goo blog サービス終了のお知らせ 

地名アラカルト

各地の難読地名や珍しい地名についての由来やエピソードなどについて調べてみたいと思います。

広島県の難読小学校名 いくつ読めますか ⑥

2019年02月17日 12時04分29秒 | Weblog
①大竹市立 玖波小学校  玖波4丁目
②東広島市立入野小学校  入野中山台4丁目
③東広島市立板城小学校  西条町森近甲          
④東広島市立御薗宇小学校  西条町御薗宇
⑤東広島市立風早小学校  安芸津町風早
⑥東広島市立乃美尾小学校  黒瀬町乃美尾   
⑦東広島市立久芳小学校  福富町久芳        
⑧東広島市立竹仁小学校  福富町下竹仁
⑨廿日市市立地御前小学校  地御前4丁目
⑩廿日市市立阿品台東小学校 阿品台東
⑪廿日市市立平良小学校  陽光台1丁目   

読みなど

① くば 明治22年4月,佐伯郡玖波村が単独村制施行(~昭和29)。かつて,この地が木材や薪の積出地であり,木場に由来するという。また,万葉集の「高庭駅」をコバと読み,その転訛とする説もあるという(『角川・広島』)。玖は呉音。 
② にゅうの 明治22年4月,豊田郡入野村が単独村制施行(~昭和31)。『和名抄』の入濃郷に由来。山地から下った地に開けた集落の意とみられる。*同読地名に和歌山県日高郡日高川町(ちょう)入野がある。
③ いたき 明治22年4月,賀茂郡国森近・福本など5村が合併し板城村成立(~昭和30)。村名は村の中央を貫流する松板川の板と5か村の寄合山中城山の城の合成地名。
④ みそのう 明治22年4月,賀茂郡御薗宇村が単独村制施行(~昭和14)。村名は,安芸国神名帳に五位天照明神があり,黒瀬川沿い中央右岸に伊勢宮と比定されることから,伊勢神宮の御園であったことに因むともいう。
⑤ かざはや 明治5年開校。藩政村。村名は越智氏などの祖となった風早氏の定住地であったことに因むという。
⑥ のみのお 乃美尾の由来は,黒瀬川沿いに畔八幡神社があり,その境内の深淵にまつわる伝承によるという(『角川・広島』)。
⑦ くば 南北朝期~戦国期にみえる保名(久芳保)。藩政村。地名は大和国桑原漢人と関係するとの説がある(『角川・広島』)。
⑧ たけに 明治22年4月,上竹仁村と下竹仁村がが合併し竹仁村成立(~昭和30)。村名は近世前「たかに」と称し,高い土地を意味する高丹が転訛したとも,小野篁(たかむら)の篁に尊称の仁を付けて「たかに」と称し,これが転訛したともいう。なお,下竹仁の最高地点は430m。
⑨ じごぜん 明治 9年現校名に改称。明治22年4月,佐伯郡地御前村が単独村制施行(~昭和31)。村名は,厳島神社が島方にあるのに対して,その外宮社が地方にあることによるともいう。
⑩ あじなだいひがし 阿品は港町なので,シナ(階段状の地形,坂道)がア=たくさん集まっている土地の意という(『JR・第三セ』)。
⑪ へら 鎌倉期~戦国期にみえる荘園名。明治22年4月,佐伯郡下平良村と上平良村が合併し平良村成立(昭和31)。校名も読みも2字。

広島県の難読小学校名 いくつ読めますか ⑤

2019年02月15日 12時38分40秒 | Weblog
①府中市立栗生小学校 栗柄町                
②府中市立上下南小学校 上下町矢多田
③三次市立吉舎小学校  吉舎町三玉(みたま)   
④三次市立甲奴小学校  甲奴町梶田
⑤三次市立三良坂小学校 三良坂町三良坂
⑥三次市立小童小学校  甲奴町小童     
⑦三次市立青河小学校  青河町
⑧庄原市立小奴可小学校 東城町小奴可亀山
⑨庄原市立口南小学校  口和(くちわ)町永田,
⑩庄原市立口北小学校  口和町向泉(むこういずみ)
⑪庄原市立美古登小学校 西城町中野
                 
