県高校総体

2010-06-27 21:40:00 | 2010年4月~

3日間の大会が終了しました。
残念ながら 今年も個人でのブロック大会出場は適いませんでした

昨年の経緯から 「次なる1年」 の 取り組み方を考え行動を起こしましたが、
何しろ 頑張っているのは息子だけではない
上(旧3年生)が抜けたから・・・と言っても
下(新1年生)から 強い選手が上がってくる。。。
だから
  3年生になれば 全国が近づく
                   というものでもない。。。。

昨年も そうやって 新1年生がデビューを飾り
今年もまた!
  『高校水泳の最終年に 有終の美を飾りたい』
との思いを果たせなかった3年生も多い。。。


中学のときも 同様に感じましたが、
  『学校競技大会』 というのは
  『3年間の活動の集大成』 という意味も含めて
  第3学年の時期に 照準を当てている
ような気がします。
ですから、(全国的な傾向としては)どの種目を見ていても
第3学年で 『全国を経験する』 という チャンスが得やすいようには思います。

その一方では
  『3年生になれば 何とか全国を目指せる(であろう)!』
というような ある意味消極的な意識では
激戦区である首都圏の高校生スイマーにとっては、
3年生になってさえも 及ばない選手 のまま 終わってしまう結果となる。。。
それが! スポーツの世界を象徴するところであり、
基本的には (年齢差に関わらず)個人のレベル勝負 なのです。

心が変われば行動が変わる
という連鎖が 始動したところではあるものの
息子にとっての2年目は 不十分だったことは否めない。。。
とは言うものの、
高校の3年間という意味では まだラストチャンスは残されている!
まだまだ “見落として来た部分(不足の部分)” に対して
さらに 貪欲に臨むことができるか否か によって
来年の全国への道が開かれるかどうかが 決定付けられるでしょう。
そのことは 本人が一番理解しているはず


さて!  チームとしては
3種目のリレーでのブロック大会出場は果たしました。
まさしく 『少数精泳』 という 最小限のメンバーで結成されているチームなので
一人一人の果たすべき責任は大きい
メドレーでは アクシデントが無い限り 全国大会に出場できるレベルなので
個人では果たせなかった Best更新を目標にして
チームの総合力アップに貢献することに専念して欲しい


強い仲間たちのお蔭で 全国への可能性にチャレンジできる機会を貰えた
そのことへの感謝をを忘れずに
付加された猶予期間中に 十分に力を蓄えて行って欲しい

                       少しは楽しい夏になりそうです




平均値!?

2010-06-17 00:45:58 | 2010年4月~

間もなく 県総体(=ブロック大会予選)です。
コーチから 大会への展望のような助言があったようです。

目標とするところは  全国 と 宣言したいところですが、
じつは、個人種目でブロック大会に出場するのは なかなか至難

  昨年は・・・、何の根拠もなく 否それ以前に 何の指針もないままに
  単なる消化試合であるかのように 県総体に臨んだ
  そもそも 当人にも自覚が乏しかった・・・とも言える。
  『意識レベルの差』 というものを 痛切に感じた。。。。

  団体でのブロック大会出場を経験するも、
  全国を目指すには 未熟過ぎたような気がしました


歳月人を待たず

意を決して2年目の高校総体を目指して来た(・・つもりです)。
その気持ち と 行動には 嘘は無い!
けれども 結果はいかがなものか?
素人データながら、『平均値』 というものから推定して見た時に、
残念ながら まだまだ 『平均的な泳力』 に 到達できていないようにも思う。。。

それはまた 微妙なところで 巧くかみ合わない何か?
という程度の事のようにも思えたり。。。。
然しながら それが結果的に 明暗を大きく分ける鍵のようにも思える。。。

あくまでも 数字 が 示す 『平均値』 通りの 『理想的な泳ぎ』 を目指せば
まずは 最低合格ライン(Best8入り=ブロック大会出場)には到達できそう

あ・く・ま・で・も!
素人な親の欲目からの発想です
 (だって まずは ブロック大会の出場権が得られなければ
                     その先の道は無いのだから

