プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

ご訪問ありがとうございます

2006-10-01 | 余禄
このところ、アクセス数が急に増えて驚いています。
どなたかこのプログをご紹介くださったのでしょうか!?
どうもありがとうございます!

当ブログはリンク大歓迎。
テキストもご自由に引用していただいて構いませんが、
その際は、出典を明記してくださいませ。

さて、夏休みで中断していたプロコフィエフの短編小説翻訳を
いよいよ来週から再開する運びとなりました。
新しい発見がありましたら、またお知らせしますのでお楽しみに!

ひき続き翻訳中

2006-07-13 | プロコフィエフ短編
過日の先生とはまた別の、ロシア史研究家のN・Y先生に翻訳の終わった短編小説を読んでいただいたところ、「大変興味深い文学作品。傑作です」とのお言葉。なんとしてでも、なんらかの形で皆さんに読んでいただけるよう、善処したいものです!

さて、『許しがたい情熱』は、どうやら日本滞在中に書いた4作のうちでは、最もプロコフィエフ的な作品といえそうです。ちょっとひねくれた人間観察や音楽的な言い回し……。ネタバレになるのであまり書けませんが、これが未完の作とは惜しい限りです。

『許しがたい情熱』

2006-06-06 | プロコフィエフ短編
ただ今、プロコフィエフの短編小説『許しがたい情熱』(仮題)を翻訳中。4章からなるこの小説の第1章は、とある「古い町」での、僧院長と市民との会話から構成されています。これがまた、やっぱり手ごわい……!

第一にプロコフィエフの小説では、固有名詞が極端に少なく、時代も場所も定かではないのがクセモノです。そして第二に、先の読めなさすぎる展開。それも、「なるほど、こうきたか!」というたぐいのスリリングな展開ではなく、「なんでそうくるの?」と意表をつかれてしばし唖然とする、いわゆる「ハズシわざ」。なので、文章の前後関係から内容を確信する、という通常の翻訳作業が通用しないのです。

あえて映画にたとえると、『ゼロ・シティ』や『ハルムスの幻想』にちょっと肌合いが似てるかな。いずれにしても、革命直後という時代背景からすると、「アヴァンギャルド」の流れのなかに位置している作品ともいえましょう。

未完の作

2006-05-21 | プロコフィエフ短編
『誤解さまざま』の翻訳が終わり、日本滞在中に書いた最後の一作『許しがたい情熱』をこれから訳し始めるところです。この小説は「彼は言った…………」で終わっており、生前ついに完成することのなかった未完の作。プロコフィエフがどんな結末を用意していたのか、興味深いところです。

ところで、ロシア文学ご専門のN先生に翻訳済みの『ひきがえる』『彷徨える塔』を読んでいただいたところ、翻訳には及第点をいただけたのですが、「話の意味がよくわからない。何が言いたいのか??」とのご反応だったそう。

そうなのです! ことに『ひきがえる』はシュールでわかりづらいお話。ほかの作品にしても、大団円では終わらず、登場人物の落ち着き先がわからずじまいで、読者は「ん?」と放り出されるような一種独特の余韻があるのです。おまけに今回は未完の作とあっては、ゴールが見えず、またまた翻訳に手こずりそうです!

プリンス諸島のハーレム

2006-05-03 | プロコフィエフ短編
短編小説『誤解さまざま』を訳している過程で、1918年6月24日のプロコフィエフ日記と対応する箇所に行き当たりました。「今書いている小説のためにプリンス諸島を探そうとして」、ヨーロッパの地図を所望したのに、日本のホテルにはそれすらない、というくだりです。

この「今書いている小説」が、『誤解さまざま』のことと思われます。この作品の舞台はフランスですが、主人公の技師が「プリンス諸島にハーレムを買って5人の女と浮気する」ことを夢想するシーンがあるからです。プリンス諸島はイスタンブール近く、マルマラ海に浮かぶ島々。主人公はそれに続けて、東洋女性の神秘的な魅力について語っています。いわく「東洋の女たちだけに本物の恋ができる。心のかわりに留め金をとめたヨーロッパの不具者たちにはない、真のけだるい熱さをもっているから」。

おそらくこれは、プロコフィエフが日本女性に対して抱いた思いを反映するものでしょう。このときすでに作曲家は、何人かの日本女性と関わりをもっていたようですから!