 読みなど

① くりぶ 明治22年4月,芦田郡栗柄村と土生村が合併し栗生村成立(~昭和29)。村名は旧村から一字ずつとった合成地名。なお,仙台市にある同字校は「くりう」,鹿児島県屋久島町にある同字校は「くりお」と読む 。
② じょうげみなみ 明治22年4月,甲奴郡上下村が単独村制施行(~30町制~平成16)。
村名は,当地が山陰・山陽の分水嶺であることに由来するという。また,山陰・山陽を結ぶ交通の要地にあり,人々の生活が坂道を上下して営まれていたことに因むとも,城下の転訛ともいう。
③ きさ 明治22年4月,三谿(みたに)郡吉舎・三玉など7村が合併し吉舎村成立(~大正9町制~平成16)。村名は皇后部(きさきべ,皇后のために置かれた部)または私市(きさいち,皇后部で開かれた市場)の略称に由来するといわれる。校名も読みも2字。
④ こうぬ 明治28年10月,甲奴郡梶田・西野など4村が合併し甲奴村成立(~昭和30町制~平成16)。村名は郡名から。『和名抄』にみえる甲奴郡甲奴郷の地という。川伝いの低湿地の意ではないかともいう。奴(ヌ)は呉音。*(ぬひ)。
⑤ みらさか 明治22年4月,三谿(みたに)郡三良坂・田利など4村が合併し三良坂村成立(大正10町制~平成16)。当地は小盆地性低地で,周囲に坂がみらるの意かとも,当地ではかつて韮(にら)が採れたのか,韮の古名をミラといい,韮坂の意ともいわれる。
⑥ ひち 明治20年創立。小童の由来には諸説がある。(1)稲田姫のことを小童と呼び,その稲田姫が素戔嗚尊と結婚され,この地に住まわれたからとする説。(2)素戔嗚尊がこの地を巡幸の時,大騒ぎした童を「ヒチぐるうな」といってしかったからとする説などがあるという(『小童村誌』)。校名も読みも2字。
⑦ あおが 町名は町内を流れる小似川(こいがわ)に由来するのか。
⑧ おぬか 明治22年4月,奴可郡小奴可・塩原など6村が合併し小奴可村成立(~昭和30)。村名は,もと「奴可部(ヌカベ)=ヌカタベ(額田部)」の地で,小は美称ともいう。校名も読みも3字。
⑨ こうなん 明治22年4月,恵蘇(えそ)郡永田・金田など4村が合併し口南村成立(~昭和30)。村名の由来は不明。
⑩ くちきた 明治22年4月,恵蘇郡向泉・葛谷など金田など7村が合併し口北村成立(~昭和30)。村名の由来は不明。
⑪ みこと 明治22年4月,奴可郡中野・大屋など5村が合併し美古登村成立(~昭和17)。
村名は,美古登山とも称される比婆山御陵に因む。山頂には伊邪那美命(いざなみのみこと)の陵墓とも伝えら巨石が横たわっている。比婆山伝説地として広島県の史跡に指定されている。校名も読みも3字。


広島県の難読小学校名 いくつ読めますか ④

2019年02月11日 16時52分14秒 | Weblog
①福山市立坪生小学校  坪生町1丁目
②福山市立駅家小学校 駅家町倉光
③福山市立小学校 鞆町後地(うしろじ)     
④福山市立道上小学校  神辺(かんなべ)町道上
⑤福山市立神村小学校 神村町        
⑥福山市立多治米小学校 多治米町5丁目   
⑦福山市立神辺小学校 神辺町大字川南
⑧福山市立宜山小学校 駅家町今岡
⑨福山市立明王台小学校 明王台1丁目
⑩福山市立竹尋小学校 神辺町下竹田
 
