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エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

ある吞兵衛の‟告白”

2020-04-19 08:50:10 | 旅行・地域

今から 25年前の 6月、北海道から千葉県に3ヶ月ほど出張し、滞在の残りが少なくなった頃の出来事でした。 きつかった仕事から、もうすぐ解放される。 そんな安堵感から「最後の土曜日だ 今夜は思い切り飲もう」と、一人で 行きつけのスナックへ向かいました。 ボトルキープしていたウイスキーが、半分ほど残っていたと思います。 「今日は 残ったウイスキーを飲み干そう」と、最初は水割りで数杯 その後はロック(ストレート)で、瞬く間にボトルは空になりました。 ママさんに別れの挨拶をし、お世話になったスナックを ほろ酔い気分で出ました。 そこで 吞兵衛は止まりません。 酔った勢いで 近くの居酒屋へ、日本酒の冷を何杯飲んだのでしょうか(?) 既に ほろ酔いを通り越し、半ば酩酊状態でした。 やがて睡魔に襲われ、やむなく居酒屋を出ました。 時間の記憶はありませんが、午前2時を過ぎていた筈です。 会社の宿舎まで約 1キロ、タクシーに乗ろうと探しましたが、1台も走っていません。(千葉県の田舎) 仕方なく、歩き始めました。 右にフラフラ・左にフラフラ、俗に言う千鳥足でした。 この辺は 新興住宅街で、家並みより畑が多く車道には歩道もない 都会とは無縁な街でした。 酔いと睡魔と戦いながら、宿舎まで あと200mほどの所で、一瞬 幻を見たと思いました。 街灯が少なく 薄暗い道路の向こうから、10頭位の犬が猛スピードで襲って来たのです。 暗くて犬種は分かりませんが、中型犬だったと思います。 「まずい かじられる」 逃げようとしましたが、酔いで体の自由が利きません。 「よし、先頭の犬を蹴倒そう」 よろける足で 犬の喉あたりを蹴り上げると、意外にも「キャン・キャン」と鳴き、犬の群れは 何処かへ散って行きました。 それまでの恐怖が、まるで嘘の様でした。 安心した。 その瞬間、「バシッ」胸に激しい衝撃が走ったのです。 「痛い」一体 何が起きたか分からない。 胸の痛みは、夢である筈がありません!    

現実が、徐々に分かって来ました。 小柄な老人に、犬用のリード(鎖)で殴られたのです。 犬のブリーダーなのか 只の犬好き老人か、鬼の形相で襲って来るのを 薄暗い中で確認しました。 更に 鎖が“こめかみ”をかすり、多少出血したのが分かった。 「頭を狙われたら 大変だ」 咄嗟に老人の胸元を、両掌で突き飛ばしました。 尻餅をついた老人は、「この野郎」と叫び 道路の上で大の字になって動きません。 その隙に、必死で逃げました。 鎖を振り回しながら、後を追って来るのではないか? 正直、恐怖を覚えました! どうにか 宿舎に辿り着いた時は、酔いと疲れで 倒れる様に布団に潜り込んだ次第です。

余りにも、特殊なトラブルでした。 狂暴な老人が悪いのか? 泥酔した吞兵衛が悪いのか? 動物愛護と、動物虐待の問題ではありません。 やはり、犬を蹴った飲兵衛が悪い。 トラブルの原因をつくったのは、間違いなく “酒”です! 「酒は飲んでも 呑まれるな」冷静に考えると、平和な日本であっても危機回避できない程 泥酔して深夜歩き回るのは、正常な行動ではありません。 ある意味で、遭遇したのが 老人だったから助かったのかも知れません? もしも、乱暴な不良グループだったら、袋叩きにあい軽症で済まなかった筈です!  「忘れよう! あの夜の出来事は、自分の胸にしまっておこう」 そして、吞兵衛は沈黙を守ったのです。



馬糞風(ばふんかぜ)

2020-04-15 08:39:59 | 旅行・地域
2020年 雪が少なく暖かい、穏やかな“正月”で始まりました。 夏には“東京オリンピック”があり、“マラソン”と“競歩”が 札幌市で開催される 楽しみに満ちた門出の筈でした。 一つ気掛かりなのは、中国“武漢”で蔓延する“謎の肺炎”でした。 しかし、“対岸の火事”「過去に起こした“SARS”が、再燃したのか・・・」 その程度で、危機感などありませんでした。 心の隅に「暖冬異変」が、見え隠れするだけでした。 天災(人災?)は、忘れた頃に遣って来る! パンデミック“新型コロナ” 見えない敵は、嵐の様に広がった。

「暖冬異変」で、思い出しました。 昔(60年以上前)の話です。 春の嵐は、北海道(特に札幌市)に “馬糞風”を巻き起こしたのです!

