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プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

退屈

1918-06-23 | 日本滞在記
1918年6月23日(旧暦6月10日)

 奈良はいいところだが、少し退屈だ。一人でいることに退屈するとは自分でも驚きだが、その原因は、今は何も書く気がしないし、作曲もする気にならないからだ(ちょっとした休憩といったところか)。それに手元にある本はショーペンハウエル一冊だけ。『意志と表象としての世界』をまた読み始め、大いに満足を得たが、この本は少しずつしか読めない。せいぜい一日に一、二時間。だから何もしないでいる時間が多いのだ。

日本の聴衆

1918-06-22 | 日本滞在記
1918年6月22日(旧暦6月9日)

 京都に行ってきた。ストロークがホノルルの興行主に手紙を書いてくれたので、ひどく嬉しい。

 メローヴィチとピアストロのコンサートでは、日本人は安い席(五十銭)に集中している。日本人の反応は(概してここでのコンサートの特徴は、あまり知られていない西洋音楽に関心を持ち始めている日本人に、本物の音楽を聞かせる機会を与えることにある)、一方で非常に注意深く聞いているが、その一方で、どんなに注意を払っても分かっていないのは明らかで、彼らにベートーベンのソナタを聞かせようが演奏者の即興を聞かせようが、違いが分かりはしないのである。日本人の気をひくのは上っ面の面白さ。例えばバイオリンのピチカートとか、玉を転がすようなピアノの演奏など。こうした聴衆の前で二度ほど弾くのは面白かろうが、それ以上やる気にはなれない。

四重奏

1918-06-21 | 日本滞在記
1918年6月21日(旧暦6月8日)

『白い友人』がはかどる一方、フォルチオ〔『許しがたい情熱』の登場人物〕の話は第三章でつまずいてしまった。だがこの話はとても気に入っている。

 ロシアからの電報によると、チェコスロバキア軍がシベリア鉄道のトムスクからサマラまで占領し、ボリシェビキと戦闘中だという。私は最後の列車に乗って無事やりすごせたが、もしコーシツを待っていたら、どうなっていただろう! 一方、それ以前の特急に乗っていたら、辿り着きはしたものの、いやな捜査や圧迫を受けることになっただろう。私は奇跡的にやりすごしたのだ。

『白い四重奏』のアイデアが復活した。少し書き留めたところで、古いテーマ(主要パートの)を思い出した。

ダーチャの思い出

1918-06-20 | 日本滞在記
1918年6月20日(旧暦6月7日)

『白い友人』を少しずつ書き始めた。これまでのなかで一番出来がいいと思うし、真面目で詩的な内容を滑稽に書いてみることになると思う。

 ここは仕事をするのに最適な場所だが、なかなか仕事に戻れない。去年の夏を懐かしく思い出す。のんびりとくつろぎ、どこに急いで行くわけでもなし、自分の仕事と快いダーチャ〔別荘〕での生活を楽しんでいたものだ。一方ここでは、私は通りすがりでしかなく(この一年というもの、目的に向かって常にあわただしかった)、集中することも没頭することもできない。ところで私が達した結論は(恥ずかしながら!)、私はお金が好きなのだ。おそらくこの旅のあと、お金が入ることだろう。

訳注:『白い友人』は、後年発表された短編集のなかには含まれていない。

奈良へ

1918-06-19 | 日本滞在記
1918年6月19日(旧暦6月6日)

 バイオリン・ソナタのためのアンダンテのアイデアが生まれる。四時に奈良へ移動した。広大な聖なる公園のなかにある湖のほとりに、無数の寺や記念碑とともに素晴らしいホテルが建っている。公園には聖なる鹿が歩きまわっている。よくなついていて、パンをやり始めるとまわりを取り囲まれてしまう。池には体長70センチほどの金色の魚がいて、太っていていやらしいが、やはり聖なるものだ。ここは静かでのびのびとしている。見事な鐘は、形はミトラ〔主教などの典礼用冠〕を思わせ、音は大きく上等なドラを思わせる。

短編小説集

1918-06-18 | 日本滞在記
1918年6月18日(旧暦6月5日)

 火曜日。『誤解さまざま』を書き終えた。これでもう短編小説が六編と構想が四つ。全部で十編になる。もう十分だ。

 ピアストロは、着飾ったガールフレンドと一緒に海辺に出かけていった。メローヴィチは、列車で二時間離れた奈良に移動し、そこから電話をかけてきてこっちに来ないかという。とびきりいいホテル〔奈良ホテル〕が公園のなかに建っているのだ。私も行くことになろう。

水路巡り

1918-06-17 | 日本滞在記
1918年6月17日(旧暦6月4日)

 ピアストロと彼が上海でひっかけてきた可愛いガールフレンドと一緒に、当地の水路を舟で巡った。長いトンネルの中を通るのが、この水路の最も興味深いところだ。〔訳注・琵琶湖疏水のことと思われる〕

三つのオレンジへの恋

1918-06-16 | 日本滞在記
1918年6月16日(旧暦6月3日)

『許し難い情熱』を執筆。『三つのオレンジへの恋』を読み直した。これをオペラにするというアイデアが大層気に入ったし、必ず書こうと思う。ただし結末が気に入らない。べヌアはイタリアの原書をくれたので、イタリア語で読み返さなければならない。さらに、同時進行して起こる地下勢力の出来事を分け、それらをこの世で起きる出来事と対応させる必要がある。

茶屋の娘

1918-06-15 | 日本滞在記
1918年6月15日(旧暦6月2日)

 今日は一日じゅう一人で過ごし、『許しがたい情熱』を(おおいに楽しみながら)書いたり、ショパンをイメージで練習したり、考え事をしたりした。夜はメローヴィチと茶屋に出かけた。ここには多くの茶屋があり、芸者衆が踊っている。四人の尻軽娘たちが私たちの前で「ネイクド・ダンス」、つまりが裸踊りを踊ってみせた。踊りそのものは、西洋人をバカにして、ただ飛び跳ねているだけのように思えたが、まさしく素っ裸になって、あとで「ショートスリープ」してもいいような素振りさえ見せる。挙句の果てに、一番可愛い子が私の膝に座りながら、真珠のネクタイピンをくすね取った。幸いすぐに気づいたのでタイピンは見つかった。私の胸に顔をうずめたとき、髪の毛にひっかかった、と娘は言い訳していた。

京都散策

1918-06-14 | 日本滞在記
1918年6月14日(旧暦6月1日)

 もう五日間も何も仕事をしていない。物足りない気分なので、今日はどこにも出かける必要がなくてよかった。メローヴィチと一緒に、無数の寺や珍しい水路(トンネルを抜ける運河)を備えた、素晴らしい景色の京都近郊を散策した。これこそ本物の日本だ。メローヴィチはアメリカへ行く途中、ホノルルでコンサートをすることを薦めてくれる。素晴らしいアイデアだ。ホノルル行きは私の夢なのだから。宿の部屋は素晴らしい。和洋折衷で、彫物を施した左右に開く壁とタタミがある。ただとにかくバカ高くて、円はあっというまに羽根がはえて消え、ルーブルはさらに下落してしまった。残りの何枚かの五ルーブル札をどう替えていいかわからない。以前はもっと価値があったのに!