エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

「菊池 寛」小説『マスク』

2020-11-23 08:03:51 | “現代医学の功罪” 関連
1918年(102年前)、世界中で約 5,000万人が死亡したとされる “スペイン風邪” について、あれこれ調べてみました。 日本で約 37万人が亡くなっている “伝染病”(インフルエンザ)ですが、正確なデータは少ない様です。 そこで、当時活躍していた “小説家” の随筆の中に、“スペイン風邪” に関する “ヒント” はないか、色々と探ってみました。 第一候補の「江戸川 乱歩」の小説の中には ありませんでした。 同時代の小説家を探すと、唯一「菊池 寛」の短編小説『マスク』が あったのです。

菊池 寛」1888~1948年(享年59歳)小説家・実業家。
・・・ 作品 ・・・
「父帰る」「真珠夫人」「藤十郎の恋」「蘭学事始」など
“文藝春秋社” を創設し、現代文学の基礎を作った人物。
“芥川賞” & “直木賞” を設立。  

◎ 着物と丸眼鏡の「菊池 寛」

・・・ 短編小説『マスク』の概要 ・・・

「菊池 寛」は、骨格が広く小太りで 健康そうに見えても、少年時代から心臓が弱かったと 小説の中で告白しています。 そんな事情で、当時 蔓延していた 伝染病(スペイン風邪)に 人一倍敏感だった様です。 「感染すれば命取りになる」と、自覚していたのです。 日頃から『マスク』の内側に何枚ものガーゼを重ね、罹患する事を恐れていたのです。 特に、仕事の打ち合わせなどで人と接する際は、常に用心を怠らなかった。 その時点で 全国の感染死亡者は、3,337人と記しています。 春になると、流行が下火になったが「菊池」は『マスク』に拘り、外す事を止めなかった。   
5月になり、シカゴから “日米親善野球団” が来日し「菊池」は、帝大(現・東大)の試合を観戦に向かったそうです。 野球場を目指して歩いていると、同じ方向に向かう青年を見て、なぜかマスク姿が “異様” に映った。 自分と同じ感性を持った青年に、不快を感じた様です。 「青年は勇敢だ」と思いつつ、“自己本位な心持” と 文章を締め括っています。 

執筆は 30代半ばで「マスクは文明人の勇気」と、“スペイン風邪” に対する警戒心を強調する作品になっています。

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短編小説『マスク』を読んで、執筆したのは 1918年の冬から 1919の春までの日常を 綴ったと思います。 短い文章ですが、重大な問題 に気が付きました。 “スペイン風邪” は 3年間 続いていますが、一年目の感染死亡者は、3,000人強だった事です。 当時の情報(新聞・雑誌)は正確でなかったとしても、被害者の数が少な過ぎます。 3年間で “スペイン風邪” による死亡者は、37万人ですから 凡そ “百分の一” です。 伝染病の感染拡大が 第二波~第三波が深刻だとしたら、今の日本は 新型コロナの第一波”(一年目)として警戒する必要があります。 “新型コロナ” が “スペイン風邪” と似ているすれば、来年~再来年がより恐ろしい! 場合によっては、現在の 100倍のスピードで感染拡大するかも知れません?

◎ “新型コロナウイルス” とされる画像
      

また 小説の中で、“日米親善野球大会” の開催が記されています。 確か “スペイン風邪” の発生源は、アメリカと聞いています。 どうして、“スペイン風邪” が猛威を振るう最中、アメリカの野球団と日本の大学チームの試合を実施したのか? 日本政府が計画する「GO TO キャンペーン」と、同じ様に感じます。 102年前も現在も、伝染病に対する “警戒心が 余りにも低い” と!

菊池 寛」の 短編小説『マスク』を読んだ感想です。 私の考えは、間違いでしょうか? 結果は、半年後~一年後に数字となって現れる筈です! その時「お前の判断は “大袈裟” だ」と、笑って貰えると幸いです。