“北の都・札幌”は、人口が 200万人に迫る勢いで増えています。 この状況は、北海道の繁栄とは違う 単なる“一極集中”です。 経済成長している地域は、唯一 外国人誘致に成功した 俱知安町(ニセコ)比羅夫だけです。 農水産業が振るわず、観光産業だけが潤うのでは、北海道に希望はありません。 暗い話をしたくありませんが、第二・第三の“夕張市”(財政破綻・市町村)が出現しても、仕方が無いと思います。 北海道経済は、明らかに疲弊しています。 何故なのか(国策か)? 蝦夷地開拓150年 その歴史は、勿論 人力によるものです。 しかし 馬が、人の何倍も働いた事を忘れません。 今 そのが残るのは、“ばんえい競馬”・“道営競馬”・日高地区の“馬産地”と 激減しています。 “道産子”(道産の農耕馬)を必要とする時代は、既に終わったのでしょうか? 私を含め、道産子の出番は 無くなったのです!

 “馬糞風”と言うのは、冬場に働く馬の落とした糞が雪に埋もれ、春に雪が解けると大量の残留物となり道路に現れ、強い風が吹くと町中に飛散する不快な状態を言います。 今では想像がつきませんが、戦後の北海道(特に札幌)の春は、手で口を押されるのが日常だった様です。 なぜ 今時、働く馬の話をするのか? “人馬一体” エゾ開拓の功労者である馬を蔑ろにて、北海道の歴史は語れないと言う事です!  
 
                     
動物は、少なからず“頭脳”があります。 “海馬”と言う 記憶と学習を司る機能があるのです。 その機能が狂うのは、明らかに病気です。 現代社会は、環境に由来する害悪が、人の脳を侵し障害を起こすと思います。 いわゆる、“貪欲”と言う病気です。 「お前も病気か」と聞かれると、金銭欲も食欲も旺盛な“病人”としか言えません。 そこには、「赤信号・皆で渡れば怖くない」の標語を真似る 己の物欲しか御座いません。 しかし 時流に溺れるのは、人のあるべく道では無いと思います。 私は 一人、流れに逆らって(反骨精神を持ち)残りの人生を、悔いなく全うしたいと願う昨今です。  

日本初の“養老牧場”が今月中に閉鎖」 2017・04・27 北海道新聞より
 胆振管内・白老町にある、競走馬が引退後に余生を過ごす為の施設・養老牧場(イーハトーブ・オーシャンファーム)が、4月いっぱいで閉鎖が決まりました。 莫大な収益を上げる競馬業界(JRA)が、実績を残した競走馬を見殺しにするのかと、憤りを覚えます。 ただ救いは、他にも養老牧場があると知り、多少は安心しました!(競走馬を引退し、即“馬肉処理場”送りでは、残酷過ぎます)                

ワタリガラスの伝説

2020-03-28 08:53:22 | 旅行・地域

ある日、地球ドラマチック(NHK )「ルーマニアの冬の森」を観て、“カラス”の不思議な能力を感じました。 番組では、200匹ほどの“ヒツジ”を飼う一人の牧夫と 22匹の牧羊犬が、一匹の“オオカミ”からヒツジを守る ドキュメントでした。 そこに、一羽の“カラス”が登場します。 なぜ、カラスか? 「オオカミがヒツジを捕った後、残肉(おこぼ)をカラスが狙っているのだろう」 しかし、違いました。 カラスがオオカミを誘導(コントロール)していたのです。 カラスは、上空から牧羊犬の警戒心をそらし、オオカミに狩猟のチャンスを与えていたのです。 「ルーマニアのカラスは 頭がいい」 そこで、ある逸話を思い出しました。 “ワタリガラスの伝説”です!

ワタリガラスは、シベリアやアラスカに生息するカラスです。 厳冬期は、餌を求めて南下する渡り鳥で、日本では北海道の東部で目撃されています。(生息地は千島列島か?) 日本中で見られるハシブトガラスより、ひと回り大きく(体長約70㎝)「カポン・カポン」又は「アポン・アポン」と鳴く様です。 一見 ただのカラスですが、世界中で“ワタリガラス”の逸話が、数多く残っています。 太古の昔から、「森を造った功労者」とか「人間に知恵を授けた」とか、ワタリガラスの伝説は色々あります。 如何してなのか? 野鳥の中で、一番 知能が高いからです! 研究によると、脳は小さいものの“チンパンジー”と同じくらいの知恵があるそうです。 人間で言うと、4歳児程度の学習能力ですから、野生ではトップレベルの頭脳と言えます。 それゆえに、ワタリガラスの伝説が生まれた?  自然の摂理に反する人間に対し「ワタリガラスは何かを教えてくれる」と考えると、何故か貴重な存在に思えます。 たかが “カラス” されど “ワタリガラス” と!

