プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

日本の聴衆

1918-06-22 | 日本滞在記
1918年6月22日(旧暦6月9日)

 京都に行ってきた。ストロークがホノルルの興行主に手紙を書いてくれたので、ひどく嬉しい。

 メローヴィチとピアストロのコンサートでは、日本人は安い席(五十銭)に集中している。日本人の反応は(概してここでのコンサートの特徴は、あまり知られていない西洋音楽に関心を持ち始めている日本人に、本物の音楽を聞かせる機会を与えることにある)、一方で非常に注意深く聞いているが、その一方で、どんなに注意を払っても分かっていないのは明らかで、彼らにベートーベンのソナタを聞かせようが演奏者の即興を聞かせようが、違いが分かりはしないのである。日本人の気をひくのは上っ面の面白さ。例えばバイオリンのピチカートとか、玉を転がすようなピアノの演奏など。こうした聴衆の前で二度ほど弾くのは面白かろうが、それ以上やる気にはなれない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