プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

春休みオーケストラ探検「ピーターと狼」の巻

2009-03-02 | おしらせ
プロコフィエフ関連のイベントのおしらせです。

日本フィル+杉並公会堂Presents エデュケーション・フェスティバルin杉並2009
●春休みオーケストラ探検「ピーターと狼」の巻●
2009年3月20日(金・祝) 午後4時開演
杉並公会堂 大ホール

「ピーターと狼」を題材に、多彩なプログラムが組まれるそうです。詳細はこちらをご覧ください。
こちら「杉並日記」では関連記事を掲載。「プロコくん」にも会えますよ!
(*本イベントは終了いたしました。)

大森のプロコフィエフ

2009-02-12 | 余禄
プロコフィエフゆかりの地・東京大森周辺の文学情報を集めたサイト「馬込文学マラソン」にて、
「プロコフィエフ地図」
が紹介されています。今昔の地図の照合、今はなき望翠楼ホテル跡地の現況写真もあり、90余年前のプロコフィエフの足跡がたどれます。ぜひご覧ください!

1918年(大正7年)、7月22日夜~日本滞在最後の8月2日朝まで、プロコフィエフは東京・大森の望翠楼ホテルに滞在。同じく大森に住んでいた音楽評論家、大田黒元雄と互いに行き来し、親交を深め合いました。プロコフィエフ、大田黒、双方の日記によると……。

7月2日 溜池の花月にて帝劇主催のプロコフィエフ紹介の宴開催。
      プロコフィエフと大田黒、初めて出会う。
   5日 「午後帝劇にプロコフィエフを聴く」(大田黒)
   6日 「今日も(帝劇で)プロコフィエフを聴く。ほんとうに仕合わせな事だ」(同)
  22日 夜、プロコフィエフ、横浜から大森・望翠楼ホテルに移る。
  23日 午前10時過ぎ、プロコフィエフ、大田黒邸を訪問。
  24日 午後3時頃、プロコフィエフ、大田黒邸を再訪。
  25日 大田黒、望翠楼を訪ね、プロコフィエフに原稿依頼。
  26日 プロコフィエフ、ミャスコフスキーについての原稿を大田黒に手渡す。
  30日 大田黒、望翠楼へ。プロコフィエフと長時間話し込む。
8月1日 午後5時、プロコフィエフ、大田黒に別れを告げにくる。
   2日 大田黒、横浜でプロコフィエフの出航を見送る。

……と、短期間ながらも親密なやりとりが交わされたことがわかります。
そして二人の友情はその後も続くのでした。

プロコフィエフ短編集その後

2009-01-17 | プロコフィエフ短編
またまた年が明けてしまいました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、ようやく皆さまによいお知らせをお伝えできる運びとなりました。3年がかりで仕込んできたプロコフィエフ短編集の翻訳を、今年こそお披露目できそうです。詳細は未定ですが、決まりしだいこのブログで発表いたしますので、今しばらくお待ちくださいませ!

プロコフィエフ短編集

2008-08-24 | プロコフィエフ短編
かねてからご紹介しているプロコフィエフの短編集ですが、本国ロシアでもあまり出回っていないようで、昨年サンクト・ペテルブルグの大型書店を訪ねた時も見つからず、「ロシアのアマゾン」OZONで検索しても見当たりません。原書をお持ちのロシア人研究者は、モスクワの出版社を直接訪ねて入手したもようです。いったいどこで売られているのでしょう??

この本のデザインがなかなか素敵。黒表紙に白い帯。変形のコンパクトサイズで、本というより手帳のよう。装丁とイラストを担当したデザイナー、アレクサンドル・ヴァーシン氏のサイトで、表紙のほか本文中のイラスト何点かが見られます。こちらをクリック!

≪本書のデータ≫
ISBN5-85285-640-1
Сергей Сергеевич Прокофьев. Рассказы
セルゲイ・セルゲイヴィチ・プロコフィエフ『短編集』
テキスト編纂:アラ・ブレタニツカヤ
編集:A.L. ブレタニツカヤ
挿絵:A.A.ヴァーシン
レイアウト・製版:E.A.ヴァロノワ
校正:N.N.アレクセーンコワ

用紙70×100/32
発行部数10000部
出版番号10677
契約価格
Издательский Дом Композитор
出版社『カンパジートル(作曲家)』
103006 モスクワ、K-6、サドーヴァヤ・トリウムファルナヤ通り、14-12

3つのオレンジ

2008-06-23 | おしらせ

セルゲイ・プロコフィエフ財団が発行する「three ORANGES journal」最新号(15号:2008年5月)に、「PROKOFIEV IN JAPAN」という特集が組まれています。日本ではなかなか手に入らないその貴重な一冊を、過日、寄稿者のおひとりである沼辺信一さんからお分けいただきました。
以下が、特集の目次です。