 

 


強くなる条件

2010-06-09 15:33:13 | 2010年4月~

またまた 素人なる親の目で発見した不思議を元に書かせて頂きます

先日の Japan Open には 身近なところでも
大勢の中高生が出場していました。
そこで 際立った特徴は・・・・、知っている限りの選手の大半は
「移籍を何度か経験している」 ということ。。。
幼児期から 今日に至るまで 同じ環境で・・・という選手は 少数でした。

移籍に求めるもの! は 一体何だろう?
また 移籍に及ばせてしまう要素は 何だろう?

くだらない次元の興味かも知れないけれど
幼児期の 基礎泳法の指導~競泳選手育成(強化)の段階に移行する時に
何らかの課題が提示されているように思えるのです。

身近な選手達の例を見ると
移籍に及ぶ背景事情は 個々に異なるようですが、
最終的に共通している点は、
  可能性を求めての行動
だと 思います。

現在の自分の置かれている状況の中に
何らかの不満足感があるからこそ!
『環境を変えて チャレンジしたい!』
という気持ちに衝き動かされての行動だ・・・と!

環境を求めるときにも 100% = 絶対 という条件を求めることは難しい。。。
したがって
 『可能な限り 努力 と 成果 とが 結び付く環境』 
という場を それぞれに選択して挑む時に、
例外的なある選手の活躍ぶりに 目を見張った!

その選手の練習環境は 特殊であり、 決して良好とは思えない。。。
けれども 確実に目指すところがあって その意識の高さ&意思の強さを
結果から感じ取ることができる! 
この選手を例にすると
  Q1.コーチ と 選手の絆(信頼関係) とは?
  Q2.選手にとっての理想的な練習環境とは?
という 両面性を 考えさせられる。。。 
            (狭い範囲の話なので分かり難い内容でしょう

おそらく 二つの疑問は 恒常的に付き纏う課題だろうと思います。
その2点に 疑問が湧いたときに 『移籍(=環境を変える)』という二文字が
選手の脳裏を過ぎるのだろう と 想像します。
この二つの事柄は 表裏一体の必要不可欠な条件である ときに、
どちらかと言えば 重要なのは やはり人と人との関わりという意味で
コーチと選手との信頼関係が優先されるものだろう という事を
Japan Open で見た ある選手の現在から 再認識したような気がします




1年の後。。。

2010-06-02 05:30:00 | 2010年4月~

今春 高校に入学した “新1年生” たちも
日に日に 高校生らしく 成長して行き
その様子は 見ている親にとっては
   つい この前までは 中学生だったのに・・・
と 感慨深いものとなって写る。。。

その思いは 幼い頃から 一つのステップを上がる度に
何度も感じ入ってきたものではありますが、
わが息子も 昨年のこの時期を振り返ると・・・
   中学生 と 高校生 とでは 明らかに違う
という 薄皮を剥ぐような 成長があったように思います。

中学生~高校生 と 成り立てのこの時期は
肉体的な発達に於いては 一見して 大差ない(目立たない)ようでありながら、
環境(=学校生活)から要求される内容が高度化することから
それらに対応しながらの 精神的な成長 というものは
入学後の1・2ヶ月の間に どんどん変わって行くのが分かりました!

そういう 新鮮な時期から 1年という時を経た今年度は
   もう すっかり高校生
となり、 本人の中にも 1年目の経験があるからこその
   確かな目標
というものも しっかり育ってきているように思います。

加えて 体格も変わってきていることが 目に明らかになりました。

1年目は 不可抗力 を強いられるような環境の中で
精神的な不安を抱えたままでの 『全国総体予選』 という
未知の闘いに突入した・・・
そういう気分でした。
   1年目は・・・、 状況把握!?
とも取れるような構えでしかなかった。。。。

しかし、 無知なレベルで臨んで ブロック大会を体験し、
そこから全国を目指す同年スイマーたちを観たときに
   1年目に対する準備の不足
というものを 目の当りにさせられた。。。。

『中学レベルと 高校レベルの差異』 というものを実感した!
それは 肉体的には もちろんであり
何よりも 闘いに臨む精神的なレベルに 飛躍的な差を感じた!