日本(道東以外)で見られない筈の“ワタリガラス”は、なぜか「古事記」や「日本書紀」に 八咫烏(ヤタガラス)の名で登場しています。 「神武 天皇」が東征の途上、天から遣わされた鳥の神(八咫烏)の道案内により、熊野・吉野の山中を無事に行軍できたと言う記録が 残っているのです。 なぜ存在しない筈のカラスが、克明に記されているのか? おそらく、ロシアや北欧から伝えられた神話が、着色され中国経由で日本に入った? 一方、縄文時代ころアイヌ人から伝わったと言う説は、少々矛盾があります。 アイヌが “国(蝦夷)を守る神”と崇拝していた鳥は、シマフクロウ(モシリ・シカマ・カムイ)だからです。 渡り鳥のカラスを、神の如く敬うとは思えません!

ご存知と思いますが、日本サッカー協会のシンボルマークに、八咫烏が描かれています。 イラストでは、3本足のカラスです。 八咫烏=ワタリガラスは、神秘的で謎の多い野鳥です。 いや、白亜紀(始祖鳥)から命を繋いで来た総ての鳥類は、存在そのものが神秘です! 私は、空を飛ぶ“スズメ”・“カラス”~飛ぶのを止めた“ペンギン”・“ダチョウ”・・・ 野生があって野心がない野鳥が好きです。  

◎ 「コルウス」ラテン語で“カラス”(伊達市カルチャーセンター展示)


ニセコ(比羅夫)スキーリゾート

2020-03-02 08:57:06 | 旅行・地域

我が家から北へ約30キロ、風景が一変し“ニセコ・スキーリゾート”が現れます。 ニセコアンヌプリ・ニセコ比羅夫・ニセコ東山・・・それぞれが、良質なパウダースノー(世界屈指)を誇るスキー場です。 その中で、ニセコ比羅夫(俱知安町字山田)の開発が目立ちます。 オーストラリア・中国・マレーシア・・・ 外国資本が導入され、小さな村が 高級リゾート地に変貌しています。 ホテル・コンドミニアム・マンション・ペンション・レストラン・バー・コンビニ・・・。 ニセコの魅力は、昔からスキーやスノーボードに適した雪質です。 しかし ニセコ比羅夫リゾート地に関し、不動産バブルの色合いが濃い様です。 10年後に予定される北海道新幹線の札幌延長で 俱知安町が停車駅になると、将来 ニセコ・スキーリゾートへの集客が約束されるからです。 乗降客数は、日本人だけではありません。 アジア・ヨーロッパ・オーストラリア・アメリカ etc.  世界各国からパウダースノーを求めて、スキーヤーが殺到すると睨んでいるからです。 不動産バブルにしても、主に外国資本で地元が潤うのですから、反対する理由は見当たりません! 



ニセコ比羅夫スキー場が出来たのは、1961年でした。 1970年~1990年まで、ニセコ・スキーリゾートは徐々に発展しました。 しかし、2000年以降 スキー・スノーボードの人気は、日本のバブル崩壊と共に衰退しました。 一時期、ニセコ・スキーリゾートは閑古鳥が鳴く状態でした。 おそらく 日本中のスキー場が、業務縮小・廃止された時期だと思います。 そんな中、ニセコのパウダースノーに魅了された一人のオーストラリア人(起業家)が、ニセコ 比羅夫に定住したのが切っ掛けで、数年の内に外国資本の導入が始まった様です。 日本人のスキー離れを逆手に取り、外国人相手の観光誘致&不動産誘致を成功させたのです。 2006年以降、ニセコ比羅夫の地価上昇率は、数年に渡り日本一です。 ここ10年ほど、度々ニセコ比羅夫周辺を訪れていますが、毎年 街並みが驚くほど生まれ変わっています。 ある場所は都会のビル群が、ある場所はヨーロッパ風の別荘群が、決して広くない地域にセンスある建物が密集しています。 北海道新幹線が完成し、俱知安駅が出来る頃には、ニセコ 比羅夫スキーリゾートが、どの様に変わるか 楽しみにしております! 

