プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

茶屋の娘

1918-06-15 | 日本滞在記
1918年6月15日(旧暦6月2日)

 今日は一日じゅう一人で過ごし、『許しがたい情熱』を(おおいに楽しみながら)書いたり、ショパンをイメージで練習したり、考え事をしたりした。夜はメローヴィチと茶屋に出かけた。ここには多くの茶屋があり、芸者衆が踊っている。四人の尻軽娘たちが私たちの前で「ネイクド・ダンス」、つまりが裸踊りを踊ってみせた。踊りそのものは、西洋人をバカにして、ただ飛び跳ねているだけのように思えたが、まさしく素っ裸になって、あとで「ショートスリープ」してもいいような素振りさえ見せる。挙句の果てに、一番可愛い子が私の膝に座りながら、真珠のネクタイピンをくすね取った。幸いすぐに気づいたのでタイピンは見つかった。私の胸に顔をうずめたとき、髪の毛にひっかかった、と娘は言い訳していた。

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