 読みなど

① つぼう 明治22年4月,深津郡坪生村が単独村制施行(~昭和30)。村名は条里制の坪の端の土地,「坪の尾」に由来するという。
② えきや 大正2年芦品(あしな)郡倉光・中島など5村が合併し駅家村成立(昭22町制~50)。村名は古代山陽道の宿駅に由来する。家を「や」と読む地名に茨城県常陸大宮市家和楽(やわら),和歌山市宇治家裏(やうら)がある。
③ とも 明治22年4月,沼隈郡鞆町と後地村が合併し鞆町成立。東と南が燧灘(ひうちなだ)に臨む当町の由来には,神功皇后が西行の折,この地に鞆(矢を射るとき,左の手首の内側に巻き付ける革製の用具)を納めたことによるなどの説がある。鞆は国字。
④ みちのうえ 明治22年4月,安那(やすな)郡道上・十九軒屋・十三軒屋の3村が合併し道上村成立(~昭和29)。村名は,『福山志料』に「今按ニ,ムカシノ山陽道ハコゝニテ,イマハ石州銀山ノミノ路トナル,ソノ道ノ上ナルユエ,コノ名アリ」に因むという。
⑤ かむら 明治22年4月,沼隈郡神村が単独村制施行(~昭和29)。村名の由来は,崇神天皇が天照大神を当地の名方浜(なかたのはま)に移し,4年間奉祭した宮址であることに因むという。
⑥ たじめ 昭和47年開校。この地は干拓地で土手を締めて田畑を造成したことに因む地名ではないかともいう。校名も読みも3字。
⑦ かんなべ 昭和4年3月,深安郡川南村と川北村が合併し神辺町成立(~平18)。町名は式内社の天別豊姫(あまわけとよひめ)神社が,高屋川ぞいの川辺に位置することに因むという。
⑧ むべやま 明治22年4月,品治郡今岡・向長谷など5村が合併し宜山村成立(~昭和30)。村名の由来は不明。「宜なるかな」の「宜」。なお,宮城県石巻市宜山町は「よしやま」と読む
⑨ みょうおうだい 平成9年開校(海抜101m)。本堂と五重塔が国宝に指定されている古刹「明王院」(真言宗)に因む。
⑩ たけひろ 昭和16年2月,深安郡上竹田・下竹田・八尋の3村が合併し竹尋村成立(~昭和29)。村名は旧村の合成地名。

広島県の難読小学校名 いくつ読めますか ③

2019年02月09日 17時50分07秒 | Weblog
①竹原市立大乗小学校 高崎町
②三原市立沼田小学校 沼田2丁目    
③尾道市立三庄小学校 因島三庄町
④尾道市立山波小学校 山波町
⑤尾道市立三成小学校 美ノ郷町三成   
⑥尾道市立御調西小学校  御調町丸門田  
⑦尾道市立三幸小学校 向島町向島    
⑧福山市立水呑小学校 水呑町
⑨福山市立網引小学校 新市町宮内
⑩福山市立山南小学校  沼隈町大字中山南甲

 読みなど

① おおのり 明治22年4月,豊田郡高崎村と浦福田村が合併し大乗村成立(~昭和29)。村名は旧両村の境にある地名「大乗」に由来する。
② ぬた『和名抄』にみえる沼田郡の地。「ヌタ(沼地)」の意で「ニタ(湿地)」と同義の地という。校名も読みも2字。
③ みつのしょう 平成27年閉校。明治22年4月,御調(みつぎ)郡三庄村が単独村制施行(~大正10町制~昭和28)。村名の由来は,御津の庄からきたといわれる(柳田国男説)。
④ さんば 明治22年4月,沼隈郡山波村が単独村制施行(~昭和14)。江戸期からみえる村名。
⑤ みなり 三成の由来は,川の氾濫による水成りが転訛したものという。同名校が島根県仁多郡奥出雲町にある。
⑥ みつぎにし 昭和30年2月,御調郡市・奥など6村と諸田村の一部が合併し御調町成立(~平成17)。町名は郡名による。古くは「水調」「三調」とも表記された。郡名の由来は,水貢(みずみつぎ)の意で,神功皇后が当郡長井の浦に着船した時,村長の木梨真人が水を献上したことによるとも,古代の安閑天皇の時,高調使主(たかみつぎのおみ)が来て統治したことによるとも伝えられる。
⑦ みゆき 昭和59年開校。校名の由来は不明。
⑧ みのみ 明治22年4月,沼隈郡水呑村が単独村制施行(~昭和22町制~昭和31)。町名は,神功皇后が西征の時,箕島(簑島)で休息し,水を呑んだという伝承に由来するという。
⑨ あびき 明治22年4月,品治(ほんじ)郡宮内・上安井・下安井の3村が合併し網引村成立(~昭和30)。村名は網引浦の故事に因むという。
⑩ さんな 明治22年4月,沼隈郡上山南・中山南・下山南の3村が合併し山南村成立(~昭和30)。