最近の情報では、不動産バブルが沸騰し 撤退する内外の企業が急増している様です。(地価が10年前の10倍以上) 仮に、北海道新幹線が完成する前にバブルが弾けると、“ニセコリゾート計画”は 単なる“高級リゾート地”で終わります。 

◎ ニセコ比羅夫スキー場の魅力、前方にそびえる“蝦夷富士”(羊蹄山にスキー場はありません) 
 

◎ “ニセコ道の駅”付近から望む“羊蹄山”


山親爺

2020-01-30 09:09:16 | 旅行・地域


北海道のほぼ全域に生息する「ヒグマ」(羆)は、総数千頭以上いると言われています。 百獣の王・ライオンより強い危険な野生動物が、何故に人間と共存できるのか? それは、心優しい“山親爺”だからです! 北海道の時代も蝦夷の時代も、その遥か昔から深い山~山里を守り続けた山の主(守護神)なのです。 決して、狂暴な猛獣ではありません。 しかし、毎年の様に「ヒグマ」に襲われ、怪我をしたり死亡する事故が起っているのは事実です。 その多くは、登山だったり山菜採りだったり、不用意に「ヒグマ」の縄張りに侵入した事から起きる過失です。 道民は子供の頃から、“山親爺”がいる危険な山には近づくなと教えられています。 そんな暗黙の了解が、自然や野生動物に対するルールだと思います。 そんなルールを、忘れたり無視する人が多過ぎます。 熊避けの鈴があれば安全と、安易な考えを持つ人は最も危険です。 何せ、成獣になると体重500~600キロにもなり、牛や馬を一撃で殺傷できる鋭い爪があるのです。 人間など 前足をひと振りすれば、全身打撲で即死です!


・・・・・・・・・・ 山親爺の嘆き ・・・・・・・・・・

我々(ヒグマ)は、遥か昔から北の大地で生きて来た先住動物です。 ある時から、アイヌ人と縄張りを争って来ました。 しかし 食料の奪い合いで、戦う事はありませんでした。 なぜなら、アイヌ人と共存し 縄張りを分け合って来たからです。 その頃は、我々が大好きな“鮭捕り”や“栗拾い”など、気兼ねなく“河川”・“野辺”を、自由に歩き回る事が出来ました。
しかし 150年前、そんな状況が一変しました。 和人が、北の大地に押し寄せて来たからです。 争いが嫌いな我々は、仕方なく山へ山へと生活の拠点を変えました。 それでも 新参者は、登山・川釣り・山菜取りで、残された生活域まで遣って来ます。 
一体 我々は、どうしたらいいのでしょうか? 縄張りと好物を奪われ、野草や木の実で飢えを耐え、この上 何を我慢したらいいのでしょうか? もう一度、山を下りて“鮭”を食べたい!


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研究者によると、本来 雑食の「ヒグマ」は明治時代頃から、鹿や鮭の“肉魚食”が極端に減って、徐々に野草や木の実と言った“草食”に変わった様です。 原因は北海道の人口が急増し、山里から深い山へと追われたからだそうです。 山親爺 にも、厳しい時代がやって来たのですネ!(新参者によって難民となった) そう考えると、「ヒグマ」は怖い生き物ではなく、人間を恐れる心優しい生き物かも知れません。


上の写真は、数年前道東のある町に現れた母子の「ヒグマ」で、どうやら鮭を追っているうちに迷って町場に入り込んだと思われます。 当然のごとく、2頭ともハンターにより射殺されました。 人的被害を考えると、止むを得ない措置だったと思います。 しかし、殺さなくても催眠銃で眠らせ、山に送り返す方法もあったのではと考えるのは、部外者の身勝手な発想でしょうか? 成長した「ヒグマ」が肉魚食を止めても、育ち盛りの「子グマ」には鮭も昆虫も、強く生きる為に必要なのです!


数年前、異様な体験をしました。 「ヒグマ」に遭遇した訳ではありませんが、ある意味「クマ」より怖い生き物を見たのです。 それは、「」です。 小雨が降る昼日中、林道を走っていると一匹のビーグル犬が道路を横断していました。 衝突する距離ではありませんでしたが、一旦停車し犬の様子を観察していました。 するとビーグル犬が、用心深く車に近づいて来ました。 よく見ると、全身 雨と泥で汚れ痩せて元気がない様に感じました。 近くに飼い主がいるかと辺りを見渡すと“ドッキリ”、5匹ほどの犬が草陰で目を光らせて私の方を睨んでいたのです。 飼い主に捨てられたペット犬が、半ば野生化した野良犬達でしょう。 おそらく、生きる為にウサギやキツネを狙っていた最中、偶々私が停車し狩猟の邪魔をしたものと思います。 申し訳ない気持ちでその場を立ち去りましたが、ビーグル犬達の行く末を考えると複雑な心境でした。 野良犬が、人間を襲う事は決してありません。 しかしオオカミの血を引く犬は、群れを組むと知恵や行動力が倍増します。 何れ、野良犬達の間に子供が出来、何代か歴ると野生の血が蘇り、怖い「野犬」になります。 将来、野犬による人的被害がない事を祈るだけです。