①新見(にいみ)市立刑部小学校 大佐永富(おおさながどみ)
②新見市立神代小学校 神郷(しんごう)下神代
③新見市立新砥小学校 哲多町蚊家(こうのいえ)
④備前市立伊部小学校 伊部
⑤備前市立香登小学校 香登本(もと)
⑥備前市立日生西小学校 日生町日生
⑦瀬戸内市立今城小学校 邑久(おく)町大富(おおどみ)
⑧瀬戸内市立裳掛小学校 邑久町虫明(むしあけ)
⑨赤磐市立石相小学校 町苅田(まちかんだ)
⑩真庭市立米来小学校 目木
読みなど
① おさかべ 明治22年6月,阿賀郡永富・小坂部(おさかべ)・小南(こみなみ)の3村が合併し刑部村成立(~昭和30~平成17新見市)。村名は履仲(りちゅう)天皇の皇后,忍坂大中姫(オシサカオオナカツヒメ)の御名代(みなしろ,皇室の私有地)であることから,忍坂部(おさかべ)とし,小坂(阪)部と同音異字であるという。刑部氏または刑務や訴訟などと関係があるのかもしれない。大阪府八尾(やお)市に同名校がある。姓氏あり。
② こうじろ 明治22年6月,哲多郡下神代村と油野(ゆの)村が合併し神代村成立(~昭和30~平成17新見市)。村名はかつて,伊勢神宮の領地であったことに因むか。同市西方に備中神代駅(JR伯備線・芸備線)があるが,備中を冠したのは,山陽本線の神代駅(山口県岩国市)と区別するため。代は国訓。
③ あらと 明治22年6月,蚊家・大野・田淵の3村が合併し新砥村成立(~昭和30~平成17新見市)。村名の選定に当たり,鐘状火山荒戸山(762m)の名をとり荒戸村にしようとしたが,戸を荒らすのはよくないとのことで,人智開発の意を含め同音の新砥村に決めたといわれる(『岡山地名事典』)。新砥の地名は消滅した。所在地の蚊家は変わった地名であるが,由来は不明。
④ いんべ 明治22年6月,和気郡伊部・浦伊部・久々井(くぐい)の3村が合併し伊部村成立(~45年町制~昭和26年~46年備前市)。村名は忌部(いみべ)の転訛という。忌部は焼物に従事した部民が集団して住み付いた居住地をいう。鎌倉期になると,献納斎器の焼成が止まり,赤味がかった酸化炎焼成による日用雑器(伊部焼,備前焼の始まり)が多く焼かれるようになった(『岡山地名事典』)。
⑤ かがと 明治22年6月,和気郡香登本・香登西・大内の3村が合併し香登村成立(~昭和2町制~46備前市)。村名は,古くは和気郡登止(かがと)郷と呼ばれていたが,いつしか香登と書くようになったという。
⑥ ひなせにし 明治22年6月,日生・大多府(おおたぶ)の2村が合併し日生村成立(明治39町制~平成17年備前市)。村名は日の出の景観が美しいことに由来するとも,瀬戸内海に臨む日向の良港の意ともいう。
⑦ いまぎ 明治22年6月,大富・福山など4村が合併し今城村成立(~昭和27→平成16瀬戸内市)。村名の由来は不明。旧村名は町名として存続しているが,今城の地名は消滅した。
⑧ もかけ 明治22年6月,虫明,福谷の2村が合併し裳掛村成立(~昭和33~平成16年瀬戸内市)。村名は,間口(まくち)という集落の入江に裳掛岩という岩があり,そこに弘法大師が衣(裳)を掛けて干したという伝承に由来するという。村名は消滅したが,小学校のほか幼稚園や地区名にその名を残す。
⑨ いしあい 校名の由来は石相山に因む。同校のHPで校歌を聞くことができる。
⑩ めき 明治22年6月,目木・台金屋(だいかなや)など4村が合併し米来村成立(~明治38~平成17年真庭市)。村名は米来神社に由来。旧村名は町名として存続しているが,米来は広域地名であったため消滅した。
