百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

後楽園球場 開場の日

2013年09月11日 12時55分13秒 | 随想

 私の子供の頃、水道橋の先には春日町に向かって赤煉瓦に囲まれた広い場所が有った。壱岐坂の辺には陸軍の兵隊さんが起っていた記憶がある。後で判ったのだが、其処には砲兵工廠があって、九州の小倉に移転した跡だったと聞いた。

 秋になると、よく金ヤンマ・銀ヤンマを捕まえに行ったもんだ。その場所に私が小学校6年生の時、後楽園スタジアムが出来たのだ。それが1937年の今日、9月11日だという事を初めて知った。

 私は子供心に、「お金を出して野球を見に行くヤツなんているもんか」と思った。今でこそテレビの普及で老いも若きも男も女も勝った負けたで騒いでいるが、当時は閑古鳥が鳴いていて、観客が少ないと選手も熱が入らないのか、枯れ木も山の賑わいとばかりに、小学校まで来て、無料参観を頼まれたようだ。私も狩り出されて2回程行った覚えがある。

 また、よく花火大会をやったり、陸軍や海軍の軍楽隊の演奏会もあった。後楽園の宣伝でも有ったのだのだろう。観覧席の裏側の空間を活用して映画も上映された。市電に乗って来て世界の名画を見てコーヒー飲んで50銭と云うサービスだった。私も良く行った。冬には観覧席に石打から貨車で雪を運んで斜面に引いてスキー場にした事もある。真剣に努力したようだが、戦争中でもあってあまり報われなかったのではないか。

 不思議に思ったことは、夕立が来ると何処からともなく、子供の傘売りが集まって来ることだった。金持ちはタクシーに乗って帰られるが、一般の人は、番傘買って、水道橋の駅まで走って行くのだった。

 一番印象に残っているのは、球場の中に丸太で櫓を組んで盛大なジャンプ大会をやったことだ。わたしは屋上からタダで見ていたが、どれほどの人がお金を払って観戦したのかと心配になった位だ。野球の話では、東京の巨人軍、名古屋の金鯱、大阪タイガーズ位しか覚えて居ないが、戦後経済が飛躍的に成長するにつれて、2リーグ制になり、12チームが覇を競うようになって国民的なスポーツと成長をしてきた。まったく今昔の感を禁じえない。

    歩 い て 世 界 一 周  9月11(水)  晴れ

 

日 数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

        1 

15,220

10,654

 

今  月

11

170,452

119,316

15,496

今  年

215

3,540,494

2,487,346

16,467

2005年から

3,146

44,859,218

31,401,453

14,259

70歳の誕生日から

6,678

126,809,349

 

88,766,544

18,989

アイスランドを経てグリーンランドのアンダマダシャリクからコィアネホープに向かう、後39,442m 

 



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