かつてのコーチが
   スイマーとしての 本格的なスタートは 高校生レベルから
という意味のことを仰っていましたが、
その意味するところは ブロック大会を通して漠然と理解したように思います。
・・・が、
『高校生からスタート』 するという真の意味合いは、
   そこに至るまでの経緯の重要性
にある と思います。
その時期が来れば 自然にそうなる・・・のではなく
また、高校の3年間の1年目を 単に 『体験のための機会』 とするのではなく、
『1年目から可能な準備』 というものは あるはずだ!
と 昨年の辛酸を舐めた経験から 思うところです。。。

歳月人を待たず・・・
指導者の方々には この言葉の意味を理解して対処して頂きたい
と つくづく思います。。。

コーチ(COACH)という言葉から来る責任を自覚されている方ならば
選手と関わった歳月 否 現在関わっているその時間の価値
というものを 真摯に受け留めた指導に至っているでしょう と思います。
そういうところへの信頼を抱けなければ
闘う準備が十分に整っている とは言えない・・・。

今年は そういうレベルでの不安から解消され
『1年目の体験』 も 持ち備えている!

いよいよ 今月末週には 県総体!
1年後の 確かな成長を 楽しみにしたい


コーチ

2010-06-02 05:00:00 | 2010年4月~

COACH(コーチ)という言葉は本来、 『馬車』 を意味しています。
やがて 指導者の役割を 『(物を)目的地に運ぶ馬車』 に見立てて
コーチ=指導者 と呼ぶようになったそうで。。。。

『選手の一人一人は 大切な荷物』   であり
『大切な荷物を 目的地まで 責任を持って運ぶ』

そういう役割が コーチという職には付されている。。。
しかも・・ 自らが運ぶべく荷物たちは
物言わぬ物体ではなく 『志を抱いた 人間』

『志』 というのは 『目標を定める』 ということであるから、
コーチの職責は 『一人一人の志を 目的地に運ぶ』 ということになる。

一方、師弟関係というものがある。
『師事』を受ける・・・という 日本的な古い体質(否 伝統的な姿勢)
それは それで 指導をする人は 『師匠』 と呼ばれるだけの
実践して教える実力者なので 『教えを請う』 という謙った姿勢が伴うのも
致し方がない。。。

スポーツの世界もいろいろで、
私がかつて現役で取組んでいたある競技界では
指導者への 競技理論指導 と 競技力のレベルアップ を計る機会があり、
特に実践力 (=手本) を重視していました。
なので・・・何が一番重要か?  というと
  指導者が指導者たるレベルを証明すること 
そういう意味で 指導者は 指導者である前に 実践者 であることが要求されました。

加齢とともに 実践(実証)が難しくなって来た指導者に残されるものは
  『現役時代の結果 と 指導者としての歴史』
結果は 即 そこに至るまでの実体験を物語っているし、
それに基づいた指導の歴史 というものが 言わば 年輪 となって
実践力が衰えたとしても 伝える時の説得力には通じる。。。。

COACH(コーチ)という言葉の由来を真摯に受け留めるならば
目的地=結果 に向かう手段と そこに至るまでの過程(課題)が
帯同者(選手)には 納得行く内容として伝わらなければ
  自分はどこへ向かえばよいのだろう?
という 不安を与えるのと同時に 無責任 と 言われても致し方ない。。。

『師弟関係』 には ある意味 従属的な厳しさを感じさせるところがあるけれども
師 となるべく人には 心技双方に それだけで納得させるものがあり、
厳しさの背景には 受け入れた者(=弟子)への 責任感が存する!

水泳界のコーチの皆さんにも
そういうレベルの高い志を発揮して頂けることを期待しています。