プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

帝劇公演決定

1918-06-08 | 日本滞在記
1918年6月8日(旧暦5月26日)

 ロシアからの連絡(電報)が、もう十日も途絶えている。イルクーツクでボリシェビキとチェコスロバキア軍団が衝突したからだ。

 私の計画はかなり先が見えてきた。ストロークは七月六・七日に帝国劇場をおさえ、そのあとで一連のコンサートを予定している。そしてもし1700円(とビザ)が手に入れば、私はニューヨークへ行き、一ヵ月滞在するつもりだ。もしニューヨークで連続コンサートを開けることになったら留まるだろうし、もしそうでなければ十月までに上海に戻って、交響楽コンサートを開くことになるだろう。

 もし確実にコーシツかコハンスキー〔パーヴェル、1887~1934。ポーランド出身のバイオリニスト。ぺテルブルクとキエフの音楽院で教師を務めた〕が来るのであれば、アメリカを捨てて、東洋の残りのコンサートのために留まる意味があるのだが、ロシアと連絡がとれない状況とあってはどちらも当てにできない。となると、アメリカに賭けるしかない。それにもまして私にとっては、アジア人や半ヨーロッパ人より、理解のある聴衆の前でコンサートを開くことに大きな意味があるのだ(もっとも、アメリカの聴衆の理解力もさほどあてにしていないが)。

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1 コメント

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m (t)
2005-06-08 09:53:08
おはようございます。突然ではございますが、一度ぜひご覧になっていただきたいものがございます。必ずご納得いただけるものと思います。

http://www15.plala.or.jp/saikoo9/

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