広島県の難読小学校名 いくつ読めますか ②

2019年02月08日 17時14分30秒 | Weblog
①広島市立伴南小学校 安佐南区伴南1丁目
②広島市立安西小学校 安佐南区高取南2丁目
③広島市立飯室小学校 安佐北区安佐町飯室
④広島市立狩小川小学校 安佐北区上深川町
⑤広島市立三入小学校 安佐北区三入3丁目     
⑥広島市立湯来西小学校 佐伯(さえき)区湯来町大字多田
⑦広島市立彩が丘小学校 佐伯区河内南2丁目     
⑧呉市立安登小学校 安浦町安登西5丁目    
⑨呉市立警固屋小学校 警固屋7丁目    
⑩竹原市立忠海小学校 忠海東町3丁目  」

読み方など

① ともみなみ 平成15年開校。明治22年4月沼田郡伴村と大塚村が合併し伴村成立(~昭和30)。村名は鎌倉期からみえる地名。
② やすにし 明治22年4月,沼田郡上安・高取など6村が合併し安村成立(~昭和30)。村名は,かつて「安ノ庄」の一部であったことに由来するという。
③ いむろ 明治22年4月,高宮郡飯室村が単独村制施行(~昭和30)。村名の由来には,氷室(ひむろ)説や,箱状のものを地中に埋め,戸を開閉して水勢を調節する「楲(いい)」の転訛説,村の意とする説などがある。
④ かこがわ 明治22年4月,高宮郡狩留家・小河原・上深川の3村が合併し狩小川村成立(~昭和30)。村名は,旧村から一字ずつとった合成地名。
⑤ みいり 明治22年4月,高宮郡上町屋・下町屋・桐原・南原の4村が合併し三入村成立(~昭和30)。村名は上町屋・下町屋・桐原の氏神三入神社に因む。平安末期~戦国期にみえる荘園名でもある。
⑥ ゆきにし 昭和31年9月,佐伯郡砂谷(さごたに)・水内(みのち)・上水内の3村が合併し湯来町成立(~平成17)。町名は山間に鉱泉が点在し,湯気に因むという。
⑦ あやがおか 小学校は標高144mの丘上にある。
⑧ あと 昭和4年1月,賀茂郡内海跡村が安登村に名称変更(~昭和33)。古くは阿戸とも書いた。
⑨ けごや 明治22年4月,安芸郡警固屋村が単独村制施行(~昭和3)。村名の由来には,平清盛が音戸の瀬戸の工事の際にあった食小屋(けごや)の転訛説や,毛利氏が音戸の瀬戸を支配する当地に警固の武士を駐屯させたからとする説がある。校名も読みも3字。
⑩ ただのうみ 明治22年4月,豊田郡忠海村が単独町制施行(~昭和33)。町名は,保延元年(1135),平忠盛(1095~1153,平清盛の父)が海賊を鎮圧した功により,当地を賜ったことに因むという。

広島県の難読小学校名 いくつ読めますか ①

2019年02月02日 12時22分14秒 | Weblog
①広島県広島市立江波小学校  中区江波南2丁目    
②広島市立幟町小学校  中区幟町    
③広島市立戸坂小学校  東区戸坂出(えいづえ)2丁目
④広島市立温品小学校  東区温品7丁目
⑤広島市立向洋新町小学校 南区向洋新町1丁目
⑥広島市立翠町小学校 南区翠4丁目   
⑦広島市立皆実小学校 南区皆実町1丁目
⑧広島市立大河小学校 南区旭1丁目
⑨広島市立己斐小学校 西区己斐上2丁目    
⑩広島市立三篠小学校 西区三篠町1丁目
 
