プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

出航

1918-05-29 | 日本滞在記
1918年5月29日(旧暦16日)

 船のキャビンは事前に割り当てられていたが、コネで二等クラスを手に入れた。三等クラスでもしかたがないと思っていたので、大層嬉しかった。しかし日本円がひどいことになり、乗る直前になって5ルーブル60カペイカ! つまり1ドルが11ルーブル20カペイカ……最悪だ。私が両替したのは2500だけ、残りは帽子の中にある。船上で検査されて逮捕されるのではないかと不安だったが、何事もなし――カバンも開けられなかったし、何ひとつ尋ねられることもなかった。おかげで船が岸を離れても、本当に困難を脱したとはまだ信じられずにいた。船の士官と話をしているうちに、もう3マイルだ。

 そんなわけで、さらば、ボリシェビキよ! さらば、同志諸君よ! これからはネクタイをして堂々と歩けるし、誰にも足を踏まれなくてすむのだ。

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