~昭和29)。村名は粟が自生した船着き場の意という。JR越後線粟生津駅がある。「生」の付く校名。
⑩ このうら 戦国期からみえる地名。明治22年4月,西頸城郡木浦村と鬼舞(きぶ)村が合併して木浦村村制施行(~昭和29)。親不知の関を越えた親鸞聖人一行は,木浦から舟に乗り,流罪の地,越後国居多ヶ浜へと向かったと伝えられる。漢字と漢字の間に読みの「の」が入る校名。なお,市名は,雪解けになると,ここの川に糸魚という魚がのぼってくることに由来するともいう。