読みなど 

① えば かつては太田川河口の沖合に浮かぶ島であった。地名の由来は住民が魚餌をとっていたことから,餌場と呼ぶようなり,それが転訛したともいう。
② のぼりちょう 明治23年現校名に改称。町名は藩主の旗印に関わる業務をまかされていた御旗の武士が居住していたことによるという。
③ へさか 明治22年4月,安芸郡戸坂村が単独村制施行(~昭和30)。村名は,室町期の戸坂氏の因むとも,周辺に集落(戸)を開いたことに由来するもいう(『JR・第三セ』)
④ ぬくしな 明治22年4月,安芸郡温品村が単独村制施行(~昭和31)。村名は温品川(府中大川)に因む。ヌクは暖かい,シナは盆地,凹地の意。温品川は水温る凹地の意という(河川辞典)。
⑤ むかいなだしんまち 東と南が開田湾に面している。古くは向灘と書かれたという。
⑥ みどりまち 町名は,かつては皆実町の一部で,一面の蓮田であったことから,蓮の葉の緑色に因んだという。愛媛県伊予市立翠小学校がある。
⑦ みなみ 明治15~22年広島区の村名。村名は江戸期に比治山(ひじさん,71m)の南に造成された埋め立て地であることから,「南」( みなみ)の佳名によるという。
⑧ おおこう 校名は,旧安芸郡仁保島村大河山根に因むとみられる。校歌を視聴することができる。
⑨ こい 藩政村。明治22年4月,佐伯郡己斐村が単独村制施行(~44町制~昭和4)。村名の由来には諸説ある。<1>山間の地にあることから,峡(かい)村とする説,<2>神功皇后が当所で休息した折,県主より大きな鯉を献上されたとの伝承に因む説,<3>太田川デルタの川越の地にあり,「コエ(越)」の転訛説などがある。校名も読みも2字。
⑩ みささ 明治22年4月,沼田郡楠木・新庄・打越の3村が合併し三篠村成立(~40町制~昭和4)。村名の由来は太田川の別名御篠川に因む。御篠は太田川とその分・支流が笹の葉を重ねた観を呈することに由来するという。

岡山県の難読小学校名 いくつ読めますか ⑤

2019年01月29日 21時34分38秒 | Weblog
①真庭市立中和小学校  蒜山下和(ひるぜんしたお)
②真庭市立呰部小学校 下呰部       
③真庭市立美甘小学校 美甘
④真庭市立遷喬小学校  久世(くせ)
⑤美作市立英田小学校  福本
⑥浅口市立寄島小学校 寄島町
⑦和気町立石生小学校 本(ほん)       
⑧鏡野町立香北小学校 真経(さねつね)
⑨久米南町立神目小学校 上神目
⑩美咲町立柵原西小学校 小瀬(こせ)

 読みなど

① ちゅうか 明治22年6月,下和(したお)・別所など5村が合併し中和村成立(~平成17年)。村名は,旭川最上流の山中に家々が相和すの意という。和を「か」と読む地名は極めて珍しい。
② あざえ 明治22年6月,下呰部・上呰部・阿口(あくち)の3村が合併し呰部村成立(昭和4町制~昭和28年月北房町~平成17年真庭市)。呰部は平安期から見える地名。アザ(アサ)はただれたような土地をさし,崩壊地形,部は辺で,崩れて荒れた土地の意という(『丹羽・難読』)。「呰」の付いた地名は非常に珍しく,全国に2つしかなく,他の1つは,福岡県京都郡みやこ町呰見(あざみ)である。
③ みかも 明治22年6月,美甘・鉄山(かねやま)など5村が合併し美甘村成立(~平成17年3月真庭市)。村名は『和名抄』にみえる古くから見える美甘郷から。「ミカミ(御神)」の転訛とみられ,鍛冶集団が御上の神を祀った所かという(『吉田・語源』)。
④ せんきょう 明治7年開校。「遷喬」の名は,明親館という塾に掲げられていた備中高松藩の儒学者・山田方谷(1805~77)揮毫の額から命名されたという。遷喬は栄達の意。旧校舎は独特な擬洋風校舎として国の重要文化財に指定されている。京都府福知山市と鳥取市に同名校がある。
⑤ あいだ 昭和30年2月,福本・河合の2村が合併し英田町成立(~平成17年3月美作市)。町名は町域を貫流する吉野川の古名英田川を記念して付けられたといわれる。
⑥ よりしま 明治22年6月,浅口郡寄島村が単独村制施行(34年町制~平成18年浅口市)。村名は前面海上にある寄島に,神功皇后のお立寄りになったという伝説があり,その島の名をとったという(『岡山地名事典』)。
⑦ いわぶ 平成29年閉校。明治22年6月,本・田原上(たわらかみ)など4村が合併し石生村(~昭和28年)成立。石生は小字名か。
⑧ こうほく 校名は香々美北神社に因むか。
⑨ こうめ 明治22年6月,上(かみ)神目・神目中など8村が合併し神目村成立(~昭和29)。村名は,この地方の大社・志呂(しろ)神社(岡山市北区建部町下神目)と関係が深く,その神部が転訛したという。
⑩ やなはらにし 昭和30年1月,吉岡・飯岡・南和気・北和気の4村が合併し柵原町成立(~平成17)。町名は当町を貫流する吉井川に簗(やな)を設けた河原の意からとみられるという。簗の字の代わりに「柵(しがらみ)」を用いたのは柵が簗と同じ機能を果たすためと思われる。なお,柵は単独では「さく」「しがらみ」と読み,「やな」とは読まない。

