プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

奈良へ

1918-06-19 | 日本滞在記
1918年6月19日(旧暦6月6日)

 バイオリン・ソナタのためのアンダンテのアイデアが生まれる。四時に奈良へ移動した。広大な聖なる公園のなかにある湖のほとりに、無数の寺や記念碑とともに素晴らしいホテルが建っている。公園には聖なる鹿が歩きまわっている。よくなついていて、パンをやり始めるとまわりを取り囲まれてしまう。池には体長70センチほどの金色の魚がいて、太っていていやらしいが、やはり聖なるものだ。ここは静かでのびのびとしている。見事な鐘は、形はミトラ〔主教などの典礼用冠〕を思わせ、音は大きく上等なドラを思わせる。

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2 コメント

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鹿に与えたパン (ヘルベルト)
2005-06-23 07:02:55
プロコフィエフの関西での行動、毎日楽しく読まして貰ってます。

奈良で鹿と戯れたり、京阪電車で大阪へ行ったり・・・

親近感を覚えます。



ところで鹿に与えたパンのことなんですが、鹿せんべいのことをパンと記した可能性も考えられますよね。

ロシア語でのパンの概念がどのようなものか知らないんですが、堅焼きのパンと考えれば鹿せんべいをパンと呼ぶことも不自然ではないかと。



ちなみに鹿せんべいは江戸時代初期には既に存在し、明治初期には現在と同様のものが売られていたそうです。
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いつもありがとうございます (訳者)
2005-06-25 11:03:30
ヘルベルトさん、確かに鹿せんべいもあり得ますね。穀物をこねて固めたものなら、とりあえず「パン」と呼べるようです。



ところでプロコフィエフの日記には描写的な記述が少なく、地名などの固有名詞も、最低限しか書かれておらず、特定できないことが多々あります。



「日記」とは往々にしてそういうものですが、これが作家やジャーナリストの旅日記であったら、もっと克明に当時の日本が描かれていたことでしょう。そうではなく、どこにいても「自分」と向き合っているところに、芸術家プロコフィエフが垣間見える気がします。



さて、来月はいよいよ帝劇公演です!

なのにまったくピアノを弾いていないプロコ氏。余裕です。



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