エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

札幌雪祭り・市民雪像

2020-02-06 12:27:20 | 文化・芸術
「予算数百万円」札幌雪祭りにヒカキン&セイキンの超巨大雪像作ってみた!
YouTubeで「鈴木」が製作した雪像がアップされました。 「ヒカキン・雪祭り」で検索し ご覧下さい。(下段参照)

◎ 友人『鈴木 博詞』(チームきたきつね)作・「リーチマイケル」

今年は 暖冬で雪不足、恒例の札幌雪祭りの開催が危ぶまれましたが、無事にスタートしました。 『鈴木 博詞』(チームきたきつね代表)作の「リーチマイケル」像が完成しました。 「リーチマイケル」の短髪・髭には、苦労したと思います。 何せ、白い雪で黒を表現するのは、セミプロと言っても“至難の業”です。 そんな彼の努力を、朝日新聞ローカル版で紹介しています。 昨年は 日本テレビ(STV)で、本業の肖像画家と市民雪像制作の様子を、30分番組で放映されました。

我がブログのアイコン(ピコ太郎)は、平成17年制作・市民雪像の雛形(粘土像)写真を、使わせて頂いたものです。 なお、彼が製作した“雪像”や“雛形”は、当ブログの“フォトアルバム”に展示しています。 是非、覗いて下さい。 


◎ 例年2~3基、企業・団体から請け負って制作する雪像 「カテキン&セイキン」(高さ約 5m) YouTubeで彼等は「予算数百万円」を強調していますが、制作者「鈴木」は数十万円で請け負ったと笑っていました。


幻のジャズ喫茶「ファイブスポット」

2020-02-03 09:22:41 | 日記

◎「ファイブスポット」の入り口に立つ「いその てるお」


1970年代(半世紀前)閉店したジャズ喫茶「ファイブスポット」を、知っている人は少ないと思います。 東横線自由が丘駅から西に50メートル程、ビルの地下2階にジャズ評論家「いその てるお」が経営するジャズ喫茶がありました。 一時期 近くに住んでいたので、ジャズが好きな友達と夜な夜な通ったものです。 昼間は音楽喫茶ですが 夜はパブで、不定期にジャズのライブがありました。 私達は、勿論 ライブが目的でした。  新人やベテランアーチストや外国人のアーチストと出演者は多彩でしたが、覚えているのは「鈴木勲カルテット」くらいです。 いつもウイスキーの水割りを注文していましたが、料金は決して高くなかったと記憶しています。 2~3杯の水割りで、2時間も演奏を聴けるのですから安いのは当然です。 客層は様々で、一般人から音楽家までいつも満員でした。

兎に角、“ジャズ”が好きでした。 特に、生演奏の迫力に魅了されました。 “トリオ”良し“カルテット”良し、3~4人で奏でる楽曲は個々の演奏テクニックを、リズム・メロディー・ハーモニーで、オーケストラ並みに盛り上げるのです。 ピアノ・ドラム・トランペット・・・ それぞれが個性を発揮しつつ、一つの曲を完成するプロセスが好きでした。 

その頃 ジャズ好きな友達と二人で、様々なコンサートを巡りました。 渋谷・道玄坂の「ジャンジャン」は、ジャズのある日を常にチェックしながら、興味あるグループが出演する日は、仕事を差し置いても出掛けたものです。 一番の思い出は、夏の日曜日に日比谷野外公会堂で開催された“ジャズ・フェスティバル”です。 勇んで出かけました。 情報通の友達は、公会堂の手前でポケットから、二人分の汚れた軍手を出しました。 友達「この軍手をつけて、スタッフの通用口から関係者を装って入る」 私「演奏を、ステージの裏から聞くのか」 友達「その通り、タダで音楽だけ聴くのだ(笑)」 結局、約2時間 舞台裏からジャズを聴きました。(無賃聴取) ミュージシャンの多くは、ほぼ普段着姿でスタッフと見分けが付きませんでした。 顔を見て分ったのは、ジャズ・ピアニスト「山下 陽介」くらいでした。