 



岡山県の難読小学校名 いくつ読めますか ④

2019年01月28日 18時16分24秒 | Weblog
①新見(にいみ)市立刑部小学校 大佐永富(おおさながどみ)
②新見市立神代小学校  神郷(しんごう)下神代                                
③新見市立新砥小学校 哲多町蚊家(こうのいえ)
④備前市立伊部小学校  伊部
⑤備前市立香登小学校 香登本(もと)
⑥備前市立日生西小学校 日生町日生
⑦瀬戸内市立今城小学校 邑久(おく)町大富(おおどみ)    
⑧瀬戸内市立裳掛小学校 邑久町虫明(むしあけ)
⑨赤磐市立石相小学校 町苅田(まちかんだ)
⑩真庭市立米来小学校  目木

 読みなど

① おさかべ 明治22年6月,阿賀郡永富・小坂部(おさかべ)・小南(こみなみ)の3村が合併し刑部村成立(~昭和30~平成17新見市)。村名は履仲(りちゅう)天皇の皇后,忍坂大中姫(オシサカオオナカツヒメ)の御名代(みなしろ,皇室の私有地)であることから,忍坂部(おさかべ)とし,小坂(阪)部と同音異字であるという。刑部氏または刑務や訴訟などと関係があるのかもしれない。大阪府八尾(やお)市に同名校がある。姓氏あり。
② こうじろ 明治22年6月,哲多郡下神代村と油野(ゆの)村が合併し神代村成立(~昭和30~平成17新見市)。村名はかつて,伊勢神宮の領地であったことに因むか。同市西方に備中神代駅(JR伯備線・芸備線)があるが,備中を冠したのは,山陽本線の神代駅(山口県岩国市)と区別するため。代は国訓。
③ あらと 明治22年6月,蚊家・大野・田淵の3村が合併し新砥村成立(~昭和30~平成17新見市)。村名の選定に当たり,鐘状火山荒戸山(762m)の名をとり荒戸村にしようとしたが,戸を荒らすのはよくないとのことで,人智開発の意を含め同音の新砥村に決めたといわれる(『岡山地名事典』)。新砥の地名は消滅した。所在地の蚊家は変わった地名であるが,由来は不明。
④ いんべ 明治22年6月,和気郡伊部・浦伊部・久々井(くぐい)の3村が合併し伊部村成立(~45年町制~昭和26年~46年備前市)。村名は忌部(いみべ)の転訛という。忌部は焼物に従事した部民が集団して住み付いた居住地をいう。鎌倉期になると,献納斎器の焼成が止まり,赤味がかった酸化炎焼成による日用雑器(伊部焼,備前焼の始まり)が多く焼かれるようになった(『岡山地名事典』)。
⑤ かがと 明治22年6月,和気郡香登本・香登西・大内の3村が合併し香登村成立(~昭和2町制~46備前市)。村名は,古くは和気郡登止(かがと)郷と呼ばれていたが,いつしか香登と書くようになったという。
⑥ ひなせにし 明治22年6月,日生・大多府(おおたぶ)の2村が合併し日生村成立(明治39町制~平成17年備前市)。村名は日の出の景観が美しいことに由来するとも,瀬戸内海に臨む日向の良港の意ともいう。
⑦ いまぎ 明治22年6月,大富・福山など4村が合併し今城村成立(~昭和27→平成16瀬戸内市)。村名の由来は不明。旧村名は町名として存続しているが,今城の地名は消滅した。
⑧ もかけ 明治22年6月,虫明,福谷の2村が合併し裳掛村成立(~昭和33~平成16年瀬戸内市)。村名は,間口(まくち)という集落の入江に裳掛岩という岩があり,そこに弘法大師が衣(裳)を掛けて干したという伝承に由来するという。村名は消滅したが,小学校のほか幼稚園や地区名にその名を残す。
⑨ いしあい 校名の由来は石相山に因む。同校のHPで校歌を聞くことができる。
⑩ めき 明治22年6月,目木・台金屋(だいかなや)など4村が合併し米来村成立(~明治38~平成17年真庭市)。村名は米来神社に由来。旧村名は町名として存続しているが,米来は広域地名であったため消滅した。

