長篠に来た理由。
戦国時代の戦いの転換一つといわれる「長篠・設楽原の戦い」の関連史跡を回るためです。
織田信長が本陣を置いた茶臼山
今は稲荷神社がありますがこの境内を本陣にしたようです。
さて決戦の地といわれる設楽原のほうへ向かいます。
あの有名な馬防柵。これで武田騎馬隊を待ち、鉄砲隊で向かい撃ちました。
三段構えで入れ替わりながら鉄砲を撃ちまくったという。。
それは本当か?できたのか?なんてのを何かの番組で検証しているのを見ましたが
その検証シーンはここで撮影をしていたような気がします。
復元された土塁・馬房柵
合戦の屏風絵図
学校で習った歴史的戦いの一つの古戦場を回ることができて気分⤴
ここで負けた武田軍は撤退しますが、殿を務めたのが武田二十四将の一人、馬場信房。
見事武田勝頼を撤退させた後に討ち死に。
長篠城近くに墓がありました。
織田・徳川 vs 武田は設楽原で決しましたが、それより前に長篠城の攻防戦を行っています。
100名城でもある長篠城へ移動します。
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