◎「ファイブスポット」で何度か見掛けた「大橋 巨泉」
深夜ワイドショーの先駆け「イレブンピーエム(11pm)」の司会者で ジャズ評論家でもあった「大橋」は、当時から人気がありました。「いその てるお」とは、仲が良かったと思います。

ジャズ喫茶「ファイブスポット」の上階に、高級中華料理店“桜蘭”がありました。 その店は、プロ野球・巨人軍(ジャイアンツ)現役選手の食事処でした。 当時、最強(V9)軍団でしたので、マスコミの目が届かない“隠れ家的”な場所が必要だったのでしょう。 なぜ“自由が丘の中華料理店”と言うと、“多摩川二軍ファーム”から約 3Kmと近く、「長嶋 茂雄」や「王 貞治」の自宅が、“田園調布”なので目と鼻の先だったからだと思います。(巨人軍の一軍選手も、多摩川の二軍ファームで練習する事が、結構ありました) そんな事で、「大橋 泉」と「人軍選手」の私的交流は、自由が丘「ファイブスポット」&「桜蘭」にあったと想像します。

「中村は、ずいぶん古い情報を知っているな・・・」 それは、高齢だからです。

◎ 多分「笑福亭 鶴瓶」や「三浦 友和」と “同級生”
     


棚から“自転車”or“バイク”

2020-02-01 09:36:15 | 日記

◎欲しかった“自転車”



中学の頃、スポーツタイプの自転車が欲しくて堪りませんでした。 当時は値段が高く、気安く親に買ってもらうのは無理でした。 だからと言って、自分の小遣いで買うのも不可能です。 そこで、自転車の懸賞に応募しようと考え、雑誌に載っていた抽選券を葉書に貼って送ったと記憶しています。(たぶん1枚) 仮に懸賞に当たったとしても、3~4等では希望が叶いません。 ほぼ自転車は諦めていた半年後、1枚の葉書が届きました。「おめでとうございます。中村様に特等が当たりました。この葉書を持参して〇〇自転車店で景品をご受け取りください」 特賞? 確か1等はスポーツタイプの自転車だった筈ですが、その上の特等は何なのか分かりません。 早速、葉書をもって自転車店へ走りました。 店に着いて「ビックリ!」 希望していた“自転車”ではありませんでした。

「棚から“牡丹餅”」が「棚から“バイク”」でした。

◎抽選で当たった“バイク”


ブリヂストン製のオートバイ・ 排気量60cc・アップマフラー・W シート・・・・、車体は赤で我が町では見かけないカッコいい“バイク”でした。 カタログを見ると、定価は6万円以上(当時は大金)だったと思います。 勿論、自転車店から我が家まで押して帰りました。(なにせ、13歳の事ですから) 父親に事情をはなすと、呆気なく「免許が取れる年になるまで、物置にしまって置け」でした。

しかし、好奇心旺盛な中学生ですから、免許の取れる16歳まで待てる筈がありません。 1升瓶を持って、ガソリンスタンドで混合ガソリンを買い、夜な夜なバイクを走らせました。  一人では不安なので、いつも同級生が一緒でした。 いつの間にか、親との約束を破って昼間の走行も始まりました。 昔とは言へ、町には警察官が巡回していました。 ある日、二人乗りを注意され停車を求められたのです。 警官「原付バイクは二人乗り出来ないぞ」、 私「このバイクは自動二輪車です」・・・ 警官「そうか、確認のため免許証をみせてくれ」、 私「ありません」・・・、そんな事で補導されました。 後日、家庭裁判所で裁きを受けました。 判事「もう無免許運転はしないと約束出来ますか・・・」、私「二度としません」。 判決は、「君の将来を考え無罪とします」でした。 幸いにも、履歴書に<賞罰なし>と書く事が出来ました。

抽選で当たった“バイク”は、僅か1年で処分する羽目となりました。 自己責任を痛感する 中学時代の淡い思い出でした。 


◎ドライブの途中、隣に駐車した“大型バイク”。 ホンダGL1800 3輪改造車
何と、愛車プリウスと同じ排気量(車両価格+改造費は、500万円強とか)