②新見市立神代小学校 神郷(しんごう)下神代
③新見市立新砥小学校 哲多町蚊家(こうのいえ)
④備前市立伊部小学校 伊部
⑤備前市立香登小学校 香登本(もと)
⑥備前市立日生西小学校 日生町日生
⑦瀬戸内市立今城小学校 邑久(おく)町大富(おおどみ)
⑧瀬戸内市立裳掛小学校 邑久町虫明(むしあけ)
⑨赤磐市立石相小学校 町苅田(まちかんだ)
⑩真庭市立米来小学校 目木
読みなど
① おさかべ 明治22年6月,阿賀郡永富・小坂部(おさかべ)・小南(こみなみ)の3村が合併し刑部村成立(~昭和30~平成17新見市)。村名は履仲(りちゅう)天皇の皇后,忍坂大中姫(オシサカオオナカツヒメ)の御名代(みなしろ,皇室の私有地)であることから,忍坂部(おさかべ)とし,小坂(阪)部と同音異字であるという。刑部氏または刑務や訴訟などと関係があるのかもしれない。大阪府八尾(やお)市に同名校がある。姓氏あり。
② こうじろ 明治22年6月,哲多郡下神代村と油野(ゆの)村が合併し神代村成立(~昭和30~平成17新見市)。村名はかつて,伊勢神宮の領地であったことに因むか。同市西方に備中神代駅(JR伯備線・芸備線)があるが,備中を冠したのは,山陽本線の神代駅(山口県岩国市)と区別するため。代は国訓。
③ あらと 明治22年6月,蚊家・大野・田淵の3村が合併し新砥村成立(~昭和30~平成17新見市)。村名の選定に当たり,鐘状火山荒戸山(762m)の名をとり荒戸村にしようとしたが,戸を荒らすのはよくないとのことで,人智開発の意を含め同音の新砥村に決めたといわれる(『岡山地名事典』)。新砥の地名は消滅した。所在地の蚊家は変わった地名であるが,由来は不明。
④ いんべ 明治22年6月,和気郡伊部・浦伊部・久々井(くぐい)の3村が合併し伊部村成立(~45年町制~昭和26年~46年備前市)。村名は忌部(いみべ)の転訛という。忌部は焼物に従事した部民が集団して住み付いた居住地をいう。鎌倉期になると,献納斎器の焼成が止まり,赤味がかった酸化炎焼成による日用雑器(伊部焼,備前焼の始まり)が多く焼かれるようになった(『岡山地名事典』)。
⑤ かがと 明治22年6月,和気郡香登本・香登西・大内の3村が合併し香登村成立(~昭和2町制~46備前市)。村名は,古くは和気郡登止(かがと)郷と呼ばれていたが,いつしか香登と書くようになったという。
⑥ ひなせにし 明治22年6月,日生・大多府(おおたぶ)の2村が合併し日生村成立(明治39町制~平成17年備前市)。村名は日の出の景観が美しいことに由来するとも,瀬戸内海に臨む日向の良港の意ともいう。
⑦ いまぎ 明治22年6月,大富・福山など4村が合併し今城村成立(~昭和27→平成16瀬戸内市)。村名の由来は不明。旧村名は町名として存続しているが,今城の地名は消滅した。
⑧ もかけ 明治22年6月,虫明,福谷の2村が合併し裳掛村成立(~昭和33~平成16年瀬戸内市)。村名は,間口(まくち)という集落の入江に裳掛岩という岩があり,そこに弘法大師が衣(裳)を掛けて干したという伝承に由来するという。村名は消滅したが,小学校のほか幼稚園や地区名にその名を残す。
⑨ いしあい 校名の由来は石相山に因む。同校のHPで校歌を聞くことができる。
⑩ めき 明治22年6月,目木・台金屋(だいかなや)など4村が合併し米来村成立(~明治38~平成17年真庭市)。村名は米来神社に由来。旧村名は町名として存続しているが,米来は広域地名であったため消滅した。
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