 


岡山県の難読小学校名 いくつ読めますか ③

2019年01月27日 21時09分48秒 | Weblog
①倉敷市立万寿小学校 浜町2丁目
②倉敷市立船穂小学校  船穂町船穂
③倉敷市立呉妹小学校  真備(まび)町妹(せ)
④倉敷市立箭田小学校 真備町箭田         
⑤津山市立河辺小学校 国分寺
⑥笠岡市立神内小学校  神島
⑦笠岡市立神島外小学校 神島外浦    
⑧井原(いばら)市立出部小学校 上出部町      
⑨高梁市立川面小学校  川面町          
⑩高梁市立巨瀬小学校  巨瀬町

読みなど

① ます 明治22年6月,窪屋郡浜・富久など5村が合併し万寿村成立(~昭和2年)。村名は中世にあった荘園の万寿庄に由来するという。
② ふなお 明治22年6月,浅口郡船穂・水江・柳井原の3村が合併し船穂村成立(~昭和15町制~平成17)。村名は『和名抄』にみえる船穂(布奈保)郷の郷名に由来。Funaho→Fnnaoで「h」の欠落。フナホ(舟帆)の当て字ともいわれ,高梁(たかはし)川河口の上代の舟の停泊地であったとみられる。
③ くれせ 明治22年6月,尾崎村と妹村が合併し呉妹村成立(~昭和27年~平成17)。セは山の背,クレは呉服を作る生糸を生産したことによるという(『JR・第三セ』)。村名は消滅したが,小学校のほか,備中呉妹駅(井原鉄道井原線)にその名を残す。
④ やた 小田川の左岸に位置。明治22年6月,箭田村が単独村政施行(昭和25年町制~27年~平成17)。村名は,当地に仁徳天皇の皇后八田皇女のために置かれた御子代(みこしろ,皇室の私有民)の一つと伝えられる下道郡八田(也多)郷があったからともいう。
⑤ かわなべ 明治22年6月,河辺・国分寺,日上(ひかみ)・瓜生原(うりゅうばら)の4村が合併し河辺村成立(~昭和29年)。村名は河辺神社に由来か。旧村名はすべて町名として存続。
⑥ こうのうち 明治22年6月,小田郡神島内浦・横島・入江新田が合併し神島内浦(こうのしまうち)村成立(~昭和28)。校名は昭和26年現校名に改称。校名は神島内浦(こうのしまうち)村の略称と思われる。
⑦ こうのしまそと 明治22年6月,小田郡神島外浦と白石島が合併し神島外村成立(~昭和27年町制~30年)。神島は神島神社から。神島外浦は,かつては島であったが,現在は陸続きとなっている。
⑧ いずえ 明治22年6月,上出部・下出部・笹賀(ささか)の3村が合併し出部村成立(~昭和17年~28年井原市制)。村名は『和名抄』にみえる後月郡出部郷に因む。天皇家に直属する部民の役所の出先機関があったという意の地名という。旧村名はすべて町名として存続。出部は超難読地名のため,下出部町にある井原鉄道井原線の駅名は「出部」の地名を平仮名書きに「いずえ駅」となっている。「部」を「え」と読む地名は他にないのではないかと思う。
⑨ かわも 明治22年6月,川面町が単独村制施行(~昭和29)。村名は高梁川の川沿の意からかという。JR伯備線の駅名は備中川面駅。
⑩ こせ 明治22年6月,上房郡巨瀬村が単独村制施行(~昭和29年)。村名は古代の巨瀬郷に因むと思われる。