FEATURE:Prokofiev in Japan in 1918
Motoo Ohtaguro and Sergei Prokofiev:an unexpected friendship
(Yumiko Nunokawa and Shin-ichi Numabe)
Motoo Ohtaguro interviews Prokofiev
(Translated by Naomi Matsumoto)
Yorisada Tokugawa and the story of an unrealised commission
(Shin-ichi Numabe)
Prokofiev in Japan:a view from the interior
(Anthony Phillips)

プロコフィエフと二人の日本人、大田黒元雄と徳川頼貞との親交を通して、二人の業績や当時の日本の音楽事情が世界に明かされた画期的特集記事です!お読みになりたい方は、沼辺さんのブログ「私たちは20世紀に生まれた」このページをご参照ください。



*ついでながら、沼辺氏から本サイト中の誤訳をご指摘いただきました。
1918年7月7日の第二回東京公演で、プロコフィエフが急きょ演目に加えたのは『悪魔的暗示』でした。お詫びして訂正させていただきます。沼辺さん、諸々ありがとうございました!

『二人の侯爵』

2008-05-31 | プロコフィエフ短編
プロコフィエフの短編小説、ラストに残った『二人の侯爵』をほぼ訳し終えました。彼の小説には「二人の男シリーズ」ともいうべき類似した系統があり、これもそのひとつ。そして例によって不条理です。「善良な人」が一人も出てこない。終わり方も唐突であっさりしたものです。

ところでロシア人研究者の方にうかがった話では、プロコフィエフとショスタコーヴィチのダーチャは、お隣同士だったそうですね。ショスタコーヴィチの子供たちが庭で遊んでいると、「うるさい、あっちいけ!」とプロコフィエフおじさんによく怒られたのだとか。その言い回しにそっくりのセリフが、この小説のなかに出てきます。

『紫外線の勝手』

2007-11-23 | プロコフィエフ短編
プロコフィエフの短編小説『紫外線の勝手』(仮題)をざっと翻訳。これまた荒唐無稽なお話です。なにしろエジプトのピラミッドが、アメリカ(おそらくニューヨーク)の摩天楼のどまんなかに現れるのですから! 内容的には、パリのエッフェル塔がバビロンの塔に引き寄せられて突如歩き出す『彷徨える塔』に非常に近いものがあり、この当時、作曲家が古代文明に並々ならぬ関心を抱いていたことがうかがわれます。

この作品は、日本に向かうシベリア鉄道の車中で書き始められ、完成したのはニューヨーク。文中、主人公のアメリカ人に対する痛烈なまでの皮肉が随所に散りばめられ、プロコフィエフのアメリカ観も垣間見られる一作となっています。

さて残すところあと一作。そして来年はプロコフィエフ来日90周年です!

『毒キノコのお話』

2007-09-14 | プロコフィエフ短編
夏休みの宿題として、ただいま『毒キノコのお話』を翻訳中。プロコフィエフの短編のなかでは最も長いお話ですが、文体は平易で、子供向けに書かれたもののようです。

少女ターニャは、いたずら盛りの5歳。赤い毒キノコを拾って家族に怒られても、まだ懲りません。数日後、チョウチョを追って迷いこんだ森で、再び赤いキノコを見つけます。するとどうでしょう。そのキノコは言葉を話し始めました。その「ベニテングダケ17号」に導かれ、ターニャは地中深くにあるキノコ帝国へ……。

ロシアの民話のような展開ですが、大団円のハッピーエンドでは終わらないのです、これが。子供の夢を平気で打ち砕く!(笑)。この突き放し方は、ほかの短編にも共通するものですが、さすがにこの作品では、ちょっぴり慰めが用意されています。

さて、このお話は4場面からなり、ターニャをはじめその家族、キノコたちなど個性的なキャラクターが登場します。ひょっとしたら音楽劇を想定していたのかもしれませんね。

翻訳再開!?

2007-04-07 | プロコフィエフ短編
ごぶさたしてました!プロコフィエフの小説の翻訳再開です。当初は日本滞在中に書かれたものだけを訳していたのですが、こんな貴重なものは全部訳すべきでは!?との見解に達し、残りの7編も訳すことになりそうなのです。

といっても、うち何編かは超短編。あっというまに1編終了です。象さんが主人公の、子供向けのお話。でも簡単なものから始めると、あとに手ごわいものが残るということ。あとがコワイです。

今年中の発表を目指していますので、みなさま忘れないで待っていてくださいね!

『許しがたい情熱』翻訳終了

2006-11-17 | プロコフィエフ短編
プロコフィエフが日本で書いた短編小説4作目『許しがたい情熱』をようやく訳し終えました。しかし、いいところでブツッと切れており、これが未完の作とは惜しいかぎり! 

というのも、この小説は4作のうち最も“音楽的”な作品なのです。とある楽器の音を描写する場面があるのですが、まるで実際に音が聞こえてくるかのよう。おそらくプロコフィエフは、具体的な曲のイメージを抱いてこのくだりを書いたにちがいありません。

さてこれから翻訳のお清書と修正にかかります。希望的観測としては、来年には、なんらかの形でみなさんにご披露できればと思っています。今しばらくお待ちくださいませ!