文京区立 肥後細川庭園の門柱に
「幕末、ここは肥後熊本藩細川家の下屋敷、抱屋敷であり、明治15年(1882)からは細川家の本邸となった。
その後、都立公園として開園し、昭和50年(1975)、文京区に移管された」
と記されていました。
細川庭園の周辺案内に、松尾芭蕉の住居跡に建つ関口芭蕉庵、神田上水の守護神であった水神社、細川家伝来の美術品などを収めた永青文庫、旧細川候爵邸の和敬塾本館など、幾つもの施設が紹介されていました。
とても気になる、これら施設は、日を改めて訪ねたいと思います。
庭園は、地形の変化を巧みに利用した池泉回遊式庭園で、やり水形式(平安貴族の寝殿作りの細流)で湧き水を池に取り込んでいると、紹介されていました。
庭園の裏手の、学習院辺りから伸びる台地が緑に包まれ、
その台地の中腹に湧く水が池を潤します。
「西行桜」の名札を付けた、フリル状に八重の花弁のハナショウブが池の畔を飾り、
「琴姫」の名札を添えたハナショウブは、紫から白に変化するグラデーションを水面に映していました。
ハナショウブはアヤメ科の多年草です。
江戸時代に野生のノハナショウブから多くの品種が育成され、現在の品種数は2000を超えるようです。
ハナショウブは下の「皇玉」を見れば分かるように、花弁の付け根が黄色で、アヤメのような網目模様がありません。
品種が開発された地域毎に、花が豊満な肥後系、花弁が垂れる伊勢系、変化に富む江戸系などが知られます。
この庭園は肥後熊本の細川家が所有していましたが、熊本では江戸時代から明治にかけて、肥後藩士によって育成された肥後椿、肥後芍薬、肥後花菖蒲、肥後朝顔、肥後菊、肥後山茶花が肥後六花と称されます。
この庭にハナショウブが咲くのも、そんな背景があってのことです。
池の周囲の散策路で、ガクアジサイが初夏を演じていました。
ボダイジュの名札を付けた木が、黄色い花を一面に咲かせていました。
ボダイジュは中国原産のシナノキ科の落葉高木ですが、お釈迦様が木の下で悟りを開いたインドボダイジュはクワ科の熱帯樹で、全くの別種です。
そして、シューベルトの歌曲で知られるセイヨウボダイジュはシナノキ科のナツボダイジュと冬ボダイジュの自然交配種で、リンデンバウムの名でも良く知られています
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