エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

山親爺

2020-01-30 09:09:16 | 旅行・地域


北海道のほぼ全域に生息する「ヒグマ」(羆)は、総数千頭以上いると言われています。 百獣の王・ライオンより強い危険な野生動物が、何故に人間と共存できるのか? それは、心優しい“山親爺”だからです! 北海道の時代も蝦夷の時代も、その遥か昔から深い山~山里を守り続けた山の主(守護神)なのです。 決して、狂暴な猛獣ではありません。 しかし、毎年の様に「ヒグマ」に襲われ、怪我をしたり死亡する事故が起っているのは事実です。 その多くは、登山だったり山菜採りだったり、不用意に「ヒグマ」の縄張りに侵入した事から起きる過失です。 道民は子供の頃から、“山親爺”がいる危険な山には近づくなと教えられています。 そんな暗黙の了解が、自然や野生動物に対するルールだと思います。 そんなルールを、忘れたり無視する人が多過ぎます。 熊避けの鈴があれば安全と、安易な考えを持つ人は最も危険です。 何せ、成獣になると体重500~600キロにもなり、牛や馬を一撃で殺傷できる鋭い爪があるのです。 人間など 前足をひと振りすれば、全身打撲で即死です!


・・・・・・・・・・ 山親爺の嘆き ・・・・・・・・・・

我々(ヒグマ)は、遥か昔から北の大地で生きて来た先住動物です。 ある時から、アイヌ人と縄張りを争って来ました。 しかし 食料の奪い合いで、戦う事はありませんでした。 なぜなら、アイヌ人と共存し 縄張りを分け合って来たからです。 その頃は、我々が大好きな“鮭捕り”や“栗拾い”など、気兼ねなく“河川”・“野辺”を、自由に歩き回る事が出来ました。
しかし 150年前、そんな状況が一変しました。 和人が、北の大地に押し寄せて来たからです。 争いが嫌いな我々は、仕方なく山へ山へと生活の拠点を変えました。 それでも 新参者は、登山・川釣り・山菜取りで、残された生活域まで遣って来ます。 
一体 我々は、どうしたらいいのでしょうか? 縄張りと好物を奪われ、野草や木の実で飢えを耐え、この上 何を我慢したらいいのでしょうか? もう一度、山を下りて“鮭”を食べたい!


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研究者によると、本来 雑食の「ヒグマ」は明治時代頃から、鹿や鮭の“肉魚食”が極端に減って、徐々に野草や木の実と言った“草食”に変わった様です。 原因は北海道の人口が急増し、山里から深い山へと追われたからだそうです。 山親爺 にも、厳しい時代がやって来たのですネ!(新参者によって難民となった) そう考えると、「ヒグマ」は怖い生き物ではなく、人間を恐れる心優しい生き物かも知れません。


上の写真は、数年前道東のある町に現れた母子の「ヒグマ」で、どうやら鮭を追っているうちに迷って町場に入り込んだと思われます。 当然のごとく、2頭ともハンターにより射殺されました。 人的被害を考えると、止むを得ない措置だったと思います。 しかし、殺さなくても催眠銃で眠らせ、山に送り返す方法もあったのではと考えるのは、部外者の身勝手な発想でしょうか? 成長した「ヒグマ」が肉魚食を止めても、育ち盛りの「子グマ」には鮭も昆虫も、強く生きる為に必要なのです!


数年前、異様な体験をしました。 「ヒグマ」に遭遇した訳ではありませんが、ある意味「クマ」より怖い生き物を見たのです。 それは、「」です。 小雨が降る昼日中、林道を走っていると一匹のビーグル犬が道路を横断していました。 衝突する距離ではありませんでしたが、一旦停車し犬の様子を観察していました。 するとビーグル犬が、用心深く車に近づいて来ました。 よく見ると、全身 雨と泥で汚れ痩せて元気がない様に感じました。 近くに飼い主がいるかと辺りを見渡すと“ドッキリ”、5匹ほどの犬が草陰で目を光らせて私の方を睨んでいたのです。 飼い主に捨てられたペット犬が、半ば野生化した野良犬達でしょう。 おそらく、生きる為にウサギやキツネを狙っていた最中、偶々私が停車し狩猟の邪魔をしたものと思います。 申し訳ない気持ちでその場を立ち去りましたが、ビーグル犬達の行く末を考えると複雑な心境でした。 野良犬が、人間を襲う事は決してありません。 しかしオオカミの血を引く犬は、群れを組むと知恵や行動力が倍増します。 何れ、野良犬達の間に子供が出来、何代か歴ると野生の血が蘇り、怖い「野犬」になります。 将来、野犬による人的被害がない事を祈るだけです。


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