岡山県の難読小学校名 いくつ読めますか ②

2019年01月27日 10時48分11秒 | Weblog
①岡山市立興除小学校 南区中畦(なかうね)
②岡山市立妹尾小学校 南区妹尾
③岡山市立第一藤田小学校 南区藤田
④岡山市立東疇小学校 南区東畦   
⑤岡山市立箕島小学校 南区箕島
⑥岡山市立灘崎(なださき)小学校迫川分校 南区迫川
⑦倉敷市立天城小学校 藤戸町天城
⑧倉敷市立乙島小学校  玉島乙島
⑨倉敷市立沙美小学校 玉島黒崎
⑩倉敷市立連島神亀小学校  神田3丁目     

 読みなど

① こうじょ  明治38年4月,東興除・西興除の2村が合併し興除村成立(~昭和46年)。当地は文政年間(1818~30)から数次にわたって行われた児島湾の開拓村で興除新田と呼ばれ,備前藩に編入された際,興除村と命名された。村名は藩の儒者小原梅坡の提案により『管子』のなかの「興利除外」即ち利を興し害を除き豊饒(ほうじょう)の語から選んだといわれている(『岡山地名事典』)。
② せのお 明治22年9月,都宇郡妹尾村が単独村制施行(29町制~昭和46)。村名はこの地の丘に居館を設け,瀬戸内海における平家方の有力な拠点をつくった平家の武将妹尾太郎兼康(1123~1183)に因むという。妹背(いもせ)という言葉が妹と背が混合して使われ,妹尾が発生したともいう。
③ ふじた 明治45年4月,児島湾干拓地第2地区が藤田村村制施行(~昭和50)。村名は藤田伝三郎(1841~1912)の藤田組が遠浅の児島湾を干拓・開墾し,機械化農業への端緒を開いたことに由来する。第二藤田小,第三藤田小まであり。
④ ひがしうね 藩政村。東疇は,興除新田の東部にあたる耕地であることに因む。明治22年6月,児玉郡東疇・中疇・内尾の3村が合併し東興除村成立(~38年)。疇は19画。
⑤ みしま 平安期から見える地名。藩政村。明治22年6月,都宇郡箕島村が単独村制施行(~35年)。村名は,児島湾が深く湾入していたころ,箕の形をした砂島があり,干拓するにつれて陸地になったことに因むという(『岡山地名事典』)。
⑥ はざかわ 狭い谷(迫)の川の意の字名であろうという。
⑦ あまき 城名に因む。元久年間(1204~06)に清海大膳が桜山に城を築いたと伝えられ,この城に嘉吉2年(1442)尼子の家臣天野六郎左衛門が居城したことから,天野の城という意で,天城と称されたという。また,海(あま)は天(あま)に通じ,海に面して城が構えられていたので,天城と名付けられたともいう(『岡山地名事典』)。
⑧ おとしま 明治22年6月,浅口郡乙島村が単独村制施行(~35年)。かつては島であったが,近世の初め干拓されて本土と陸続きになった。乙は小さくて愛らしいの意の乙か(乙姫<おとひめ>)。
⑨ さみ 沙美は字名で,風光明媚な浜辺からつけられた地名という。県下における海水浴場の始まりともいわれている。
⑩ つらじましんき 連島は,干拓,開発されるまでは交通不便な孤島であった。
 昭和55年開校。4字校名。校名は(鶴新田水門笠石の刻文より)
  「龜島(かめじま)高く聳(そび)え 鶴田遠く連なる
  爰(ここ)にその地を卜(ぼく)し 新たに良田を闢(ひら)く
  神龜(しんき)海を鎭め 靈鶴天(れいかくてん)を護まもる
  風于汐于(かぜにしおに) 閘(こう)萬年に堅し」に因むという(同校HP)。