『誤解さまざま』

2006-01-31 | プロコフィエフ短編
プロコフィエフの短編小説のうち2編の翻訳が終了し、次は『誤解さまざま』なる小説を訳すことになりました。この小説、日記のなかでは当初「夢の話(ソンヌイ・ラスカス)」として登場します。主人公は、建設工事のために長期出張中の技師。

「鉄道を建設しなければならないのに、妻のことばかり考えてしまう」……。そんな一文から始まるこの物語、プロコフィエフの短編小説のなかでは、比較的「わかりやすい」部類に属するもよう。さて、どんな展開になるのでしょう。

謹賀新年

2006-01-01 | 余禄
あけましておめでとうございます。

「プロコフィエフの日本滞在日記」がひとまず終了したあとも、変わらずに多くの方々にご訪問いただき、本当にありがとうございます! 

もともとこの日記は、日露交流史研究家のロシア人講師を中心に、ロシア語サークルの有志によって翻訳されたものです。当初はあくまで研究ならびに学習対象の文献として、一部のロシア同好家のみに公開していましたが、それではあまりにもったいない!と感じたわたくし訳者Hの一存で、昨年春、このブログを立ち上げました。
「ブログで公開するほうがもったいない!」という声もなきにしもあらずですが、心からこの日記を読みたいと思っている方、日記を通してよりプロコフィエフに近づきたいと思っている方にこそ、読んで何かを感じていただきたい、と一般公開に踏み切りました。情報は独り占めするものではなく、ましてや希代の天才が残した遺産は、万人が分かち合うべきものだと思ったからです。

さて、皆さんはどうやってここにたどりついたのでしょう?
よろしければ教えてくださいね。

当サイトはリンクフリーですので、プロコフィエフファン、音楽ファン、ロシアファンの皆様に、広くご紹介いただければ幸いです。

『彷徨える塔』

2005-11-21 | プロコフィエフ短編
ただ今、プロコフィエフが日本滞在中に書いた短編小説のひとつ『彷徨える塔』を翻訳しています。以前に訳した『ひきがえる』に比べると、まだわかりやすいお話なのですが、意味深長な言葉の羅列で、これはこれでなかなかに手ごわいしろものです。

主人公は、バビロンの遺跡発掘にのぞむ天才学者マルセル。1918年7月29日付けの日記には、バビロンについて書かれた本を再読して刺激を受けたことが記され、書きかけだったこの小説を、離日前に一気に書き上げたもようです。もともとこの小説は、シベリア特急の車中で書き始めており、完成までに約3ヵ月を要したことになります。いわば、プロコフィエフの日本滞在とともにあったこの作品。日記と併せて読むと、興味深いものがあります。

5000人突破御礼

2005-10-28 | おしらせ
「プロコフィエフの日本滞在日記」にお越しいただき、ありがとうございます。しばし目を離しているうちに、訪問者数がのべ5600人を越えていました。

ブログ公開の2005年4月28日から、ちょうど半年。日記の連載はすでに8月2日で終了していますが、今もたくさんの方に見ていただき、訳者一同、感謝の念にたえません。ひきつづき、コメントをお待ちしておりますので、ご意見・ご感想・ご質問などなど、ぜひお寄せください!

*当サイトはリンクフリーです。部分的な引用に際しては、出典元を明記していただけるとありがたく思います。

プロコフィエフの短編小説

2005-09-06 | プロコフィエフ短編
日記中にもあるように、プロコフィエフは日本滞在中に『彷徨う塔』『誤解さまざま』『許しがたい情熱』『ひきがえる』といった短編小説を手がけています。6月25日の日記では、自らの作家性について自問自答するくだりもあり、単にピアノのない状況下で暇つぶしで物語を書いていたわけではなく、小説執筆も創作活動の一環としてとらえていたことがうかがえます。

作曲家が書き残した短編小説集は、2003年に本国で出版され、今、手元にその本があります。黒い表紙の小さな本には、日本滞在中に書いた作品や未完のものも含めて11編が収録されています。

試みに『ひきがえる』を訳してみましたが、「くねくね男」と「ひげ男」の珍妙な会話によって綴られる、ユーモラスでシュールな作品です。しかし、微妙な言葉の言い替えが、なかなか日本語では表現しにくく、一筋縄ではいかない訳者泣かせの作品ともいえるでしょう。

そもそもプロコフィエフの文章は、美文とは言いがたく、日記翻訳の際も、ロシア人監修者でさえもが「こんなロシア語はありません!」と手を焼く場面がたびたびありました。日記の性格上、他人に見せることを想定していなかったのかもしれませんが、独特の言い回しもまた、天才プロコフィエフの個性のひとつなのではないでしょうか。